『華氏119』は、決して愉快な映画ではない。そしてポスターに描いてあるようにトランプ大統領本人だけにフォーカスした映画かというと、そうでもない。
もっと恐ろしいもののドキュメンタリーである。
マイケル・ムーア「華氏119」トランプ斬りのお手並み拝見、だが思わぬ恐怖に襲われる

マイケル・ムーアの新作は、やっぱりあの大統領のお話です


なんといっても『華氏119』はマイケル・ムーアの映画である。ムーアはスクールシューティングとアメリカの銃をめぐる問題を取り上げた2002年のドキュメンタリー『ボーリング・フォー・コロンバイン』で一躍日本でも名を知られた監督。だが、もともとはゼネラル・モータース大量解雇問題を取り上げた1989年の『ロジャー&ミー』で有名になった人である。

2016年のトランプ大統領誕生のきっかけのひとつとされているのが、アメリカにおいて地元の労働者層が没落したことだ。自動車産業などアメリカ国内の製造業がダメになったことでかつての二次産業従事者が積み重なった不満を抱え、それが移民排斥や「もう一度偉大なアメリカを取り戻す」というメッセージを繰り返すトランプへの支持につながった……と言われている。この見立てが正しいかどうかはここでは検証しない(実際にはそんなに単純な話でもないようだ)。が、ミシガン州の組み立て工の息子であり、過去にGMの大量解雇というアメリカ国内の製造業凋落を取り上げた作品を撮ったムーア監督にとって、トランプ大統領の誕生は決して他人事ではないはずである。

で、『華氏119』だ。映画は2016年、大統領選の直前から始まる。どう考えてもヒラリーが当選するだろうと思われていた選挙で、まさかのトランプ大統領が誕生。当選したにも関わらず全然嬉しそうでも楽しそうでもない新大統領の姿を映しつつ、このトランプという人はどういう人で、なんでこんなことになっちゃったのかという話から『華氏119』は始まる。

正直、映画の最初の方に出てくるトランプ大統領に関する逸話に、目新しいものはそれほど盛り込まれていない。
娘のイヴァンカをちょっとキモいくらい溺愛し、セクハラの常習犯で、独裁者に対する憧れを公言する……。しかし、アメリカにはリベラルな人間の方が多いというデータがあるのになぜこんな結果になったのか、という話になってからのムーアの舌鋒は鋭い。1人1票ではない選挙人制度のからくりや無投票数の多さ、さらにビル・クリントン以来民主党が選挙を戦うために共和党寄りの政策を打ち出してきた点を批判。労働者階級に人気のあったサンダースを降ろして、リベラルエリート寄りなヒラリーを大統領候補に据えたことなどを次々に撫で斬りにしていく。

本来ならムーアも応援していたであろう民主党のやり口もバシバシ批判するところは、さすがにマイケル・ムーアという感じである。さらに市民の中から多様な人種や宗教をバックボーンに持つ若手議員が次々と立候補したり、フロリダのスクールシューティングを発端に高校生たちが銃規制を呼びかけたり、ウエストバージニアで教師の低賃金を解消するために決行されたストライキを紹介したり……というくだりは、なかなか感動的だ。

しかしなんというか、こう言ってはアレなんだけど、マイケル・ムーアだったらこういう映画になるだろうな……という範疇のドキュメンタリーだ。予想外の結論に達する、という類の映画ではない。ムーアお得意のアポなし取材も平常運転、相変わらず怒ってるな!という感じである。しかし、この作品の途中に挟まっているあるパートがかなり衝撃的だった。これを見るためだけにでも、映画館に行った方がいい。それは何かというと、ミシガン州のフリントという街の水道をめぐる事件を取り上げた部分だ。


公営の水道が鉛で汚染!? 怖すぎる汚染とトランプの関係


フリントはムーア監督の出身地だ。それもあってか、取材にも熱が入っている。加えてこのフリントで起きたことは、トランプ大統領のアメリカで起きることの縮図のような側面がある。というわけで、『華氏119』ではいち早く「トランプ大統領的な人」にやられてしまった地域としてフリントの事件が紹介される。

2010年、トランプの古くからの友人であるスナイダーという大富豪が、ミシガン州の州知事に当選する。スナイダーは就任から間も無く緊急事態を宣言。実際には大きなトラブルは発生していないのに市政府から権限を奪い、自らの取り巻きたちを行政のトップに据える。さらにスナイダーは経費削減を訴え、水道水の水源をデトロイト市のヒューロン湖から近くのフリント川に変更してしまう。しかし、その水には鉛が混入していたのである。

フリントは貧困層が多い街だ。住民の多くはすぐに引っ越すことなどできない。おまけに行政側は「水は安全だ」と訴えている。
にも関わらず住民たちは鉛の害で髪が抜け、皮膚に湿疹ができ、子供の知能指数にも影響が出た。凄まじいのは、ゼネラル・モータースの工場から「水道水で洗った部品が腐食する」と突き上げを食らったため、市は工場の水源のみデトロイトに切り替えたという点である。金属が腐食する水を人間に飲ませてるってどんだけだよ……。

で、トランプはこのスナイダーの一連の仕事ぶりを見て「友達が州知事でああいう感じでやってるから、アメリカ全体でもあの感じでいけるかも」と思っただろうし、現にそういう発言もしているんだけど、それでいいのか……というのがムーアの主張だ。どえらいことである。

『華氏119』のフリントの水道をめぐる部分こそ、日本に住んでいる人間が見ておくべき部分だと思う。国内でも水道民営化をめぐる議論は度々蒸し返されているが、水道はライフラインなんだから商売にすれば儲かるのは当然だ。だからこそスナイダー知事も経費を削減して、さらに利益を載せようとしたのだと思う。しかし、その結果起こったのがフリントの事件である。誰かがライフラインで儲けようとした時にまず死ぬのは末端の弱者であること、そして現在のアメリカの大統領が同じような事態を引き起こす可能性があることに、ムーアは激怒している。

とにかくこのフリントの水道のくだりはめちゃくちゃ怖い。そして、同じことが日本でも発生するという可能性は、残念ながらそんなに低くはないだろう。
「ライフラインで儲けよう」という発想自体は凡庸で普遍的なものなんだから、ある意味でトランプ大統領個人を超えた恐ろしさである。そういう恐ろしさといかにして向き合い、粘り強く戦うか。『華氏119』はそういうことに関する映画である。
(しげる)

【作品データ】
「華氏119」公式サイト
監督 マイケル・ムーア
出演 エマ・ゴンザレス アレクサンドリア・オカシオ=コルテス バーニー・サンダース ほか
11月2日より全国ロードショー

STORY
2016年、大方の予想をひっくり返して大統領選に当選したドナルド・トランプ。ドキュメンタリー監督マイケル・ムーアが、なぜトランプ大統領は誕生したのか、さらにトランプが大統領になった時に何が起こりうるかを追う
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