英語学習はもう不要になる?自動翻訳の時代に英語を勉強する意味
英語学習はもう不要になる?自動翻訳の時代に英語を勉強する意味
英語学習はもう不要になる?自動翻訳の時代に英語を勉強する意味
英語学習はもう不要になる?自動翻訳の時代に英語を勉強する意味

何百回聞いたか、「英語は必要!」

これからの時代、英語は必要!
もう何十回、何百回この台詞を聞いたでしょうか。

英語が必要、と叫ばれる背景には、明確に日本の英語教育の効果の低さが背景にあります。英語教育は6年はやっているので本来はできるようになるはずなのですが、本当に英語ができる日本人が大半なら「英語が必要!」なんて言う人はそもそもいないですよね。


小学校から高校まで英語をやり続けても、まともに英語を話せる学生がほとんど育たず、むしろ英語コンプレックスを持ったまま大人になる。そしてまたそんな大人が効果の薄いやり方で英語を次世代に教える……非常に残念なループが続いているのが今の日本の教育の現状です。

大学入試共通テストに「話す」スキルの英語試験

そんな流れを変えようと、国も動いています。2021年から、センター試験に代わり「大学入試共通テスト」が導入されることが決まっています。この内容では、今までのセンター試験の英語になかった、「話す」スキルの試験が追加されています。国としては、大学受験項目に「話す」を入れることで、高校、中学、小学校の教育アプローチが変わってくることを期待しているのでしょう。

ただ、これに対してもまた批判もあります。「この程度の変更では目に見える効果は出ない」というものもありますし、「そもそもそこまで英語にこだわる必要があるのか」というものもあります。

確かに幼児教育でも、英語教育熱はものすごいものがありますし、みんながやっているからやるなど「なんのために英語を身につけるのか」と、目的がボヤッとしたまま英語を頑張っている人も多いのではないでしょうか。

英語を学ぶ必要はない!?

メディアアーティスト・筑波大学助教・デジタルネイチャー研究室の落合陽一氏はインタビュー
「近い将来、言語処理の発展によって英語が全く使えなくても外国人とコミュニケーションが取れるようになる日が間違いなく来ます。ライティングはもう機械翻訳でまかなう事ができるようになってきています」
と語っています。
今でもGoogle翻訳を使えば、簡単な文章は自然に訳すことができるようになっていますよね。

また文章よりも難易度の高い、音声認識技術を活用した自動翻訳に関しても、国立研究開発法人 情報通信研究機構(NICT)が公開している「Voicetra」という翻訳アプリがあったり、ソースネクスト株式会社からは「ポケトーク」という手軽に会話が翻訳できるデバイスが発売されたりと、かなり実用的な翻訳技術がすでに登場しています。今はまだ文章ごとに会話を区切って翻訳するスタイルが一般的ですが、会話を区切らずにそのまま瞬間的に翻訳する技術も研究されており、実用化するまでそう遠くないでしょう。



翻訳機の限界

瞬間同時会話通訳が現実になったら、もう英語は必要ないのではないかという人もいます。確かに日常的な情報のやり取り、一般的なビジネス上のコミュニケーションにおいては英語は全く必要なくなるでしょう。ただ、ここで忘れてはいけないのが、「言語」と「文化」は密接に繋がっている、ということです。
例えば、日本の漫才師がやる「お笑い」を英語に翻訳したところで、英語話者は笑えるでしょうか?

恋愛で愛の気持ちを伝える際、自動翻訳音声でこちらの心からの思いが伝わるでしょうか?
演劇の台詞、歌の歌詞、言葉そのものに芸術的な意味を含んでいるものが、翻訳で伝わるでしょうか?
これらに共通しているものは、「情報のやり取り」ではなく、「共感」です。情報としての意味はわかる…でも、心が動くかどうか、というのはまた別の話なのです。語学を学ぶ、ということは、その語学が持つ文化的な背景を学ぶことでもあります。

日本語にできない英語、英語にできない日本語

たとえば、英語では「commit」という言葉があります。最近ではライザップのCMでも「結果にコミットする…」なんて使われますので、だいぶ日本でも浸透しつつある単語ですが、これは直訳すると「約束する」といった意味があります。ただ、「約束」よりも重く、「責任」「誓い」の意味も伴い、強い意志を表現できます。個人の責任を重視する英語圏文化らしい言葉ですね。これは日本語では表現できず、ただ「約束」と訳してしまうだけでは、本来の単語が持っている意味からずれてしまいます。

また逆に、日本語の「お世話になります」「よろしくお願いします」などは英語では訳しにくい、というのは英文メール初心者の、あるある話ですよね。日本の、謙遜をして相手に敬意を表現する文化ならではの言葉です。訳すなら英語文化の、似たような言い回しに置き換えるしかありません。


つまり、英語なら英語圏の文化、日本語なら日本語圏の文化の背景を知っていることで、はじめてその言葉の真の意味を理解でき、共感につなげることができるわけです。
これから必要無くなるのは「情報の英語」、そしてこれから必要になるのは「共感の英語」だと言えるでしょう。

英語教育は、目的次第

英語は必要!要らない!論争は、どんな目的に使うか次第といえます。
もしもこれから多様化する社会に向けて「多文化の人達と感情の部分で通じ合う」ことが必要、と考えているのなら、やはり必須でしょう。英語、勉強しましょう!

(ムーチョ)

これまでの連載記事はこちら
編集部おすすめ