
米津玄師が10日、「野暮」というタイトルで自身のブログを更新。ロックバンド・ヒトリエのボーカルであり、ボカロP「現実逃避P」としても活動していたwowakaが急性心不全のため4月5日に死去したことを受け、心境をつづった。
米津とwowakaはかねてから親交があり、過去のツイートではwowakaの音楽に影響を受けたことを告白していたり、SNSでツーショット写真をアップするなど仲睦まじい様子をファンに報告していた。
以下、ブログ全文。
こういうの書くの野暮かな、とか思ったりもしたけど、他に何も手がつかないし、気持ちに整理をつける為にもやっぱり書きたいと思う。
wowakaさんと出会ったのは10年くらい前のニコニコ動画だった。当時の自分からすると今まで聴いたことのない音楽を作る人だった。恐らく誰しもがそう感じてたと思う。ほとんど同じ時期に投稿し始めたこともあって、彼にだけは負けたくないと勝手にライバル視していた。それ以上に尊敬していたし、多大な影響を受けた。ワールズエンド・ダンスホールを聴いた時は衝撃で飯が食えなくなった。即売会のイベントで実際に顔を合わせてからは、お互いシャイだからそう言葉数は多くなかったけれど、ああでもないこうでもないと音楽の話をしていたのを憶えている。
そのうちお互いがやっぱり同じくらいのタイミングでボカロから一旦離れて、自分の声で歌うようになった。彼はヒトリエというバンドを組み(最初はひとりアトリエという名前だった)、僕は一人でやることを選んだ。
年を重ねるごとに飲みに行く頻度が加速していき、最近は週二、三で飲んだりしてて、結局同じ話の繰り返しでもう喋ることもないのに静かにお酒を飲んだ。LAMP IN TERRENの大ちゃんと3人でそれをチルモードと呼んで楽しんでいた。僕がしょうもない話をすると顔をくちゃくちゃにして笑ってくれるので、進んでしょうもない人間になろうと努めた。するとたまにマジで嫌な顔するので、申し訳ねえなと思いつつ、それはそれで結構愛おしかった。酔っ払って寝始めると梃子でも動かなくなり、誘導してタクシーにぶち込むまでが彼と飲むときの様式美。それもそれで結構楽しかった。気持ち良さそうに寝てるその姿を写真に撮り溜めてて、いつか本人に全部披露してやろうと思ってた。あれがもうできなくなったことに実感が湧かない。
なんとかできなかったのかな、と今も考える。恐らくこれからずっと考え続ける気がする。
僕にとって彼はライバルであり、親友であり、どこか兄のようでもあった。でも亡くした。今は虚しいけど、それも時間が攫って行くんだろうなと思う。
残されたヒトリエのメンバー、スタッフ、親族の方々、wowakaさんを愛してた人たちの心痛は計り知れません。各々が各々の立場で、つかない折り合いを抱えながら生活して行かなきゃいけないですね。とりあえず僕は、なるたけ今までとおんなじように生きていこうと思います。結局免許取りに行けなかったし海にも行けなかったですね。一緒にいて楽しかったですよ。