筆者が初めて買った洋楽のCDは、確かKISSの『Smashes, Thrashes & Hits』かイングヴェイ・マルムスティーンの『Eclipse』だった気がする。前者はスティーブ・ウイリアムス、後者は田上明、どちらにしろプレロスラーの入場テーマ曲が目当ての購入であった。

プロレスを観つつ、無意識にロックの扉を開けている。思春期にプロレスを触れた男の子であれば、誰しも身に覚えのある経験だと思う。プロレスとロックは、ジャンルとして親和性の高い関係にある。

蝶野を”黒いカリスマ”へ変身させた新テーマ曲


「YOUNG GUITAR」7月号(シンコーミュージック・エンターテインメント)の表紙を見ていただきたい。三鷹の暴走族でありサッカー少年だった蝶野正洋が、フライングVを抱えポーズしている。
佐野元春の曲を使う三沢光晴、「サンライズ」は元は天龍向けの曲だった?『プロレス・スーパーギター列伝』
「YOUNG GUITAR」7月号(シンコーミュージック・エンターテインメント)

同誌が今回組んだ企画は、名付けて「プロレス・スーパーギター列伝」。端的に言えば、プロレステーマ曲特集だ。


テーマ曲のことはひとまず置き、蝶野のレスラー人生を振り返りたい。88年に有明コロシアムで初見参した闘魂三銃士。グレート・ムタの大ブレイクを経て凱旋帰国した武藤敬司、猪木イズムを体現する“強さ”を押し出す橋本真也に比べ、蝶野は遅れを取っていた。G-1クライマックスで3度の優勝を果たしても、名脇役のポジションを脱することができず。
ジレンマに陥った蝶野は、選手会長の役職を離れヒール転向を果たした。コスチュームは白から黒へチェンジ。
そして、入場テーマはミドルテンポの「FANTASTIC CITY」を返上。
「ここで足踏みをしていてもしょうがないということで、一度は会社にダメ出しされたけど、フライングでイメージ・チェンジしたんですよ」
「ロイヤル・ハントのアルバムを聴いて、その中から俺が2曲くらい気に入ったものを見つけていて……、あの曲(「Martial Arts」)は3番手くらいだったかな。確かカミさんが『これがいい』って決めたはず(笑)。俺が決めていたら失敗していただろうな(笑)」(蝶野)

94年秋以降、Royal Huntの1st『Land of Broken Hearts』収録のインストゥルメンタル「Martial Arts」が蝶野の入場テーマ「CRASH~戦慄~」として定着した。
佐野元春の曲を使う三沢光晴、「サンライズ」は元は天龍向けの曲だった?『プロレス・スーパーギター列伝』
『Land of Broken Hearts』/Royal Hunt

武闘派のイメージを具現化するこの曲はファンのハートを鼓舞し、蝶野正洋ブレイクの大きな要因となる。彼の新テーマ曲を初めて耳にした時、熱い胸さわぎがしたことを筆者ははっきりと覚えている。


長州のブレイクと共に名曲に変貌した「パワーホール」


音楽がブレイクの一助になるケースがあれば、本人のブレイクがテーマ曲に輝きを与える場合もある。その最たる例は、長州力の入場テーマ「パワーホール」だろう。
佐野元春の曲を使う三沢光晴、「サンライズ」は元は天龍向けの曲だった?『プロレス・スーパーギター列伝』
『長州力 ~ファイナル・ブルース・ロード』(テイチクエンタテインメント)

実はこの曲、82年10月の“噛ませ犬発言”以前から使用されていた。押しも押されぬ中堅選手・長州のテーマ曲がテレビの電波に乗ることは、当然ながら稀だった。しかし82年以降、状況は一変する。“革命戦士”として脚光を浴びた長州を後押しするパワーホールの旋律は、見事に革命のリズムを刻んでいたのだ。ちなみに作曲者にクレジットされる「異母犯抄」とは、P-MODEL平沢進のペンネームである。


