「世界一の金持ちの孫が誘拐された!」というサスペンスをめぐる映画でありながら、その実「世界一の金持ちとは何か」にフォーカスした『ゲティ家の身代金』。世界一の金持ち、それは世界で一番人間に絶望せざるを得ない男だったのである。

エクストリーム守銭奴VS普通の母ちゃん「ゲティ家の身代金」が迫る世界一の大金持ちの生態

石油王の孫、誘拐される! その時母は!?


若い頃から父親の石油採掘事業を手伝い、ゲティ・オイルを築いた実業家ジャン・ポール・ゲティ。戦後間もない時期に中東に渡ってサウジアラビアなどの油田を手に入れ、1950年代には世界一の富豪となった、超一級の億万長者である。膨大な量の美術品をコレクションし、アメリカ人なのにイギリスに大邸宅を築き、高齢となっても第一線で株取引をする。おまけにとんでもないケチ。とにかくキャラの立った人物である。

1973年7月、このジャン・ポール・ゲティの孫であるジョン・ポール・ゲティ三世がローマで誘拐されるという事件が起こった。身代金を支払うことでポールは同年12月に解放され誘拐犯一味も逮捕されたのだが、事件発生当初、祖父のゲティは身代金の支払いを拒否。誘拐犯との交渉を一切拒絶したのである。その裏で何が起こっていたのかを追ったのが、映画『ゲティ家の身代金』だ。

事件のキーとなるのはポールの母、アビゲイル・ハリスである。アビゲイルはゲティの息子であるユージンと結婚していたが、無職からいきなりゲティ・オイルの重役に取り立てられたことで麻薬に依存するようになったユージンとは離婚。別れた夫の実家は超大金持ちだが、アビゲイル本人は金持ちでもなんでもなく、そもそもゲティ家の人間ですらないという立場である。

麻薬に溺れた父に影響されてか、ローマで放蕩三昧の生活を送っていたポール。
しかしある夜、ポールは道路上でいきなり拉致され、ゲティ家には1700万ドルという高額の身代金が要求される。当然祖父ゲティは身代金を支払うものと思っていたアビゲイル。だがゲティは「ここで身代金を払うと、他の14人の孫たちにも危険が及ぶ」と支払いを拒否。代わりに中東で石油事業の交渉を行っていた元CIAのネゴシエイターであるフレッチャーをイタリアへとさし向ける。

ポールの身を案じて焦れるアビゲイル。しかしフレッチャーの捜査によって、ポールは以前から不良仲間と共に狂言誘拐で祖父から金をせしめるという冗談まがいの計画を立てていたことが判明。この事件も狂言という線で落ち着いてしまう。しかしその後、イタリア軍警察の捜査によりポールを捕えていたギャングたちが人質の場所を移していたことが判明。さらに、切り落とされたポールの右耳がアビゲイルの元に届けられる。

母親として息子の身を案じるアビゲイルの行動に、正しくない部分は全くない。また、誘拐犯の一人チンクアンタはなるべく人質をひどい目に遭わせず身代金をせしめようとするが、その行動もなんだか人間らしい。一方で、ある意味この映画最大の悪役として扱われているゲティの行動は、一見すると異常に見える。


しかし、ゲティの言うことにも一応の論理的正しさはある。確かにこれに味をしめて、彼の14人の孫たちがどんどん誘拐されるようになってしまったら大変だ。それにゲティは、単に交渉を突っぱねただけではない。中東で仕事をさせていた元CIAの交渉人にしてゲティの身辺警護を担当するフレッチャーを呼び戻し、イタリアに派遣している。「犯人と交渉せず、人質を取り返すために専門の交渉人を送り込む」という現代的な方法を1973年にとったというのは、さすがに世界一の富豪というだけのことはある。ゲティはそれなりに筋の通った行動をとっているのだ。

その一方、ゲティは孫が誘拐されている半年近くの期間に、高価な美術品を買い漁る。身代金は一銭も払おうとしないのにである。やっぱりゲティ、これはこれで異常だ。そして映画は、この一筋縄ではいかない金持ちのパーソナリティに切り込んでいく。

世界一の金持ち、それはそれで大変かもしれない……


エクストリーム守銭奴であるゲティだが、その本質はただ単に銭金に汚いだけというものではない。ゲティは人間に対して失望しきっている金持ちである。
恐ろしく有能かつ、やりたいことはなんでもやれるほどの金を持つ男にとって、この世の人間は全員もれなく自分以下の存在だ。おそらく彼には、周囲の人間が全員馬鹿馬鹿しい存在に見えている。だからゲティは美術品を買い漁る。美術品は金があれば買えるし、価値が保証されているし、美しい状態から変化しないからゲティを失望させることもない。

異常である。しかし、おれもゲティと同じ立場だったら、果たしてこの世にうんざりしないで生きていくことができるだろうか。なんせゲティにとって「金がある」という状態にはさして意味がないのだ。自分には死ぬほど金があるのが自然なことで、それゆえに不可能がなく、周りの人間は自分が大量に持っている金なんかのために誘拐のような危ない橋を渡る。

それでいて、ゲティは金を儲けることをやめようとしないし、できるものならこの世の全ての金を手元に置きたいという願望を隠しもしない(この映画の原題は『All the Money in the World』である)。人間に絶望し金と美術品しか信用できない大金持ちであればこそ、息子が麻薬で身を持ち崩そうが孫が誘拐されようが、金と美術品を集めることをやめられない。

常人には理解不能、また理解してほしいとも思っていないこの大金持ちに対して、普通の母親であるアビゲイルはどう戦うのか。『ゲティ家の身代金』の最大のキモはそこにある。
ただのサスペンスではなく「世界一の金持ち」という生き物の生態を追った作品として、なるほどこりゃ厄介な生物だわ……と思わせる説得力があった。

ちなみに事件から解放された孫のジョン・ポール・ゲティ三世だが、1974年には結婚するもアルコールと薬物への依存を断ち切れず、1981年のオーバードーズによる後遺症との長い闘病の末、2011年に母アビゲイルに介護されつつ亡くなっている。54歳だった。
(しげる)

【作品データ】
「ゲティ家の身代金」公式サイト
監督 リドリー・スコット
出演 ミシェル・ウィリアムズ クリストファー・プラマー マーク・ウォールバーグ ロマン・デュリス ほか
5月25日より公開中

STORY
1973年、石油王ジャン・ポール・ゲティの孫であるポールが誘拐された。しかしゲティは、犯人に要求された身代金の支払いを拒否。息子の身を案じる母アビゲイルは、人質奪還のため孤独な戦いを始める
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