──今回は金澤さんのアイドル半生をお聞ききしたいと思っています。そもそもアイドルを目指すようになったきっかけは?
金澤 私の場合、とにかく大きかったのが辻希美さんの存在。幼稚園の頃はモーニング娘。さんとミニモニ。さんがそれこそ大フィーバーしていまして、年長組のとき、お遊戯会でミニモニ。さんを踊ったんです。そこから一気にのめり込んでいきました。妹と一緒に常に熱狂している状態で、新曲が出るたびにビデオ録画した映像を何度も繰り返し観て、妹とずっと踊っていました。北海道でコンサートがあると、「絶対に行く!」って姉妹で親におねだりしていましたね。
──そして最初のアイドルグループに加入したのが……。
金澤 小学校5年生のとき。父親と一緒に買い物していたら、街中で声をかけられました。タッチというグループだったんですけど。
──苫小牧のローカルアイドルだったとか。
金澤 苫小牧に住んでいる人は全員が知っているような存在だったんです。でも、いざ活動を始めてみたら本当に大変で……。とにかくすべてを自分たちでやらなくちゃいけなくて。機材運びから会場のセッティングとかも全部。何より辛かったのが寒さです。北海道ですから、冬は氷点下15度ぐらいまで下がる気温の中、ミニスカート姿で会場の準備とかしているんです。すごく印象に残っている出来事があるんですよ。
──でもそのタッチには高校1年生まで在籍します。なぜそこまで長く在籍したんですか?
金澤 同時にやりがいはすごくあったんです。苫小牧市で大きなお祭りがあると、必ず出演させていただいて、「この人たちが少しでもタッチを好きになってくれたら……」って考えると、なんだかワクワクしてくるんです。あと一番大きいのは、“アイドルが好き”だっていう気持ちですよね。その部分だけは、幼稚園年長のときから1ミリも変わらなかったです。
──そしてAKB48の研究生になったのが高1のときですか。どうして応募しようと?
金澤 きっかけは妹です。家で2人で『週刊AKB』という番組を観ていたら、妹が唐突に「私、オーディション受ける」って言い出したんですよ。
──金澤さんの半生記には、要所要所で妹さんが登場します。
金澤 妹の存在は、私にとって、ものすごく大きいです。その妹と私は、10期オーディションで2人とも最終審査まで残ったんです。いよいよ最後の合格発表で、全員が別室に集められたんです。番号が名前順に振られていて、妹と私は同じ苗字だから連番。妹の次の番号が私でした。そして若い番号から順に合格者の番号が呼ばれていくわけですけど……私の番号が呼ばれた瞬間、左隣に座っていた妹がボソッとつぶやいたんです。「あ、終わった」って。私、そのときの声が今でも忘れられなくて。
──妹さんは自分の番号を飛ばされて、自分が落ちたことに気づいたと。
金澤 そもそも「AKB48を受けたい」って言い出したのは妹なんです。
──AKB48研究生としてのスタートはいかがでしたか?
金澤 いきなり最初のお披露目が代々木第一体育館だったんです。さすがに震えました。あの大会場で360度がお客さんだらけだし、客席は隙間なくギッシリ埋まっているし。とんでもない世界に来てしまったなと愕然としました。
──AKB48時代の金澤さんは、研究生とはいえかなりの人気者でした。順風満帆と言っていいと思うんですけど、在籍したのは1年くらいですよね。なんで辞めたんですか?
金澤 学業です。
──学業を諦めるという考えにはならなかった?
金澤 もちろんAKB48の中で恵まれたポジションにいたことは、自分でも重々わかっていたんです。でも……そこはタッチ時代にさかのぼるんですよね。「人生は自分次第でどうにでもなる」という考え方が私の中に染みついているんです。だから一度AKB48を辞めたとしても、本気でアイドルになろうと思えば戻ることができると思っていたんです。
──結果的にはアイドルに復帰します。そのいきさつは?
