「PTA、悪いことばかりじゃないのにな」という声
PTAの役割は、いろいろあるんです(画像はイメージ)。

いよいよ新入学・進級シーズン。ママたちの悩みのひとつに「PTA」の問題がある。


雑誌やウェブの記事でよく取り上げられるPTAの話題というと、ネガティブなものばかり。
「どれだけひどいか」「PTA内で不倫が~」なんて内容は閲覧数も上がるのだろうし、「やらなくて良いなら、やりたくない」と思う人が多いのも事実。

しかし、その一方で「PTAも悪いことばかりじゃないんだけどなあ」という呟きを耳にすることもある。
かく言う自分も小学生の頃に筒井康隆の『くたばれPTA』なんて本を読んでいたくらいで、「PTA=面倒くさい集団」と思っていた。
でも、何の因果か、小中学校で会長、副会長を務める機会があり、たくさんの誤解に気づかされることがあった。

そこで、周囲の会長・副会長はじめ役員・クラス委員経験者などの言葉をまじえて、意外と知られていないPTAの側面をご紹介したいと思う。


「PTAなんて好きな人がやれば良い」「暇な人がやればよい」という誤解


「PTA大好き」という奇特な人は稀にいる。でも、実態は、「役員決めのとき、みんなが下を向いて沈黙し続けたり、じゃんけんで決めて泣き出す人がいたりする空気に我慢できず、『どうしても誰もいないなら』と手を挙げた」という人が多数。
また、仕事をしている女性が多いいま、本当にヒマな人なんてそうそういない。

仕事をしていなくても、親の介護があったり、病気をしていたり、職探し中だったり、下に小さい子がいて育児に追われているなど、個々の事情を抱えている人は多数。だからといって「みんな忙しいのは同じだから、やるべき」というわけじゃない。

あくまで仕事や家庭の事情を踏まえ、できる範囲でできることをやれば良いだけのこと。ただ、それが浸透していない学校や学年なども残念ながらある。



「PTAは大変」じゃないこともある


「PTAは大変、地獄」という偏見ばかりが先行しているが、「実際、やってみたら運動会の準備を1日手伝うだけだった」「仕事をしていて日中学校に行けないから、メール連絡する係をやった」「お祭りの見守りを1日やるだけだった」など、想像よりも実際にやってみると大した負担じゃない役割も多数。


実はPTAは「子どものため」じゃなく、「親の学びの場」


「子どものためだから仕方ない」と思って、渋々活動をしている人は多いが、実はPTAは「親の学びの場」。だから、研修などもある。
「別にPTAなんかで学ばなくても良いよ」と思う人も多いだろう(自分もそうだった)。だが、結果論になるがPTAで学ぶことはたくさんあった。
なぜなら、高校、大学、仕事と進むにつれ、付き合う人間も自分に近い人が増えていき、人間関係がラクになるのが一般的な流れだと思う。ところが、「子どもの親同士」という共通点以外、年齢も職業も趣味も家庭環境も考え方も何もかも違う人たちに出会うのが、PTAという場だ。

いろんな意味で「世の中にはいろんな人がいる」ことを知る。どうすれば伝わるか、理解し合えるかを考え、ときにはどうやっても理解し合えない相手もいることを知る学びの場でもある。


効率化にはメリットもデメリットもある


仕事をしているママの場合、ただ集まってダラダラおしゃべりしながら進めるPTAに時間をとられるのはたまらない。そこで、「自分が一人でやるほうが早いし、みんなもラクだろう」と思い、「書類は作っとくよ」などと言ってしまいがち(自分もそう)。
しかし、それが、誰かの仕事ややる気、自信を奪ってしまうこともある。
「ボランティアだからこそ、効率化すれば良いわけじゃない」と言われることも。
お金が発生しないボランティアだからこそ、無駄なく効率的に進めたいと思う人もいれば、「みんなで楽しく活動したい」と思う人もいる。どちらが正しいとは言い切れない難しさも学ぶことになる。



