24時間テレビ化するオリンピック報道が日本を弱くする
画像はイメージ

4年に1度の冬季オリンピックが韓国平昌で始まり、連日熱い戦いが繰り広げられています。その一方で、大変問題だと思うのが報道の在り方です。
本来オリンピックはスポーツの祭典であるはずなのに、スポーツを報じているとは思えないような報道が散見されると思うのです。

予備知識の無い芸能人が選手強化を妨害している


3点ほど指摘したいのですが、まず、芸能人のキャスティングが非常にお粗末だと感じています。放送している競技を観戦することが昔から好きで、その競技の魅力をある程度知っている人がキャスティングされるのはよく分かります。ですが、競技についてほとんど予備知識も無い芸人やアイドルを起用することも多いように思うのです。そのような人の話はノイズでしかありません。

確かに、オリンピックは大きな祭典で、普段から競技を見ていない視聴者も見ることが多いため、「視聴者の目線に合わせた人をキャスティングしているのだ」という考え方も分からなくはありません。ですが、本当にそれで良いのでしょうか? 試合で勝つためにはもっと選手に強くなってもらわないといけないですし、そのためにはたくさんお金が必要で、そのためにはファンを増やして、普段の試合を盛り上がることが必要です。


すでに分厚いファン層を獲得しているフィギュアスケートのようなケースを除いて、ほとんどの競技において固定ファンがまだまだ足りません。そんな中、オリンピックは多くの人の前に露出できる貴重な場で、ファン獲得のきっかけにもなるはず。

それなのに、その競技の観戦を趣味にしている「ロールモデル」になりうる人ではなく、「任され仕事でやっている芸能人」が出演して、ワーキャーやっているだけであれば、視聴者も彼らと同様、いつまで経ってもオリンピックの時にしか見ないままなのも当然ではないでしょうか。

五輪のジェンダー平等を無視するTVの起用法


次に、女性蔑視的な点な面も問題です。とりわけ、若い女性芸能人がスタジオの「華」のようなポジションで起用され、「すごーい!」や「そ~なんだ~!」等の、いわゆる「キャバクラの“さしすせそ”」的トークをさせられることは非常に問題でしょう。ライブパフォーマンスや演技等、その女性芸能人が自分の本来の分野でスペシャリスト級のスキルがある人でも、その役回りをさせられるわけです。

本来実力のある女性社員をサポートポジションに据えて飼い殺す日本企業はいまだに蔓延っていますが、ジェンダー平等を掲げるオリンピックの放送ですら、そのような女性蔑視のシーンを再現してしまうのは、日本の遅れを如実に表していると言えるのではないでしょうか。
一刻も早く改めるべきだと思います。

なお、女子選手に対しても、女性蔑視的な視線が送られることは少なくありません。今回ノルディックスキー・ジャンプ女子で銅メダルを獲得した高梨沙羅選手が、2018年1月に約2000万円のベンツを所有したというニュースに対して、ネットでは「イメージダウン」「幻滅した!」と、勝手に高梨選手に清純の妄想を抱いた人々が醜い嘆き節を吐いていました。

高梨選手に対してはメイクをすることに対しても、「失望した」という声は以前からありましたが、彼女にこのような「エセファン」が増えたのも、高梨選手がティーンの頃、彼女をプロの選手ではなく、「素朴な沙羅ちゃん」のようなエンタメ的な視点で報じてきたマスメディアの責任は大きいと思います。


ポピュリズム的な「感動のための消費報道」


最後に、ドラマチックに見せ過ぎている点も非常に問題だと思います。確かに4年に1度の開催で、選手の人生を大きく左右する巨大な大会ですから、様々な感動シーンが生まれるのは当然でしょう。


ですが、それを人工的に作ろうとし過ぎではないでしょうか? 「感動」や「絆」というポエムワードがひたすら並び、まるで24時間テレビが指摘されているような「感動ポルノ」を見ているような気分になることもあります。しかも前述のように、感動について言及する人は、主に日常的にその競技を観戦していない人たちです。

24時間テレビで普段は障がい者支援のことなんて微塵も考えていないと思える人たちが、切り取られたVTRだけを見て「感動しました!」と偽善者になり切っている様子に嫌悪感しか覚えないのですが、オリンピック報道も普段は全然そのスポーツのことを気にもかけていない人々が、祭典の時だけ乗っかって偽善的なことが言えることに、ある意味とても感心してしまいます。

残念ながら近年の日本はそのようなポピュリズム的な「感動のための消費報道」が増加しているように感じますが、もちろんそれは決して望ましい姿ではありません。そのような報道をしていれば、「お涙頂戴」コンテンツとして消費されて終わるだけで、決してサステナブルではありません。

他国に比べてお金が無い中で選手たちが頑張っている様子を報じることもありますが、それすらも感動ストーリーに落とし込みます。
それでいてお金はあまり出さない。これではその競技や選手が順当に強くなるはずが無いのです。

日本のスポーツが本当に強くなるためには、「耐え忍んで頑張る姿は美しい」という精神論を国全体で改める必要があるのではないでしょうか? しっかりとしたスポーツ報道をして、本物の固定ファンを増やし、日常的に競技自体を盛り上げて、お金をたくさん投下して、結果的にオリンピックのような舞台で活躍できる選出が増えるという好循環の構築が必要です。
(勝部元気)