のちに長州は新日本プロレスを離脱、ジャパンプロレスのリーダーとして全日本プロレスに参戦した。この時、異分子との邂逅で火が点いたのが天龍源一郎だ。彼のテーマ曲は、言わずとしれた「サンダー・ストーム」。ギタリスト・高中正義の2枚組アルバム『虹伝説 THE RAINBOW GOBLINS』に収録される一曲である。
佐野元春の曲を使う三沢光晴、「サンライズ」は元は天龍向けの曲だった?『プロレス・スーパーギター列伝』
『虹伝説 THE RAINBOW GOBLINS』/高中正義

サンダー・ストームが天龍のテーマ曲として初お目見えしたのは、1982年2月4日のミル・マスカラス戦。当時は“第3の男”としてジャンボ鶴田の後塵を拝す天龍だったが、全日の中心に立つにしたがい曲も輝きを増していく。
決定打は、長州新日Uターン後の1987年。「全日マットを元のぬるま湯に戻すわけにはいかない!」と、天龍は阿修羅原と2人でレボリューションを始動する。同時に、サンダー・ストームは“風雲昇り龍”の反骨精神を象徴する名曲へと昇華した。

実は、天龍の入場テーマに関して一つ裏話がある。以下は、『1000のプロレスレコードを持つ男 清野茂樹のプロレス音楽館』(立東舎)掲載の情報だ。
『全日本プロレス中継』は天龍を売り出すため、視聴者からテーマ曲を募集する。
その応募の中には、スペクトラムの「サンライズ」も含まれていたという。全日本プロレスのリングアナウンサー・木原文人は「Gリング」コラムで「日テレのスタッフは『これは天龍ではなくハンセンに合うな』と、スタン・ハンセンのテーマ曲に回したんですよ」と書いている。つまり、天龍のテーマ曲が募集されなければハンセンの入場テーマは生まれなかったことになる。

新日への敵意むきだしで用意された「サンライズ」


というわけで、ハンセンの入場テーマ「サンライズ」について。大前提として、日テレスタッフのセンスは図抜けている。音楽ファンとして、同局の選ぶ入場テーマに琴線がくすぐられるのだ。

ハンセンが新日から全日へ移籍したのは、81年より両団体の間で勃発した“引き抜き戦争”の最中。仕掛けたのはアブドーラ・ザ・ブッチャーに食指を伸ばした新日本プロレスだったが、全日がハンセンを抜き返したことで新日は大ダメージを負うことになる。
仕掛けてきた新日には日テレも怒りを抱えており、『全日本プロレス中継』ディレクター・梅垣進は「ハンセンについては新日本プロレスのイメージを絶対に変えてやろうと思った」とテーマ曲でも対抗意識を燃やしていたそうだ。

新日時代のハンセンのテーマ曲は、ガトー・バルビエリの「リベンジャー」やバッド・ボーイズの「ウエスタン・ラリアート」など名曲揃い。でも、負けるわけにはいかない。そこで日テレが編み出したのは、曲を混ぜ合わせる“マッシュアップ”という手法である。
カントリー歌手のケニー・ロジャースの「君に夢中」のウエスタン風のイントロと、日本のロックバンドであるスペクトラムの「サンライズ」を繋げ、繋ぎ部分にはスペクトラムの「モーション」を挿入。サンライズのヴォーカル部分はカットし、カウボーイらしさを出すために馬のいななき(『コロムビア効果音ライブラリー第4集』から引用)やムチの効果音(『CIRCUS SPECTACULAR』から引用)を加えてインスト風の1曲にするという、手の込んだ編集が施された。手がけたのは元日テレの音効マン・小川彦一だ。

全てがワクワクさせるエピソードなのだが、一方、今回の特集ではこんなガックリ話も紹介されている。
「ハンセン自身はテーマ曲に全く無頓着で、馬の鳴き声しか認識しておらず『馬が鳴いたら俺の出番だ』くらいにしか思っていなかったようである」
佐野元春の曲を使う三沢光晴、「サンライズ」は元は天龍向けの曲だった?『プロレス・スーパーギター列伝』
『2 オプティカル・サンライズ』/スペクトラム

謎の多い全日版「移民の歌」


テーマ曲について語ると、筆者はどうしても全日寄りになってしまう。お許しいただきたい。続けて、ブルーザー・ブロディの入場テーマを取り上げたいのだ。彼は全日と新日の両団体へ上がった選手だが、私が論じたいのは全日時代の方である。

