第23週「信じたい!」第135回 9月5日(水)放送より。
脚本:北川悦吏子 演出:土居祥平

半分、青い。
135話はこんな話
戻って来た津曲(有田哲平)が新たに立ち上げたラーメン店で、鈴愛(永野芽郁)が塩ラーメンをすすっていると草太(上村海成)から電話がかかってきた。
「なにがあってもすべてあのときのときめきからはじまっていることを忘れるものか」
135話では鈴愛と律(佐藤健)、それぞれの人生の岐路が平行して描かれる。
律はカンちゃん(山崎莉里那)を助けるために骨折。なにかと不自由している彼の家にカンちゃんを連れて光江(キムラ緑子)が食事(チキンライスとスープ)持参でやって来た。
説明するまでもないと思うが、光江は、鈴愛の元夫の叔母。働く鈴愛に代わってカンちゃんのスケートの時など面倒を見ているらしい。
光江は律の存在を気にする。鈴愛に再婚してほしいと思っているようだ。
カンちゃんと一緒に工作しながら、律は「何か大事なこと」を思い出す。
それは、子どもの頃、マーブルマシーンやゾートロープ、糸電話を作った感動。
やがてやって来た正人(中村倫也)に、紙コップとストローで作った動く蟹を見せながら、
「何か作りたかった昔から」
「その先に誰かの笑顔があればいい」
「絶対誰かの役に立つと思ったんだ」
などと言う律。
はいはい、誰かって鈴愛でしょ。この人のモチベーションはそれだけだと思う。
それこそ「なにがあってもすべてあのときのときめきからはじまっていることを忘れるものか」である。
この台詞は、秋風羽織の漫画の名台詞という設定(実際はくらもちふさこの漫画を使っている)で、何度か登場している。聞くと心が沸き立ついい台詞だ。
何があっても
あのとき
はじまって
忘れるものか
「な」「あ」「は」「わ」と、あ段の音がはさまって強いリズムを作り出し、印象に残りながらもなめらかだ。
一方、北川悦吏子の台詞の特徴は、短い単語がぶつきりになっているもの。例えば、135話で言うと「律はカンちゃんを助けました。英雄」「病院行ったら 骨 折れてた」「週に一回 みいばあば 来てくれる」など幼児言葉、もしくはものすごくざっくりした翻訳調(なめらかな翻訳調といえば村上春樹)。
助詞や接続詞を省いた喋り言葉は、子どもにも親しみやすく、語彙力も問わず、聴力が十分でない人にも聞き取りやすく、これはこれで印象に残る。彼女のドラマをたくさんの人が見るのは、この台詞のわかりやすさも一因であろう。
独特の台詞を確立した作家にもかかわらず、ドラマの中でいくつかキーとなっている台詞で最も印象に残るものが、くらもちふさこの漫画の台詞であることはいささか惜しまれる。
「なにがあってもすべてあのときのときめきからはじまっていることを忘れるものか」を超える脚本家渾身のオリジナル名台詞を最終回までにぜひ!
晴さんが・・・
鈴愛に債権者対応を任せて、夜逃げした津曲が戻って来た。
彼はフランスブルゴーニュの塩を使ったラーメン屋になっていた。
たしか、作家のTwitterで、永野芽郁に塩ラーメンを食べたい(食べるシーンを入れてほしい)とお願いされて
書いたというようなことが書かれていた記憶がある。
さて。
漫画家から100円ショップ店員、五平餅カフェ、おひとりさまメーカーと来て、五平餅の屋台にも早々に見切りをつけた鈴愛といい、流されていく人たち。
ちなみに筆者は最近、某地方都市のタウン誌のようなものの取材をたまにするのだが、あっちこっち地方を渡り歩きながら、いろんな職業をやって、最終的に飲食店をやっているような人が少なくない。絶対にこれがやりたい!という確固たる目標があるわけでなく、なんとなくここへ来たって印象の人。彼らはたいてい無理しないで楽しく生きたいと言う。その店内は、すごいこだわりではないなんとなくの流行り物がまあまあ感じよく置かれている。世の中には一本筋を通して生きたいヒトばかりではない。いやむしろそういうひとのほうが断然少ないだろう。ゆるやかに流れに身を任せ出会いを受け入れる生き方があっていい。恋愛も来る者拒まずの許容範囲の広い人っているじゃないですか(正人がそうでした)。
流れ流れて生きているうちに、母・晴(松雪泰子)が癌であるという報告を受ける鈴愛。
血相を変えて、律の家で寝ているカンちゃんを迎えに来る。
134話の律の負傷から、晴の病気・・・よくも毎日毎日、大変なことが起こるものだと目をぱちくり。
そもそも、このドラマ、晴の腎臓病にはじまって、鈴愛の左耳失聴、祖母のピンピンコロリ、祖父の一瞬のボケ、律の喘息、瀕死の犬、秋風の癌、元住吉の自殺未遂、祖父のピンピンコロリ、和子の心臓病とずいぶんと病や死に関することを描いてきた。
このどんどん材料を鍋にぶっこむ豪放磊落な感じに、子どもの頃、お友達とリレー漫画をやっていて、毎回、事故や病気(白血病や脳腫瘍、記憶喪失)や殺人などのドッキリシーンを無邪気に入れても盛り上げようとしていたことを思い出してしまうが、長い人生、病気や死はたくさん出会うもの。作家は、朝日新聞のインタビューでこう発言している。
“人は生まれた以上、死に近づくのは普通のことなんですよね。死を忌み嫌うことが差別につながると思います。病気や障害も隠さずにいられる世の中になればいいな、という思いをセリフに込めました。”(朝日新聞 8月31日配信 取材・文:林るみ)
(木俣冬)