今月12日、岩波書店の『広辞苑』の第7版が発売された。1955年に新村出(しんむらいずる)編の『辞苑』を下敷きとして第1版が出てから60年あまり、1976年の第2版補訂版も含めると8回目の改訂ということになる。

『広辞苑』10年ぶりの改訂で「みうらじゅん」の名も登場。思うままに拾い読んでみたら凄さの本質が見えた
『広辞苑』第7版。旧版から変わった点は多いが、化石関連の項目に添えられたイラストにも注目。第6版で同関連のイラストはわずか9点だったが、今回43にまで増えた。最新の研究にもとづいて描かれた恐竜などの想像図はじつに生き生きとしている

『広辞苑』は、国語辞典と百科事典の要素を兼ねた中型辞典の代表格である。それだけに社会の変化、学術研究の最新成果なども改訂のたびに反映され、新語の追加や語釈(言葉の意味の説明)の書き換えが行なわれている。メディアではこうした点に注目されることが多い。

先週(1月15日)、ニッポン放送の「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」にみうらじゅんがゲスト出演したときにも、新しい『広辞苑』が話題にのぼった。みうらによれば、今回の改訂では新たな収録語として「巨乳」と「ゆるキャラ」が最後まで候補にあがっていたが、結局採用されていなかったという。一体どこまで本当なのかわからないが、みうらはすでに「マイブーム」という造語が『広辞苑』に収録されているだけに、妙な説得力がある。
ちなみにマイブームが収録されたのは、10年前に出た第6版が最初だが、今回の改訂では、《エッセイストみうらじゅんの造語》という一文も付されるようになった。

日本の人名は物故者しか載せない理由


「ビバリー昼ズ」では、パーソナリティの高田文夫が、『広辞苑』の今回の改訂で立川談志、永六輔、高倉健が収録されたことを強調していた。人名ではこのほか、永六輔と同じく放送作家出身の野坂昭如や青島幸男、あるいは東映で高倉健に続くスターとなった菅原文太などが新たに追加された。いずれも故人である。

そもそも『広辞苑』に項目として収録される日本の人名は、物故者にかぎられている。これというのも、1955年に初版が出る際に、当時まだ存命だった作家の志賀直哉を収録するか否かで編集部内で議論になったためだ。「志賀を入れるなら他の作家も入れないとおかしい」という意見も出て、収拾がつかなくなった結果、「故人にかぎる」という枠組みが設けられることになった(「週刊文春」2008年1月24日号)。
なお、志賀直哉が『広辞苑』に収録されたのは、亡くなって12年後、1983年に出た第3版からである。

第7版では、上記の人たちのほかにも、マンガ家の赤塚不二夫、石ノ森章太郎、水木しげるなどが収録された。一方で、藤子・F・不二雄の項目がないのは、元相方の藤子不二雄Aがまだ存命ということもあるのだろうか。ただし、藤子Fの代表作『ドラえもん』は今回初めて収録されている。そういえば、『広辞苑』発売のまさにその日、東京・神保町の岩波書店のテナントビルが、『ドラえもん』の版元である小学館に売却されるとのニュースがあって驚いた。

外国文学小事典としても内容充実


外国の人名に関しては、日本や世界に強い影響力を与えた人物を基準にしており(「週刊文春」2008年1月24日号)、存命者も掲載されている。とくに目につくのは文学者だ。
莫言、アレクシェーヴィチ、カズオ・イシグロら近年のノーベル文学賞受賞者(シンガーソングライターのボブ・ディランも含む)をはじめ、日本ではなじみの薄いアジアやアフリカの作家もかなりの数掲載されている。

『広辞苑』の外国文学の項目が充実するようになったのは、1983年の第3版かららしい。評論家の武藤康史は「『広辞苑』改版の歴史」と題するエッセイのなかで、第3版を《何の期待もせずに立ちよみし始めたら「アーサー王物語」に唖然、巻末を見たら高宮利行(イギリス文学)とあったので納得したものだ》という(「新潮」1992年4月臨時増刊)。

「アーサー王物語」とは6世紀のブリタニア王アーサー(実在か否かは不詳)と円卓の騎士たちとを主人公とした武勇と恋愛の物語で、12世紀以降、ヨーロッパ全土に伝播した。『広辞苑』第3版ではこの項目が旧版のじつに倍以上となり、現代では映画やミュージカルにも登場することにまで言及がある。武藤がその名を見て納得したという高宮利行は英文学者で、「アーサー王物語」の研究書や翻訳書も多数著している。


『広辞苑』第3版では、それまで協力者のなかに外国文学の専門家は一人(ドイツ文学者の道家忠道)だけだったのが、このときから高宮利行など各国文学の専門家が協力するようになった。それだけに作品や作家についての項目には、先の例のように記述がよりくわしくなり、新たに追加されたものも多かった。これについて前出の武藤は《外国文学小事典としては悪くないという感じがした》と書いている。

なお、日本文学についても古今の主だった作品が収録されている。戦後の作品では、三島由紀夫『金閣寺』や安部公房『砂の女』、また石原慎太郎の『太陽の季節』も、同作から派生した流行語「太陽族」とあわせて出てくる。

『広辞苑』の想定する読者像とは?


