PENICILLIN千聖&ZIGGY森重樹一 初対談 「みんなが楽しめるのがロックンロール」<後編>
撮影/コザイリサ

――【PENICILLIN千聖 & ZIGGY森重樹一】スペシャル対談前編より

「アイツらは、あれのマネじゃん」と得意げに言うヤツもいたけど、バッカじゃねえのと(笑)。
だって俺はそういうふうに思ってもらいたいからやってるんだよって(森重)



自分のバックボーンに対して嘘をつかないっていう。
嘘ついて音楽やバンドやってたら、辛くなっちゃっていたと思う(千聖)



――PENICILLINは、いわゆるヴィジュアル系と呼ばれるシーンの中から出てきたでしょ。なんか窮屈だなって感じもあったんですか?

千聖:ヴィジュアル系とか、そのへんの呼び方は当時のメディアにお任せで、そもそも、始めた頃はまだハッキリV系という言葉はなかったですね(笑)。本人たちはそのへんは無頓着。こういう感じの音をやりたいってのがまずあったんです。ダークネスな暗い感じで、日本人の好きなしっとり感というか。

森重:分かる、情緒感だね。

千聖:そうです。個人的にはLAっぽいカラッとした感じが好きなんだけど、そっち側じゃない自分の方向を出そうと思ったんですよ。例えばモトリー・クルーが流行れば、逆のスタイルのニルヴァーナが出てくるみたいな(笑)。過去を否定するようななにかが出てくるじゃないですか。

森重:アンチテーゼとして出てくるからね。

千聖:僕はそういう時代の狭間にいたと思うんですね。
結成当時はメタリックなギタースタイルがだいぶいなくなってて...それはそれでかっこいいスタイルだと思います。でも自分はメタリックなギタースタイルが好きで、どんどん突き進んでいったんですよ。周りの人たちの中にはギターがなんか違うとか言われたこともたまにあったんですけど(笑)。でも自分のやりたいギタースタイルはメタリックなものだったし、これと混ぜたらおもしろくなるなとか、自分なりの合わせた形を具現化していったんです。

PENICILLIN千聖&ZIGGY森重樹一 初対談 「みんなが楽しめるのがロックンロール」<後編>
撮影/コザイリサ

森重:PENICILLINの世代は、まだヴィジュアル系のカテゴリーも不明瞭で、ヴィジュアル系のなんたるかがまだ固まりきっていない時代だったように思う。初期ヴィジュアル系と呼ばれるXにしても、(沢田)泰司クンなんかはLAの雰囲気をすごく感じたし、そういうところでの共感みたいなものもすごくあって。ただ、そういうものを持った人が、ひとつのジャンルを作るんだといったとき、既存のスタイルではなくて、日本独特の音楽を作るために、ある種、ユニフォーム的な衣装を全員で着たり、同じような髪型でやり始めたってことなんだと思う。Xにも洋楽の匂いがあったように、PENICILLINにも洋楽の匂いがまだ残っていてね。そこからヴィジュアル系も時代を経ていくと、若いヴィジュアル系バンドを見たとき、自分にはエントランスがもう見えないというか。どこから来たの、という感じ。

千聖:多分、作り上げちゃったので。90年代までにだいたい出来上がったので、2000年代に入ってから、どうするんだって方向になったんでしょうね。


森重:俺はそれ自体がいいとか悪いとか全然なくて。ただ自分が感じたこととして言えば、影響を受けたものを、自分のアピアランスや音楽性として、むしろ隠したくなかったんだよね。「アイツらは、あれのマネじゃん」とか得意げに言うヤツもいたけど、バッカじゃねえのと(笑)。だって俺はそういうふうに思ってもらいたいからやってるんだよって。

千聖:自分のバックボーンに対して嘘をつかないっていう。

森重:そうなんだよ。スティーヴン・タイラーがミック・ジャガーを嫌いなわけないし、ジョー・ペリーがジェフ・ベックを嫌いなわけないんだから。見るヤツが見ればすぐに分かるじゃん。そういうことが繰り返されてきたロックの歴史で、自分もその歴史の中のどっかにちょっとだけ混ざりたいじゃん、みたいな。俺はミック・ジャガー好きだしとか、イギー・ポップも好きだしとか、そういうルーツが見えなかったらおもしろくもなんともないっていうか。俺がオリジナルですなんて、どのツラ下げて言うんだよっていつも思う。最近、音楽のことを考えるとき、例えば大きな図書館があって、そこに音楽のいろんな知識や理論があってさ。
俺たちは学生で、夏休みの自由研究やるのに、その図書館に行くんだよ。そこで借りてきて、これはおもしれえなって、それをネタに曲を作るわけだよ。その図書館はテメーのものでもなんでもないじゃん。だけど「俺様がオリジナルだ」なんて顔してるヤツはいっぱいいるよ。申し訳ないけど、クソみたいな話だと俺は思うよ。

