どうして日本のマスコミは右傾化する相撲協会の女性差別に甘いのか?
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日馬富士による暴行事件、八百長問題、貴乃花親方の解任騒動等、不祥事だらけの日本相撲協会が、今後は女性差別問題で不祥事を連発していることが大きな話題になっているかと思います。

2018年4月4日に、大相撲春巡業「舞鶴場所」の土俵上で挨拶をしていた舞鶴市長がくも膜下出血で突然倒れた際、呆然と立ち尽くしていた男性の関係者を掻き分けて、応急処置を行っていた女性看護師に対して、相撲協会の行司が「女性の方は土俵から降りてください」とアナウンスしたことを世界中のメディアが報じ、大きな波紋を呼びました。


また、2017年10月12日に国技館で行われたイベントで、土俵に見立てたステージの上にフェラーリを展示していたことが発覚。「女性はダメで車はオーケーなのか」「相撲協会は女性を鉄の塊以下の存在と捉えているのか」と、インターネット上で大きな批判を呼びました。

さらに、 4月8日に行われた「富士山静岡場所」では、力士が土俵上で子どもの稽古を行う「ちびっこ相撲」に、前年まで参加を許可されていた小学生の女児が参加できなかったことが報じられ、再び大炎上しました。

報道によると、今年3月に巡業部長(春日野親方)名で「年齢にかかわらず女性を土俵に上げないように」との通達が出され、舞鶴の件が起こった4日にも協会の荒磯親方から静岡場所の実行委員会に電話があり、ちびっこ相撲に女児を参加させないよう要請されたとのことです。さらに静岡に限らず、女児の排除は各地で起こっており、全国規模で行われています。

ここにきて執拗に女性排除を始める方針を徹底し始めた日本相撲協会は、右傾化が進んでいるとしか思えません。

「伝統と人命」の優先順位の問題ではない


ところが、これらの問題に対して、海外のメディアは明確な女性差別だと指摘しているにもかかわらず、日本のテレビのコメンテーターたちの口からは、土俵に上げないことは女性差別で、女人禁制自体が問題だという指摘はほとんど聞こえてきません。女性キャスターですら、「伝統とのバランスは難しい問題ですね」のように、女性差別を行う相撲協会の肩を一部持つような発言すら多々見られます。

彼らは一様に「人命を守ることより伝統を守ることを優先させたことは問題だ」と、まるで優先順位の問題だという指摘をしていましたが、人命がかかっていなければ女人禁制という女性差別の因習を引き継いでも良いのでしょうか? 実に人権を理解していない人の発想かつ、人が死ぬようなトラブルさえ起こらなければ既存の価値観に踏み込むことには消極的という「事なかれ主義」だと思います。

仮に人命優先だとしても、それで全てがうまくいくはずがありません。たとえば、再発防止のために男性の医師を常駐させるという対策を考えているようですが、たまたまその場に観客として居合わせた女性医師のほうが常駐している男性医師よりもスペシャリストだった場合でも、女性は土俵に上がらないようにすべきなのでしょうか? 大規模な災害が発生した際、土俵の上から適切な陣頭指揮を行う能力に秀でた女性政治家がいたとしても、その能力に劣る男性が担うべきなのでしょうか?

結局、差別を残す限り、人命が脅かされるリスクは差別が無い状態よりも必ず高くなります。能力ではなく性別でルールを決めているのだから当然です。そもそも男性だけであらゆるトラブルや災害に対処できると思っている、その発想自体が傲慢な女性差別に他なりません。


差別の言葉を子供たちに向けられますか?


また、コメンテーターたちは、ちびっこ相撲の件に関しても、「たとえ伝統でも、子供たちの楽しみを奪うのはダメだ」と言っていました。でも女児を女人禁制の例外扱いにしても、結局大人になったら原則が適応されるわけで、子供たちに「幼い頃だけは認めてあげる理由」をどう説明するのでしょうか? 「なぜならあなたは女性だから」という差別の言葉の矛先を子供たちに向けられるのでしょうか?

「男性と女性では体格が違うから実力的に女性が入る余地は無い。だから女児の時だけ認めるのでも問題無い」という反論が聞こえてきそうですが、「相撲が大好きで、将来プレイヤーとしては難しくても、相撲に関わりたいから行司になりたい」という思いを掲げる女児がいて、「その職業に就くことは諦めろ、なぜならあなたは女性だから」と差別の言葉の矛先を子供たちに向けられるのでしょうか?