ブロディの入場テーマは、レッド・ツェッペリンの名曲「移民の歌」。新日時代は『LED ZEPPELIN III』収録のオリジナルバージョンが使われていた。
佐野元春の曲を使う三沢光晴、「サンライズ」は元は天龍向けの曲だった?『プロレス・スーパーギター列伝』
『LED ZEPPELIN III』/LED ZEPPELIN

一方、全日はまたしても奇異なセンスを見せる。超獣といえば、多くのファンは全日版「移民の歌」をイメージするはず。ここからは『1000のプロレスレコードを持つ男』掲載の文章を引用しよう。
「アフリカの祭りを思わせるコンガ、ゾウの叫びのようなトロンボーンなど、全日本プロレス版の『移民の歌』は、“キングコング感”たっぷりで、まるでブロディのために作られたかと錯覚するほど似合っていた。日本テレビは、原曲にはツェッペリンの色がつき過ぎているという理由でオリジナルを敬遠、あえてカバーバージョンを選んだそうだ」

さて、このカバーバージョンだが、何の作品に収録されているのだろう。98年発売のムック『悶絶! プロレス秘宝館vol.2』(シンコー・ミュージック)に、その答えが記されていた。
「公式発表ではLPのロックメッセンジャーズ演奏によるものだということになっていた。だが、そういうバンドは存在しなかった。これは企画レコード制作にあたって適当につけた名前であり、実際には昭和46年発売のLPに収録されたものがオリジナル。これをきっかけに弱小レコード会社であったユニオンの様々なコンピレーション・アルバムにアーティスト名を変化させながら収録。実に9枚もの盤が出ているが、どの盤も入手は難しい」
「この曲のドラムは石松元というドラマーが担当。元々はジャズ系のスタジオ・ミュージシャンたちが集まって作られた企画物レコードであったようだ。この曲を発見したテーマ曲担当者には本当に心の底からリスペクトしたい」

三沢のテーマ曲が定着する前に使用された佐野元春


最後に取り上げたいのは、三沢光晴の入場テーマ「スパルタンX」である。
佐野元春の曲を使う三沢光晴、「サンライズ」は元は天龍向けの曲だった?『プロレス・スーパーギター列伝』
『スパルタンX』(オリジナル・サウンドトラック)

三沢がタイガーマスクの覆面を脱いだのは、90年5月14日。解説者を務めるグレート・カブキが「おい、何してんの。何してんの!?」と素のテンションで声を上げる中、被っていたマスクを客席へ投げた三沢。プロレス史に残る名シーンだ。
この試合までは寺内タケシとブルージーンズの「タイガーマスクのテーマ」を使用していたが、素顔の三沢には新しい曲を用意しなければならない。暫定的に選ばれたのは、佐野元春の「約束の橋」。その後、紆余曲折があり、三沢本人が持ってきたのが「スパルタンX」だった。

識者はご存知だと思うが、この曲を使用したのは三沢が初めてではない。例えば、UWFとのイリミネーションマッチに際して、猪木が起用した“隠し玉”上田馬之助のテーマ曲はスパルタンXだった。というか、そもそもジャッキー・チェンの映画のサントラ盤に収録された曲である。それらの情報を踏まえたとしても、「スパルタンX」は三沢光晴のために生まれた曲としか思えない。筆者が特に印象深いのは、鶴田との抗争を繰り広げていた時期。“俺たちの時代”(鶴田、天龍、長州、藤波)を打破するニューウェーブへの期待値を高揚させるテーマとして、この曲は全てがハマっていた。

ちなみに、三沢が緑を基調にしたロングタイツを着用し始めたのは90年5月26日から。そして、彼のテーマ曲が「スパルタンX」に定着したのもこの日である。マスクを脱いで12日後、ようやく三沢光晴はスタイルを確立させたというわけだ。

最後に。筆者の思いを言わせていただくと、プロレステーマ曲のベスト中のベストは「サンダー・ストーム」。なぜなら、天龍のキャラクターとファイトスタイルを寸分違わずに表現しているからだ。加えて、「天龍! 天龍!」とファンに連呼させにくいニヒルなテンポ。会場との同化を拒否するリズムは、まさに天龍特有の“北向き”の性分である。
(寺西ジャジューカ)