先生や親同士で仲良くなれる


「友達ができるよ」と言われても「別に親同士の交流なんていらないし」と思う人も多いだろう。
しかし、これも結果論だが、「学校に行くのが恐怖」「学校が苦手」と言っていたママなどが、実際に友達ができると、突然学校が自分にとってのホームになって、誰より学校好きになったり、愛校心が芽生えたりしたというケースは多数ある。
親が学校に来る機会が増え、子どもが嬉しそうな顔をすることもある。


学校はお金がない!と知る


「PTAなんていらない」という意見の中で、よく見かけるのが、「加入しないと、子どもが入学式や卒業式のコサージュをもらえない」云々という話。「そもそもコサージュなんて全員つけるんだから、学校が配れば?」という声もある。
しかし、公立の学校はお金がないことも多い。そのため、校長から「PTAで用意してもらえないか」とおねだりされるものは結構ある。

例えば、冷房のない体育館の熱中症対策で大きな扇風機を買うことになったとき。
学校の設備なのだから、学校が当然用意するものと思うが、「震災で校舎にヒビが入った修繕費用がかさんでいて」などと言われる(実話)。
学校で参加する鼓笛パレードの楽器代や衣装代、陸上競技会・球技会などの子どもたちのユニフォーム代なども、PTA費で賄っている学校は多いと思う。
「学校で使うものなのに!?」と思うが、実際、「お金がない」と言われることが多い。

それでも「納得いかない!」と思う人はいるだろう。しかし、その考えが変わるのは、区内や市内の学校が集うイベントのとき。
地域の商店街などが見守り、応援している学校の場合、寄贈してもらった立派な衣装やユニフォームを子どもたちが着ているのに対し、地域やPTAの支援があまりない学校ではひどくみすぼらしい衣装で参加していることに気づき、可哀想に思うこともある。

それを見ると、「ユニフォームなんてPTAで買う必要ないでしょ? 学校に買わせれば良いんだよ」とは言えなくなる。
ちなみに、「そんなの教育委員会に言えば良い」と思う人もいるだろうが、「予算を引っ張ってこられるかどうかは、校長の力による」という話も聞く。


PTAは地域との架け橋


地域の夜の会議や休日の行事に駆り出されるのは、子どもが小さい頃には特に難儀なもの。
そのため、夜の会議を免除してもらうなど、地域との関わりを減らしているPTAは多い。これは実際ありがたいが、一方で、地域とのつながりがなくなって困ることもある。
一つは、地域主催のお祭りやデイキャンプ、スキー教室などのイベントに、かかわりの薄い学校の子どもは声をかけてもらえなくなるケースがあること。

もう一つは、防災面。
震災のとき、学校は地域の避難所になる。しかし、教員は異動があるため地域とあまり密なつながりがないうえ、教員にも家庭があり、休日は学校に来られないことも多い。
そんなとき、避難所に来た地域の人と学校をつなぐ存在がPTAとなる。お年寄りや体の不自由な方に手助けできる「働き手」世代も、PTAだ。
ところが、PTAと地域のつながりがなくなっていると、非常事態に機能がストップしてしまう。


「PTAでなくても良い」は理想だが、大変


正直、PTAがベストな方法だとは思わないし、「子どもの通学見守り」や運動会などイベントのお手伝いには、その都度、ボランティアを募集するという手もある。

だが、これは理想であり、現実的には大変。
募集したは良いが、手を挙げてくれる人が少なすぎて、結局、役員数名で当番をまわすことになるケースも。
そうなると、「大変すぎるから」と翌年の役員のなり手がいなくて、さらに困ることになる。
「お金を払って見守りを雇えば良い」という人もいるが、いざ集金するとなると、難色を示す人は多数だろう。

「PTA楽しいよー」というポジティブな内容にはならず、恐縮だが、この記事が「何のためにあるの?」の理解の一助になればと思う。
(田幸和歌子)
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