モーニング娘
と山一證券、モーニング娘。と小泉構造改革、モーニング娘。とミレニアム問題……。ニッポンの失われた20年の裏には常にモーニング娘。の姿があった! アイドルは時代の鏡、その鏡を通して見たニッポンとモーニング娘。の20年を、『SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-』の著書もある人気ブロガーが丹念に紐解く。
『月刊エンタメ』の人気連載を出張公開。8回目は2004年のお話。
小渕恵三が「平成」の文字を掲けげてから16年が経った2004年。この年は「自衛隊イラク派遣」(1月)、「皇太子の人格否定発言」(5月)、「性同一性障害特例法の施行」(7月)と、後に日本の歴史に深く刻まれるニュースが相次いで報じられた。

またその時代の節目の波は社会問題だけにとどまらず、同じ2004年、長年人気を誇り、不沈のように思われていた国民的コンテンツにもその存続に大きく影響する話題となって一斉に押し寄せる。近鉄球団の消滅に端を発した「プロ野球再編問題」(6月)、そして年末に判明した「平成初のミリオンセラーシングルなし」(11月)というトピックスである。


これらの出来事に共通していたのは、前時代では常識として根付いていた価値観が、情報化社会の到来により少しずつ崩れ始めたタイミングで表面化したこと。そしてその崩壊にシンクロして、ニュースに対する世間の風向きもまた、それまでと明らかに違っていたということであ る。

結果的にここが平成31年間の折り返し地点になっていたという事実も考えると、ここに時代の変わり目となるニュースが集中したのは、どこか必然だったような気さえしてくる。

そして振り返ればこの年、実は平成前半に生まれたモーニング娘。にもちょうど大きなターニングポイントが訪れようとしていた。2004年、グループの結成メンバーである安倍なつみ飯田圭織を筆頭に、いわゆる黄金期を支えた計5人のメンバーが、相次いで卒業を発表したのだ。


時系列を追っていくとそれはまさに“激動”である。まず年明け間もない1月3日に、辻希美加護亜依が揃って卒業を発表。続く1月25日、前年から予定されていた安倍なつみの卒業ライブが横浜アリーナで行われ、さらに約4カ月後の5月23日には飯田圭織と石川梨華が翌年の卒業を発表。1月1日時点で14名が在籍していたモーニング娘。は、たった半年で約4割のメンバーが卒業確定者になっていった。

しかもファンを驚かせたのは、その卒業のいずれもが、所属事務所側からの相談を起点として決まっていたことだった。
実際に2004年末に出版されたエッセイ本でも、辻、加護が自分たちの卒業を伝えられた瞬間を事細かに語っている。

「卒業って聞いたのは、年末の紅白の終わりです。普通に何も知らされてなくて」(辻)(※1)

「悲しいとか言う前にびっくり。まさかのまさかだったから」(加護)(※1)

なぜ所属事務所はこの時期、メンバーたちに積極的に卒業を促していたのか。プロデューサーのつんく♂がこの時期を振り返り、やはり語っていた言葉がある。

「時代はCDが売れない時代に突入したし。
下手にソロで出して、ランキングが悪いと終わった感も強くなる」「どっちみちもう、ピークのときのようなことは出来るとは思っていなかったから、それよりも早く、それぞれが自分の道を切り開いた方がきっといいという感覚ではありました」(つんく♂)(※2)

モーニング娘。が平成に名を残すことになった理由の1つは、メンバーの才能が熟成しても解散はせず、個々の卒業とオーディションによる加入を繰り返すことでグループを存続させていくという、 今までになかった「卒業加入システム」を採用したことにあった。

しかし解散という区切りがないままずと続いていくグループの環境は、成長後も芸能活動を継続したいと望むメンバーの中ではアイドルとしての引き際を逸するという、一種のゆがみも生み出し始めていた。

「どんどん辞めにくくなるよって、しょっちゅう言っていました」(つんく♂)(※2)

グループの存続を考えながらも、モーニング娘。に青春を懸けてくれた者たちの人生も考えなければならない。時代の境界線で頭を悩ませていたのは、つんく♂を含めた周囲の大人たちもまた同じだった。


「若い子達が一番楽しい時間を全部ここに集中してるわけじゃないですか。青春を懸けてくれた分、結果的には良かったねって言ってもらいたいんですよ、やっぱり」(つんく♂)(※2)

そして実際にこの年、卒業を提案されたメンバーたちはというと、結果として全員がその後もハロー!プロジェクトに残ったまま、テレビドラマや舞台への挑戦、コンサートの開催、あるいは結婚と、卒業後の人生を思い思いに歩んでいった。

モーニング娘。の2代目リーダーでもあった飯田圭織はグループに強い愛着を抱いていたが、卒業の打診を機に「本当は心配だし手を差し伸べたいけど」(※2)後輩たちにグループを託す決心がついていき、それが後の結婚にも繋がっていく。石川梨華は「会社から卒業証書を手渡された感じで」(※2)この頃に改めて自身の未来と向き合った結果、視野が広がり、芸能仕事に新しい楽しさを見つけることができていったと話す。

またモーニング娘。のマザーシップとまで言われ、グループ在籍中はなかなか自由な活動ができなかった安倍なつみも、卒業を告げられたことがやはり転機だったことを後のインタビューで明かしている。

「モーニング娘。はやっぱり自分にとって、特別だったんです」「そこからまた違う朝が始まる。違う人生がスタートするという気持ちを改めて持つことが出来ました」(安倍)(※2)

かつてグループの解散で区切りを迎えていた女性アイドルたちは、その巣立ちを「終わり」という意味合いで捉えられることが多く、その後に個々が新しい道を確立するまでにはかなり長い時間を要した。しかし時代の変わり目に生まれたモーニング娘。は、メンバーの巣立ちの後もグループが母体として残ることで、結果的に「終わらない」OGたちのもう1つのストーリーも紡ぎだしていくことになった。

そしてこのモーニング娘。の一連の動きが、もう一度評価されるべ点がある。それはグループとの関係性がそのまま、未熟な少女からの卒業=家庭に入れば全て終わりという古い価値観を脱しようとする、そんな新しい時代の女性たちの生き方と、自然にリンクしていたということだ。

『愛あらば IT’S ALL RIGHT』(2004年1月21日発売)安倍なつみのラスト参加シングル

※1『U+U=W』(竹書房)
※2『モーニング娘。 20周年記念オフィシャルブック』(ワニブックス)