人名については、第7版を思いつくままに引いているうちに気づいたことがある。それは、何らかの著作があり、その世界で目立った業績を残している人物は、たとえ一般的な知名度は低くても掲載されていることが多い、ということだ。
それはとくに学者に顕著である。

たとえば、「青木」姓の項目には、今回、経済学者の青木昌彦、日本史学者の青木美智男が収載された。青木昌彦は、ノーベル経済学者の呼び声も高かっただけに当然の人選といえるが、青木美智男は意外だった。その記述は、次のように業績を簡略ながら的確に伝えている。

《日本史学者。福島県生れ。
日本福祉大学・専修大学教授。小林一茶・化政文化研究から民衆生活文化史を提唱。著「小林一茶」「文化文政期の民衆と文化」など。(一九三六/二〇一三)》


さらに「塚本」姓を引くと、前衛歌人として知られる塚本邦雄と並び、日本史学者の塚本学がとりあげられていた。江戸時代の「生類憐みの令」についての研究などで知られる学者だ。その記述はじつに6行もあり、簡略な語釈で知られる『広辞苑』にしては長い部類に入る(ちなみに『広辞苑』の1行は24字、一つの語釈の行数は平均で2行半という)。ちなみに私がよく使っている講談社の『日本人名大辞典』(検索サイト「ジャパンナレッジ」に収録)には、塚本学は載っているが、青木美智男の項目はない。

先にあげた外国文学者にしてもそうだが、掲載する人名が単なる有名人ばかりではないところに、『広辞苑』の想定する読者像というのを垣間見た気がする。それは、本を日常的によく読み、引用されている作品や論文の著者名などにも気を留め、調べる習慣のある人たち……とでもなるだろうか。そういう読書家たちに『広辞苑』はよき案内役として重宝されているに違いない。

岩波書店社長に直談判して見出しが変更


今回の『広辞苑』については、出て1週間も経たないうちに、LGBTやしまなみ海道の項目に誤りや説明不十分な点が指摘されるというニュースもあった。それだけこの辞典が注目されているということだろう。

外部から誤りを指摘され、のちの改版で修正されたというケースは過去にもあった。たとえば、中国の都市で、戦前は日本の租借地であった大連は、かつて「だいれん」ではなく「たいれん」の読みで『広辞苑』に収録されていた。これに異論を唱えたのが、大連で生まれ育ち、『アカシヤの大連』で芥川賞を受賞した作家・詩人の清岡卓行(たかゆき)である。清岡はこのことについて折に触れて指摘してきたが、その後、中国旅行で一緒になった岩波書店の社長に直談判した結果、1983年の第3版でついに見出しが「だいれん」と改められるにいたった。

清岡は、大連の読みにこだわる理由について、「ある濁音」という小説(『邯鄲の庭』講談社所収)のなかで以下のように書いていた。

《もし、敗戦前の大連で暮らしたことのある日本人が、そのうちみんな死んでしまったら、正しく「だいれん」と発音する人など、ほとんどいなくなってしまうかもしれない。いや、そういう事態になる前に、変化ははっきりしているだろう。なぜなら、言葉は生きものであり、ある単語について、まちがった発音をする人のほうが圧倒的な多数となったら、そのまちがった発音のほうが正しいということになるだろうから》

私鉄路線の項目に見られる細かな工夫


清岡卓行の書くとおり言葉が生き物であり、時代ごとに変化していくものだとすれば、「正しい日本語」などというものはおそらくない。だが、人間同士がコミュニケーションをとっていく以上、それぞれの言葉には共有されるべき意味が求められる。ここから辞書とは、言葉を介して人々が互いに理解し合うため、一定のルールを示すものという定義も成り立つだろう。

『広辞苑』に対してはかつて、日常語が小型の国語辞典とくらべても少ないとの批判もあった。しかし、最近の版ではその反省からか、一般的に使われる言葉も増え、すでに収録されている言葉でも、改訂のたびに語釈を見直し、書き換えられたものが少なくない。たとえば今回の第7版では、「さする」「なでる」「こする」という類語について、具体的な用例などを交えつつ、意味の違いがはっきりとわかるように変更されている。

日常的な言葉の用例に従うという意味で、なるほどと思ったのが、大手私鉄の路線の見出しだ。大手私鉄16社のうち、東京メトロを除く首都圏の私鉄については「小田急線」「東急線」「京浜急行線」などと「~線」という呼称になっているのに対し、名古屋以西の私鉄は「名鉄電車」「阪急電車」「西鉄電車」などと「~電車」という呼称が採用されている(調べてみると1998年の第5版からこうなっていた)。たしかに「小田急電車」「東急電車」という言い方はあまり聞かないが、関西などでは「~電車」と呼ぶのが一般的だろう。東西での言葉の違いを反映した、細かな工夫といえる。

とかく新語や流行語の収録が話題にされがちな『広辞苑』だが、辞書としての本領はむしろこうした既存の言葉の扱いにあるのではないだろうか。今回、第7版を買い求め、あれこれ引くうち、そんなことに気づかされた。
(近藤正高)

【訂正】本記事掲載時に、「ただ、不思議なことに、『太陽の季節』の映画版で俳優デビューした慎太郎の弟・石原裕次郎は今回の第7版にも載っていない」との一文がありましたが、読者の方より「いしわら【石原】」の子項目として立項されているとの指摘を受けました。お詫びの上、当該箇所を削除します。