NHKの連続テレビ小説「なつぞら」の先週の放送(第11週「なつよ、アニメーターは君だ」)では、広瀬すず演じるヒロイン・奥原なつがついに念願のアニメーターになった。
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なつは高校卒業後の1956年、北海道から上京し、東洋動画のアニメーター採用のための入社試験を受けて失敗するも、その年の秋、仕上げ課の社員として同社に入る。
以来、セル画を塗るなど仕上げ課の仕事のかたわら独学を続け、アニメーターになるための試験を受けること2回、最初の入社試験から数えれば3度目の挑戦で合格したのだ。

ドラマの東洋動画より数年ズレる東映動画の誕生


「なつぞら」に出てくる東洋動画のモデルは、東映動画(現・東映アニメーション)である。劇中、東洋動画はなつが高校生だった1955年にはすでに設立されていたが、現実の東映動画はその翌年の1956年7月、東映が日動映画というアニメーション制作会社を買収する形で設立された。翌57年、東映の東京撮影所内にアニメ制作のためのスタジオが完成。設立3年目の1958年11月には、東映動画の長編アニメーション映画第1作『白蛇伝』が公開される。「なつぞら」に出てきた『白蛇姫』はこの映画を下敷きにしているが、公開は1年早い1957年に設定されていた。

「なつぞら」では、高校時代のなつがディズニー映画『ファンタジア』(1955年に日本公開)を観に行った映画館で、東洋映画の大杉満社長(角野卓造)が完成まもない動画スタジオを紹介するPR映画を偶然目にする場面があった。この元ネタは当時の東映社長・大川博が出演した『白蛇伝』予告編である。5分にわたるこの予告編では、スタジオでのスタッフたちの作業風景も、アニメーション制作の手順を説明するように詳しく紹介されていた。
「なつぞら」で忠実に再現。なつよ、これが東映動画のアニメーター採用試験だ
アニメーション研究家・津堅信之による評伝『ディズニーを目指した男 大川博』(日本評論社)。カバーの肖像写真からうかがえるように、ちょび髭で恰幅のいい体格の大川博は、いかにも“昭和の社長”という雰囲気が漂う

『白蛇伝』の制作は、東映動画設立前の1956年4月にスタートした。翌57年1月には、それまで使われていた日動映画のスタジオから、新たに竣工した新スタジオに移転するが、この時点でストーリー構成はあまり進んでいなかったらしい。しかし大川社長はこの年の年頭挨拶で、「漫画映画の本格的製作」を謳っており、もはやぐずぐずしている余裕はなかった。決定的な脚本もないまま、企画中に練られた素材をもとに絵コンテを描いては、スタッフで検討の上、また描き直すという作業が繰り返される。
同年8月には、監督の藪下泰司が、東映でアニメーション制作を主導した教育部長の赤川孝一(作家・赤川次郎の父親)とともにアメリカへ長編アニメ制作事情の視察に出ている。作画作業が始まったのは、二人の帰国後、1957年も暮れに押し迫ってようやくだった。もっとも大きな課題となったのは、スタッフの手配だった。津堅信之『ディズニーを目指した男 大川博──忘れられた創業者』(日本評論社)では次のように説明されている。

《日動から移籍したスタッフは約30人だったが、これでは全く足りない。このため、作画を担当するアニメーターと、セル画のペイントなどを担当するスタッフらを美術大学や女子高校から急募して、57年末には109人まで増員した。新人たちには日動のスタッフが研修を行いながら、本番の作業を進めたという》

「なつぞら」のなつのモチーフともいわれる東映動画のアニメーター奥山玲子も、『白蛇伝』の作画作業が始まろうとしていた1957年11月、臨時採用で東映動画に入社した。ただ、奥山の場合、なつのように最初からアニメーター志望だったわけではない。東北大学を卒業後、都内のデザイン会社に勤務していたころ、叔父から東映動画の一般公募があると聞かされた彼女は、動画を「童画」と勘違いし、てっきり絵本の挿絵を描く仕事だと思い込んでいた。それがいざ受験すると、いきなり中割り(指定枚数にそって動画を描くこと)を描かされたので驚いたという。ほかにも色々なポーズを描く試験があったが、本人いわく「そちらの成績がマシだったのか」合格する(叶精二『日本のアニメーションを築いた人々』若草書房)。

中割りはその名のとおり、2枚の原画のあいだに指定された枚数の動画を入れることだ。
「なつぞら」では、なつが最初に東洋動画の入社試験を受けた際、設問用紙に描かれた馬が柵を飛び越えて走り去るまでを6枚の絵で表現するという課題を与えられていたが(制限時間は3時間)、これも中割りテストの一種といえる。

のちの「ルパン」作画監督も受けた中割りテスト


中割りテストは、いまなおプロダクションの初期教育や多くの専門学校などでカリキュラムで用いられている。東映動画で奥山玲子の1年先輩にあたるアニメーターの大塚康生によれば、アニメーター志望者に中割りテストを受けてもらうことで、《短い期間で「他人の描いた原画と原画の間にそっくりな絵を入れる器用さを身につけてもらえるかどうか」》、即戦力としての適性を判断するという(大塚『作画汗まみれ 改訂最新版』文春文庫)。

大塚自身も、東映がアニメーション制作を始めると知ったとき、すでに東映との合併が決まっていた日動映画のスタジオを訪ね、このテストを受けている。訪問時、大塚は社長の山本善次郎と演出担当の藪下泰司(当時は泰次。『白蛇伝』の監督)から一旦は採用を断られたが、なおも食い下がったため、素質があるかどうかテストを受けることになった。課題を出したのはアニメーターの森康二である。森は、一人の少年が杭に向かって槌(つち)を構えている絵を示すと、《この少年が槌をふりあげて前の杭を打ちます。槌はこの少年にとっては頑張ってやっと持ち上げられるほどの重さです。このポーズからはじめて打ち下ろすまでを、5〜6枚の絵で表現してください。キャラクターのサイズを替えないで描く》よう指示した(『作画汗まみれ』)。