金澤 AKB48時代、鈴木紫帆里ちゃんというメンバーとすごく仲がよかったんです。その紫帆里ちゃんは、私がAKB48を辞めてからもほぼ毎日電話をくれていたんです。「ゆうちゃんのファンの人が会いたがっているよ」とか、握手会があるたびにファンの方からのメッセージを伝言してくれて。
──それは心がザワつくでしょうね。
金澤 で、そんなある日、事務所の方から荷物が届いたんです。
──そこで闘志に火がついた?
金澤 「何があっても絶対に戻らなくちゃいけない!」って決意しました。だからもちろんもう一度AKB48のオーディションを受けることも考えたんですが、ちょうどそのときに読んでいた雑誌で見つけちゃったんですよね。avex アイドルオーディション2012を。SUPER☆GiRLSのことはずっと気になっていたんです。決定的に好きになったのは『1,000,000☆スマイル』のMV。「なんだ、この可愛い子たちは!」ってショックを受けましたし。
──AKB48ではなくアイストを選んだ決定的な理由というのは何になるんですか?
金澤 ……正直、死ぬほど悩みました。いろんな考えが浮かんできては消え、頭の中がグチャグチャになっちゃって……。もう自分1人ではとても決められないから、何回も何回も家族会議をしました。
──「いろんな考え」というのは?
金澤 すでに出来上がっているAKB48。ゼロからスタートするiDOL Streetの新プロジェクト。人数が多いAKB48に今から入って、埋もれてしまうのも嫌だなっていう気持ちも正直ありましたし。かといってavexのオーディションは、あくまでもiDOL Streetの3期生オーディションだったので、その時点では先行きが不透明だったんですね。あとiDOL Streetを選んだら、叩かれるだろうなっていう恐れはありました。
──実際、iDOL Streetのオーディションに応募し2次審査で顔写真が公開されると、すぐに話題となり、SNSでは予想通りの批判的なコメントもありました。
金澤 予想以上でした(笑)。めちゃくちゃ落ち込みましたから。でも、合格した後、お披露目があって、ステージ上から客席を見たら、AKB48時代から応援してくれていたファンの方が私を見つけて泣いていたんです。その涙に絶対応えなくちゃいけないって思いました。
──その後、iDOL Street 内でGEMが結成され、金澤さんもメンバーに選ばれますが、苦労は続いたとか。
金澤 私以外のメンバーは全員がアカデミー生や、レッスンに通っているメンバーばかりだったんです。そんな中、私ときたら芸能経験こそ長いものの……。
──他のメンバーからしたら、「あの人、小5からアイドルやっているらしいよ」みたいな目で見られるでしょうね(笑)。
金澤 だけど実際にスタジオに入ったら、まるでポンコツ。さらに私は年齢的に一番上だから、リーダーになったんですよね。GEMは「200%ダンスボーカルアイドル」というキャッチコピーがついていて、グループとしては完全にパフォーマンス重視。なのにそのリーダーが、一番重要な部分でみんなを引っ張ることができない。さすがに自分の存在意義を考えちゃいますよね。
──アイドルってグループによって力を入れるポイントがまるで違いますよね。今までの経験を活かすというのは、意外に簡単ではないかもしれない。
金澤 でも、言い訳はできないですから。ある日、スタッフさんに「結果がすべてだから。やらないんだったら、いらない」と話をされました。もう私、そこで大泣きですよ。自分に対する情けなさですね。それで夜中の間、『Speed up』という曲をひたすら1人で踊っていたんです。そうしたら今度は自主練習のしすぎであばらの骨を疲労骨折しちゃって(苦笑)。
──「神様は私が自主練することも許してくれないんですか?」って呪いたくもなる(笑)。
金澤 練習したところで、結局、かえってみんなに迷惑をかけるという(笑)。それで骨折したすぐ後にiDOL Street全員が参加する大きなイベント「無料ハイタッチ会」が行われたんです。これは無料ということで、おそらく長時間のイベントになるだろうと言われていました。そこで私は「骨折していても大丈夫だから、絶対に出ます!」とスタッフさんに直談判したんです。スタッフさんからはすごい勢いで止められましたけど、「絶対に出ますから!」の一点張りで押し切って最後まで参加しました。プロデューサーの樋口さんからも、のちに言われました。「あのときの根性はすごかった」って。「自分がアイドルとして他の人に勝っていることは何か?」って考えたとき、私には根性だけしかないんです。
──そのGEMですが2018年3月31日に解散してしまいます。その後、なぜSUPER☆GiRLSの加入へと繋がったんでしょうか?