俺は叔父から音楽の理論を教わったり、音楽の授業で先生から教わったものを、自分の知識として大切にしてきた。でもそれは音楽の図書館みたいなところにあるもので、誰でも借り出すことができるもの。それをどうやって使うかが、その人のセンスであり、才能だと俺は思っているからね。ヴィジュアル系の人たちも、多分、そういうふうにやっていて。俺たちとは違うものに影響されながら、自分のスタイルを作っているんだと思う。ZIGGYとPENICILLINには何年かの世代的な違いはあるけど、影響を受けたものをどこかに匂わせたいと思ってやっているんだと思う。それは今回の千聖くんのシングルを聴かせてもらったときに、やっぱり思ったよ。


PENICILLIN千聖&ZIGGY森重樹一 初対談 「みんなが楽しめるのがロックンロール」<後編>
森重樹一

撮影/コザイリサ

千聖:僕はヴァン・ヘイレンとかがすごい好きで、結成から2年くらい、ずっと黙ってたんですよ。でも好きな雰囲気は出てしまうじゃないですか。そしたらレコーディングでプロデューサーに「ヴァン・ヘイレン好き?」と聞かれたんですよ。でもバンドの雰囲気に合わないと言われてしまいそうで、公言してないんですって答えたんですよ。そしたら自分の好きなものを否定する必要はないだろ、と。そこで変わったんですよね。もう隠すのはやめようって。嘘ついて音楽やバンドやってたら、辛くなっちゃっていたと思うんですね。

森重:そうだよ。

千聖:ミック・ジャガーの影響を受けてなにが悪いって。それを今、森重さんの解釈で自分の歌を歌っていることですよね。

森重:そうそう。
死んでもミック・ジャガーみたいな歌は歌いたくないよ。俺は俺の歌を歌いたい。でもそこにミック・ジャガーを好きだと思った過去があることは、けして否定しないよ。

千聖:ホントの意味でのリスペクトですよね。

森重:そうだと思う。本気で好きになったら、なんで、この人はこんな曲を書くんだろうと思ったとき、音楽の表現の根っこはどこに行けば分るんだろうと、俺は模索したくなったよね。例えばジェームス・ブラウンを聴いたとき、そうか、スティーヴンのシャウトはJBから来てるんだ、とかさ、16ビートっぽいものはソウルやファンクから来てるのか、とかさ。小学校のときに聴いていた音楽の中にも、そういや、ソウルっぽいものあったなとか。そういうものが繋がっていけば、俺なりに再構築していったとき音楽になっていくでしょ。それがさっき言った音楽の図書館になにかを借りに行くことだと思うよ。

千聖:あのぉ、森重さん……研究熱心ですよね(笑)。

森重:というか知りたいよ。
俺は自分が凡人だから、天才と言われる人たちがなにをやってきたか知りたい。自分もそういう音楽を作ってみたい、人にそんなふうに受け取ってもらえる音楽を作ってみたいと思っているよ。憧れと自分のできることの間には、少なからず開きはあるとも思っているけど。

千聖:今回の「MONSTERS OF ROCK NIGHT SHOW!」は、森重さんの歌声を意識して曲を書いたところもあるんですよ。それで森重さんが“雨は通り過ぎてく”という一節を歌詞に入れてくれたとき、僕はZIGGYのイメージを勝手に思い浮かべて。「6月はRAINY BLUES」も好きなんで。昔、好きだった女の子に歌ってみせたりとかして(笑)。そういうことも思い出すわけですよね。忘れていたものを急に思い出させてくれて、勝手に感動するわけです。だからじっくりと聴けば聴くほど、一緒に作って良かったなって。青春を感じるんですよね(照笑)。そういう力も音楽にはあるというか。

森重:千聖くんが曲を書いた時点で、それを生み出した人の思いやバックボーンが投影されるわけだよね、曲そのものに。その投影されたものに俺は反応して書いているだけだと思う。意図的にやっているとかじゃなくて、感性の部分で、感じたものにアプローチしていくしかないと思うし。音楽はそれぐらいスピリチュアルなものを持っている気がしてならないんだよ。

千聖:次に機会があったときは、これとは全く違った曲調も投げてみたいって思ったんですよ。森重さんからなにが返ってくるんだろうって、ものすごく期待する自分自身が今いるんです。

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