大塚は、原画の仕事とは、人間や動物の動作の流れのなかから、いくつかのポイントを選んで描くことだとは知っていたので、これは絵よりも「演技力」をテストされているのだと考えた。そこで、「この子がやるとすれば……」と想像し、自らポーズをとって確かめたりしながら絵を描き上げた。
制限時間は2時間だったが、1〜2度直して残り30分くらいで恐る恐る山本と藪下に提出したという。二人はかわるがわる見ていたが、再び森を呼んで意見を求めた。森の返事はクールなものだったというが、大塚の持参した機関車や自動車などのスケッチには感心したようだ(森にはあとになって、テストで描いた絵も「演技が分析的に考えてあった」と言われたという)。このあと協議の結果、「東映(でのアニメーション制作)が始まるまで、ときどきこのスタジオに来て練習してくれ」ということになる。そうと決まると、今度は日動のもう一人の主力アニメーター・大工原章(だいくはらあきら)が藪下に呼ばれ、大塚に練習問題を出した。それは、天狗の子が上から落ちてきてのびてしまうという原画を、きれいな線でまとめて、中に2枚ずつ絵を加えるというものだった。

藪下・山本・森・大工原は、このあと東映動画に移り、同スタジオの基礎を築くことになる。「なつぞら」で井浦新が演じる仲努は森、小出伸也が演じる井戸原昇は大工原をそれぞれモチーフにしているのではないか。また、アニメーターになる前は厚生省で麻薬Gメンをしていた大塚康生の経歴は、ドラマでは麒麟の川島明演じる元警察官のアニメーター下山克己に反映されているように思う。

前掲『作画汗まみれ』によれば、大塚は東映動画の第1期生として臨時採用されるにあたり、日動の推薦ということで採用試験は受けずに済んだという。ただし、入社後には6ヵ月の動画の養成期間があり、その間、2ヵ月目・4ヵ月目・6ヵ月目と3回にわたって審査が行なわれ、1日(8時間)を費やして色々な動きの課題に挑んだ。できあがった動画は、デッサン力や線のきれいさや、そのほかを総合的に見て100点満点の採点が行なわれ、本番(作画の実践)編入となり、さらに編入後の1日の消化枚数も審査対象とされた。


養成期間中の審査のうち2ヵ月目は30点以上をとり、枚数5枚以上を消化したものが合格、それに達しなかった者は次期審査に回された。続く4ヵ月目の審査では上記の基準に達しない者は落とされ、60点以上・10枚以上で合格、それ以外の者は再び6ヶ月目に審査を受け、90点以上・15枚以上に達したら合格とされた。

大塚は早くも2ヵ月目に合格し、東映動画の自社第1作となる短編アニメーション『こねこのらくがき』(1957年5月完成)に参加することができた。『白蛇伝』では、大工原班のセカンド(第2原画)として活躍している。後年には、Aプロダクション(現・シンエイ動画)に移籍し、「ルパン三世」第1シリーズなどで作画監督を務め、日本のアニメ史にその名を残す。

女子社員に不利な条件が課せられた東映動画の実情


「なつぞら」先週土曜放送の回では、『白蛇姫』が大ヒットし、スタッフをねぎらうためスタジオに訪れた大杉社長が、「漫画のみなさん」と呼びかける場面があった。

事実、東映社長の大川博もスタジオに来るたびに「漫画の諸君、こんにちは」と挨拶して、社員から爆笑を買っていたという。まだアニメーションが一般に「漫画映画」と呼ばれていたためだが、その一方で、政岡憲三(戦前からアニメーションを手がけていた日本アニメの先駆者)が言い出した「動画」という語も、手法、様式に多様性を持つアニメーションの訳語として認知されつつあった。前出の東映教育映画部長の赤川孝一もスタジオに来ては「これからは漫画ではなく動画なのだ」としきりに強調していたそうだ(『作画汗まみれ』)。

先週土曜の「なつぞら」ではまた、大杉社長が若い女子社員らに向けて「『お母さんは昔、こんな漫画映画をつくっていたんだ』と、自分のお子さんに誇れるような立派な仕事をしてください」と言っていたことに、なつが憤慨する場面もあった。これというのも、彼女には社長が、女子社員はいずれ結婚・出産したら仕事をやめるのが当然と言っているように聞こえたからだ。なつがこうした不満を漏らしたのには、東映動画に入った奥山玲子の姿勢が反映されているように思う。


奥山によれば、東映動画は女性の多い職場であったにもかかわらず、働く女性にとって不利な条件が多々課せられていたという。実績重視の現場ながら、上層部からは「女性には原画は無理」「せいぜいセカンド止まり」といった差別的な声が漏れ聞かれた。定期採用された後輩の女子が入社時、「結婚したら退職する」と誓約書を書かされたということもあったらしい。また、昇格と引き換えに生涯独身を迫られた人もいた。奥山は《そういう差別的空気に心底怒りを感じて、「よし、私は結婚して子供を産んで、しかも第一線から降りないで仕事をするぞ!」と決意しました》と証言している(『日本のアニメーションを築いた人々』)。

奥山の半生をそのままドラマ化すれば、一種、闘争劇の様相を呈してきそうだが、はたして「なつぞら」ではどこまでこのあたりのことが反映されるのだろうか。今後の東洋動画の進展も含め、目が離せない。(近藤正高)
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