第7週「謝りたい!」第39回5月18日(金)放送より。
脚本:北川悦吏子 演出:土井祥平
41話はこんな話
秋風(豊川悦司)のネームを捨ててしまった疑惑により、鈴愛(永野芽郁)はオフィス・ティンカーベルをクビになり、律(佐藤健)に助けを求める。
そして、鈴愛は、東京最後の夜、バブル東京のメッカ・マハジャロで踊る。
秋風の仕打ち
今回は翌日解決とはいかず、鈴愛は即刻、秋風ハウスまで追い出されてしまう。
岐阜の最終バスもない時間に未成年を放り出すのはありなのか・・・それはドラマだから、としか言いようがない。
そうなっても鈴愛には律がいる。律のマンションの前で笛鳴らし、「り〜つ〜」と呼ぶと、正人(中村倫也)がベランダに出て来た。
その頃、律は【喫茶おもかげ】で、へんな派手な服(本人はおしゃれと思っている)を着て、ホットドック・プレス的な雑誌を読んでいた。「ホットドッグ・プレス」とはバブル期の若者のバイブル的雑誌。これを読んで男子は遊びまくっていた。
「襲わない」
正人に連絡をもらって部屋に戻り、鈴愛を中に入れ、優しく話を聞く律。
鈴愛は一晩泊めてと頼む。「襲わない」からと。
鈴愛と律の間には男女意識がないようなのだが、ことあるごとに「好きや」「告白か」とかふざけあって、
そしてここで「襲わない」だ。
律も鈴愛も、そこそこ男女の差異や恋愛や性欲を認識、自覚しているのに、ふたりの間にだけはそれがないことになっている。理屈で考えると、ん〜? となるが、だからこそふたりは、不可侵で純粋なのだ。そこに、ドラマがある。
それと、すべての言葉と事象が表層化し意味を成さない、それがバブル期のリアルでもある。なんたってバブル(泡)だから。
好き嫌いはあると思うが、コンセプトはしっかりしている。
カケアミ楽しかった
目下、恋より漫画の鈴愛。
漫画家になりたい(なりたかった)と泣く。
「カケアミ楽しかった」という台詞が新鮮だ。
漫画を描くイコール おもしろいお話を描く、かわいい女の子や男の子を描く、だけでなく、
カケアミという独特の技術に悦びを感じて、漫画に親しんでいくというのもありだと思う。
鈴愛のボディコン
すったもんだあって、鈴愛は、マハジャロに行く。
説明するまでもないと思うが、マハジャロは、バブル期に流行った巨大ディスコ・マハラジャをもじったもの。
ジャロというと「JAROってなんじゃろ」を思い出してしまう。
JARO とは、日本広告審査機構の略称で、「悪い広告をなくし、正しいよい広告を育てたい」という理念で活動している。84年、85年に「JAROってなんじゃろ」のコピーを使ったCMを制作した。公式サイトを見たら、そのコピーを使った「ふくろう」編というのもあった。そこに、ふくろうとは「聴力が優れ、360度の視野があること、また、知恵の象徴、守り神」だと書いてある。
40話の関するレビューで書いた、内耳の「蝸牛」に関しても、鈴愛の初デートの場所・明治村には「蝸牛庵」という幸田露伴の家が保存されているそうだ。幸田露伴の作品には「運命」というものがある(内容は全然「半分、青い。」と違うが)。
「半分、青い。」はこうやって掘り出すと思いがけない繋がりがずるずると芋づる式になってきて、神経症的に妄想を刺激しておもしろい。そこまで自覚的に考えているかわからないが、偶然でもこういうことがあるのは、作品になんらかの強い力が宿っている証拠だと思う。
正人のガールフレンドが置いていったゴールドのボディコンを着て、センスを振りまわし、お立ち台に乗る。永野芽郁の足が細くて長くてきれい。
眺めている律はこれでも、鈴愛を女として意識しないのだろうか(しなそう)。でも、マハジャロの雰囲気は楽しんでいるようでなにより。
それにしても、ポテンシャルは高いのにセンスがない男の子っているいる、で微笑ましく見た。

中村倫也と猫もよかったが、たぶん、永野芽郁が猫を乗せてもかわいいと思う。
ミレーヌ不足
正人の部屋に入った鈴愛。
「ナウシカ」 か! と話題になった猫のミレーヌは夜の散歩中?
永野芽郁の肩にも乗ってほしい、ミレーヌ。
(木俣冬)