連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第5週「東京、行きたい!」第27回5月2日(水)放送より。 
脚本:北川悦吏子 演出:土井祥平

連続朝ドラレビュー 「半分、青い。」27話はこんな話


父・宇太郎(滝藤賢一)に勝手に東京行きを断られて激怒した鈴愛(永野芽郁)は、秋風羽織(豊川悦司)に電話し交渉した結果、岐阜に、菱本(井川遥)と担当編集者が挨拶に来る。

どうか私を見捨てないでください


「半分、青い。」の制作統括の勝田夏子プロデューサーにインタビューしたとき、字数に余裕があれば “片耳失聴は国から障害として認定されていない”ことを書き加えてほしいと言われた。これは、認識しておいたほうがいいことのように思う。

障害として国から保障が約束されてはいないが、実際、日常生活には不便があるという、鈴愛の置かれた状況はなかなか大変なことのように思う。

鈴愛は、喫茶〈ともしび〉から、10分置きに、秋風の仕事場オフィス・ティンカーベルに電話をかけ続け、ようやく秋風と電話で話せる。
秋風は別人を装うが、鈴愛は見破る(聞き破る?)。
こういうところは敏い(ふつうわかるか)し、秋風にお願いする口調はとてもしっかりしている。抜けているとことしっかりしているとこが極端なのが天才ということなのか。

「どうか私を見捨てないでください」(鈴愛)
「こんな見苦しい言葉を生まれてはじめて口にしました」(ナレーション・風吹ジュン)
と秋風にすがる。
幸運の神様には前髪しかないということわざがあるが、鈴愛はとにかくがむしゃらにつかむ。

その甲斐あって、多忙な(ゲームして遊んでいる)秋風の代わりに、菱本(井川遥)が担当編集者・小杉(大野泰広)と共に岐阜にやってくる。
電話のときとは打って変わって丁寧に謝罪する菱川に、宇太郎はすっかり丸め込まれてしまう。もともと漫画が好きだから、漫画の出版社の人にも弱い。
結局、晴(松雪泰子)だけが、東京行き反対を主張し続け、孤軍奮闘ということになる。
母と娘のギスギスドロドロのいがみ合いになりかねないところ、「宿敵ゴア」などと言って、できるだけユーモラスに描いているので、救われる。


晴は、世の中の厳しさを知らない鈴愛に、厳しさいっぱいの世界で苦労させたくない。
でも、人間は広い世界に出ないとならない。
晴は、厳しい世界で生きるために嘘も方便と思っているが、鈴愛は、自分のハンディを隠して生きていきたくないと思っている。
でも、このままふくろう町にいたら、自分はぬくぬく守られて生きていくだけになる。だからこそ、ハンディ関係なく、秋風に認めてもらったことが嬉しくて、可能性が広がるかもしれない東京で自分を試してみたくなったのだろう。彼女なりに、見苦しい「見捨てないでください」と言う言葉を使うくらい必死で、いまの状態から突破したいと思っているのだろう。
「私は東京へ行く」ときっぱり。

「信じるもの」を貫くことは、朝ドラでも定番のテーマ。
そのときときに必ずつきまとう他者への不寛容問題は、小さなふくろう町を超えて全世界共通の大問題である。
秋風がトークショーのとき宗教家ふうな物言いをしていたところが、「信じるもの」の多義性を突いているように感じたが、「半分、青い。」を見ていて、私が目下、最も気になるのは、萩尾律(佐藤健)の存在だ。萩尾律問題と言ってもいい。

律は周りに作られているキャラクターである


以前、スポニチアネックスでまとめた佐藤健のインタビューで、印象に残っているのが、
「律は周りに作られているキャラクターである」という発言だった。

「“律って、こうだよね”と彼の周囲の人が語ることで、彼の人物像が出来上がっていくように感じています。このドラマはあくまでも鈴愛のドラマで、律は鈴愛にとってどう見えているかが一番大事かなと思います。そういう役を今まで演じたことがなくて、鈴愛にとって、みんなにとって、魅力的な人物であるように演じたいと思います」と佐藤は律のことを解釈していた。
確かに、母・和子(原田知世)や鈴愛が、律は頭がいい、東大に行ける、ノーベル賞をとれると言っているが、実際の彼にはそこまで学力があるように思えない。
作られた虚像のようになってしまっている。でも必死でそれを実現させようとしているところが涙ぐましい。
そして、鈴愛を守るマグマ大使としても必死で機能しようとしている。どれだけ振り回されても彼女につきあい、彼女の役に立つアドバイス(漫画の道)をする。それを余裕で行うことが彼のアイデンティティになっているかのように。
「好きだ」とか「告白か」とかいつも何気なく鈴愛に言ってはスルーされているところも気になる。たぶんお決まりの冗談の応酬なのだろうけれど、もしかしたら、ほんの、ほんのすこしだけ律は、本気なんじゃないかと想像してしまう(これも勝手な周囲の想像のひとつだけど)。
鈴愛は、自分の信じるもののためにぐいぐい行動していくが、律は周囲が自分に託す期待に応えるために生きているみたいになっていて、そこが鈴愛との対比になっている。

ほんとうのところ、律は何を思っているのか、何がしたいのか、律視点のドラマが見たい。
3ヶ月したら、律サイドから見たら世界は全然違う様相を呈している「半分、律」として反転したドラマをやってくれないだろうか。
(木俣冬)
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