
『まんが道』は、安孫子素雄(藤子不二雄A)をモデルにした満賀道雄と、藤本弘(藤子・F・不二雄)の2人が、故郷の富山県高岡市から上京して伝説のアパート・トキワ荘で仲間たちと出会い、人気マンガ家として成長していく自伝的作品である。1970年の連載開始から2013年まで、掲載誌やタイトルを変えながら実に43年もの間描き続けられた。
その影響力はすさまじく、『まんが道』を読んでマンガ家を目指した人は数知れない。『BECK』(ハロルド作石)の序盤のストーリーは『まんが道』を下敷きにしているし、『バクマン。』(小畑健、大場つぐみ)も『まんが道』のネタを取り入れている。
影響はマンガの世界だけではない。お笑い芸人のバカリズムは「一番影響を受けた」と語っているし、脚本家の古沢良太も「『まんが道』で人生決まった」と振り返っている。『孤独のグルメ』原作者の久住昌之は「マンガ家を目指す者でなくとも、日本人ならこれを読まずに死んではいけない」とまで言う。それほどまでに名作なのである。
ところが、そんな名作だが、映像化されたのはたった二度しかない。それが1986年にNHKで制作された『銀河テレビ小説・まんが道』と、翌年の『銀河テレビ小説・まんが道 青春編』である。原作ファンならどちらも必見なのは言うまでもないが、なんと現在、『まんが道』がBS12で再放送が始まっているのだ(毎週木曜夜7時~)。
主人公の見た目が逆だった理由
『銀河テレビ小説』とは1本20分の帯ドラマ。いわば“夜の朝ドラ”だが、回数は15回から20回程度である(『まんが道』は全15回)。
ドラマのストーリーは原作の「立志編」「青雲編」に忠実で、憧れの手塚治虫との面会、満賀の新聞社就職、足塚茂道(2人のペンネーム)としての漫画家デビュー、上京までが描かれる(トキワ荘は登場するが、トキワ荘に引越するのは『まんが道・青春編』のほう)。
主演は竹本孝之と長江健次。竹本は1981年デビューの正統派男性アイドルで、長江はユニット「イモ欽トリオ」で人気を博していた(82年に脱退)。原作では才野茂がノッポで満賀道雄がチビ(でメガネ)だが、ドラマでは逆に背が高い竹本が満賀、背の低い長江がメガネをかけた才野を演じていた。
筆者も長らく不思議だったのだが、撮影当時、長江も「え? 才野は眼鏡かけてないじゃないですか」と疑問を呈したという。ところがスタッフに「これね、あえて逆にしたの」と押し切られてしまったそうだ。当時のチーフディレクターがアーティステックな人だったらしく、何らかの効果を狙ったらしい。竹本は配役のイメージを逆にしたことで「ドラマがまんがから少し離れてきちんと独立できた気がする」と述べている(ムック『まんが道大解剖』より)。
脇のキャスティングもバラエティに富んでいる。立山新聞で満賀の上司にあたる図案部の西森(原作では変木)役のイッセー尾形は再現度抜群。虎口学芸部長役の蟹江敬三、梅木女史役の木原光知子もイメージぴったり。
ふたりが神様として崇める手塚治虫役は江守徹。どっしりしすぎているため、初見では違和感があったが、マンガを描いている後ろ姿が手塚そっくりで驚いた。重厚といえば、ふたりが初めての原稿持ち込みで出会う編集者・大桑(原作の桑畑記者ほかのミックス)役が先日亡くなったケーシー高峰! あんな編集者がのっそり現れたら逃げ出したくなる。昔は怖い顔の大人が多かった……。
『まんが道』はコンプレックスの作品だ
竹本と長江が演じる満賀と才野は、原作に輪をかけて子供っぽく、純粋で、青臭くて、エネルギッシュだ。持ち込み用の作品が仕上がれば、2人で奇声をあげながら銭湯に突入して素っ裸で大騒ぎする(原作の才野は風呂嫌いで銭湯には入らない)。名画『第三の男』を観れば興奮して大声をあげながら走り出し、浜辺でいきなり相撲をとりはじめたと思うとパンツ一丁で砂浜に寝転んで新作の構想を練る。なんかちょっとBLっぽくもある。
故郷・高岡での2人はコンプレックスまみれだ。満賀はマンガ家になりたいのに、マンガの才能と情熱は相棒の才野にかなわないと思っている。才野は才野で、就職した菓子会社をわずか1日で退職。
藤子作品を愛読していた竹本は、『まんが道』を読んで「『まんが道』はコンプレックスの作品だ」と思ったという。コンプレックスがあるからこそ前に進む。だけど、辛いときだって多い。そんなときは2人でいることが最大の武器になる。
「そうか、足塚茂道は2人なんだ!」
「そう! 悩みは2分の1、喜びは2倍! 2人でやっとるメリットだわ!」

『まんが道』ファンなら必見のこのドラマ。『青春編』の再放送も期待しています! なお、DVDもAmazonで入手可能です。
(大山くまお)