行司になれるほどの能力が無いのなら納得できるかもしれないですが、性別を理由にされて納得できるはずがありません。行司になりたい能力のある女性が実際にまだ出て来ていないだけで、女人禁制による女性行司の禁止は、憲法で保障された職業選択の自由を侵害するものであり、男女雇用機会均等法違反にするべき事案だと思います。


言い訳その1「伝統だから」


ここまで女人禁制は女性差別であるとして話を進めてきましたが、相撲協会をはじめ、「女人禁制は女性差別ではない」と主張している人は少なくないようです。彼らは主に「伝統だから」「土俵は神聖な場所だから」「安全のため」という3つの理由をあげて、女人禁制は差別ではないと主張をしていますが、全て言い訳に過ぎないでしょう。

まず、既に多くの識者が指摘しているように、「女人禁制は明治以降神道との結び付きが強くなる中で新たに作られたもので、必ずしも伝統とは言い切れない」と思います。実際、日本書紀にも女相撲が登場する等、土俵の「男性専用」は日本の歴史の中でずっと守られてきた伝統ではないことが明らかです。

確かに新しいものが時間を経ずして伝統になることもありますが、古い因習が槍玉にあがった時に、「これは伝統だから!」という理由で反対しても、何の説得力もありません。ちょんまげや帯刀のように、伝統だろうが何年続いていようが、既に廃止されたものも多々あるわけです。

また、富士山は女人禁制が解除されて老若男女が訪れることのできる場所になりましたが、「富士山は女人禁制を解除しているのに、土俵は解除してはいけない合理的な理由」を説明できる人は相撲協会にいるでしょうか?

このように、「廃止された他のものと違って残すに値する価値」「他の人たちが廃止しているのに自分たちだけ存続する意味」の2つを合理的に説明できないものは、伝統ではなく因習に過ぎないのです。

言い訳その2「神聖な場所だから」


「土俵は神聖な領域だから」という宗教的な理由で女人禁制を正当化しようという発想も、男性は神聖な場所にふさわしく女性はふさわしくないという「扱いの差」を設けているわけで、差別以外のなにものでもありません。その背景には神道の「女性は穢れ」という女人不浄観(=女性蔑視)が存在するわけですが、その発想が一番穢れていると思うのは私だけでしょうか?

そもそも、女性が穢れている合理的な理由が一切ありません。女性の月経血が穢れているという「血穢思想」もありますが、月経血には子宮内膜の融解産物を多分に含みます。月経血が穢れているのなら、子宮内膜で育った受精卵は全て穢れていると思うのですが、どうして男性だけがその穢れから逃れられるというのでしょうか? 女性の性は生命を生み出す性に他ならないので、それを穢れていると規定することは、男性も穢れていると見なすことに他なりません。


また、異性愛者の男性がSEXをする際は、月経血が通る女性の膣に男性器を挿入するため、月経血が穢れているなら当然その男性器も穢れると思うのですが、どうして自分だけその穢れから逃れられるというのでしょうか? 本当に穢れていると思うのなら、SEXが終わった後に、尿道の先から塩を大量に投入して清めるべきでしょう。結局、彼らは自分たちに都合の良い時にだけ女性に対して「穢れ」のレッテルを張っているに過ぎず、それは言い逃れのできない差別です。

なお、それほど個別の宗教との結び付きを強固にしたいのであれば、政教分離の観点からも「国技」としてふさわしくないでしょう。

言い訳その3「安全のため」


ちびっこ相撲の女児追放のニュースが全国を駆け巡った後、相撲協会の芝田山広報部長は、安全面を考慮した措置だと弁明もしましたが、これもまた言い訳に過ぎません。

「女児は男児に比べて顕著にケガのリスクが増加する」というスポーツ科学に関するエビデンスが、どこかにあるのでしょうか? 仮にあったとしても、日ごろしっかり相撲の練習をしている女児に比べて、全く練習をしていない男児のほうがケガしやすいのは誰が考えても分かることで、性差よりも個人差のほうが大きいはずです。単に「稽古歴1年以上」等の条件を設ければいいだけではないでしょうか?

結局のところ、「女性を守るため」というのは身勝手な男性の自己正当化に過ぎません。そもそも度々暴行事件を起こす相撲協会に、安全性の基準を決定できるほどの判断能力は無いように思います。

協会を見限り「新SUMOリーグ構想」を


このように、女人禁制は言い逃れのできない差別だと思うのですが、メディアは日本相撲協会を甘やかし過ぎだと思います。海外のように「女性差別の象徴」だと断じないからこそ、日本相撲協会の体たらくが続くわけで、それはマスコミにも大いに責任があるはずです。

これにはしっかりと女性差別だと指摘できる知識や人権感覚を持った専門家がテレビコメンテーターの中におらず、全然専門でも無い人たちがコメントをしていることや、とりわけスタジオに芸能人コメンテーターばかりになって差別問題への追求力が弱まっていることも大いに関係していることでしょう。

また、ここまで悪いことばかりを繰り返す組織が公益財団法人であるのもおかしい。一連の出来事は「不祥事」ではなく、もう完全に体質の問題ですから、内閣府は即刻認定を取り消しするべきでしょう。

日本相撲協会の自浄作用にはもう期待できないと思っている人も多いはずで、今後は今の在り方に不満を抱いている力士や各界のキーパーソンたちが、「新SUMOリーグ構想」を立ち上げてほしいものです。


相撲の伝統における良い面は残しつつ、女人禁制解除、暴力絶対禁止、外国人差別絶対禁止、八百長絶対反対を掲げて、女子リーグ創設を行うフェアでグローバルなスポーツ団体が立ち上がれば、日本相撲協会が主催する巡業より見に行く人はたくさんいることでしょう。

「相撲からSUMOへ脱皮」して世界中からより多くのファンを獲得するのか、「暴力と差別主義者のたまり場」となって良識ある日本人からも見放されるのか、今が正念場だと思います。
(勝部元気)
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