金澤 まず最初に考えたのは「芸能の道を続けるか?」ってことなんです。というのも私の場合、小5からずっと芸能をやっていたものだから、友達と遊ぶことも全然なかったし、修学旅行にも行ったことないし……。そういう当たり前のことに対する憧れがありました。
──なるほど。様々なことを犠牲にして、アイドル活動は成り立っていますからね。
金澤 そこで決め手になったのは、やっぱりファンの方の存在なんです。GEMの解散というのは、ファンの方が望んだものではもちろんない。それなのにここでファンの方を置き去りにしてしまったら、過去の自分と同じになると思ったんです。正直、AKB48の活動を辞退した後の、段ボール4箱が頭によぎりました。それに、ずっと担当してくれているスタッフさんもいる。スタッフさんもファンの方も一緒に歩んでくれる。自分1人じゃないんだって考えたら、人生でこんなに素晴らしいことは他にないなって、心からそう思えたんです。
──芸能界で続けるにしても、スパガのオーディションを受けることに抵抗はなかったですか?
金澤 「AKB48か? iDOL Streetか?」で悩んだとき、スパガがあったからこそiDOL Streetを選んだというのは結構大きかった。逆に言うと自分がここでスパガに入ったら、あのときiDOL Streetを選んだ意味がようやく出てくるというか。ただ一方で自分の中でGEMは最強のグループだったから、「そこを超えられるのか?」という葛藤もありましたね。自分のアイドル人生をGEMで終わりにするというのも、GEMILYに対する誠実さなのかなとも考えましたし。
──そこは難しいところですね。
金澤 だけど「会えるのと会えないので、どちらのほうがいいのか?」って話になると、おそらくだけどファンの方からすると会えたほうがうれしいんじゃないかと。これが第一の考え。それとスパガに入ったら苦労は絶えないだろうけど、これまでのアイドル人生もいろいろありすぎたから、なんでも乗り越えられる気はしたんですよ。どん底なんて慣れっこですから。
──それにしてもそこまでこだわりたくなるアイドルの魅力ってなんなんでしょう?
金澤 「1人じゃない」という部分が大きいという事です。ファンの方がいる。スタッフさんがいる。家族がいる。自分のことを支えてくれる人が大勢いるからこそ、勝手に辞めることもできないですし。家族に対しては、いろいろ考えちゃいます。私は高校生から1人暮らしを始めて、金銭的にも迷惑をいっぱいかけたと思うんです。自分が親だったら、「夢のため」とか言って子供が東京に出ていくのはやっぱり寂しいですよ。いろんなことを犠牲にして、私はアイドルを続けていたんだなって。そう考えると限界だと思うまでとことん頑張って、周りに恩返しするしかないです。私のせいで周りを振り回しているわけですから。それは家族だけじゃなくて、ファンの方に対しても同じです。アイドルってキラキラ輝いているように見えるけど、周りの支えがないとできないお仕事なんです。でも、そこが魅力だとも思います。
──どうなったとき、金澤さんは完全引退に踏み切れますかね?
金澤 今は単独での武道館公演を目標にしていますけど……でも、武道館のステージに立ったら立ったで、私のことだから「もっと大きなところで!」とか言い出すような気もしますし。私、お仕事のことを親に相談することは少ないんです。相談しても特に父親からは怒られますから。それって結局、心配をかけているからなんですよね。もう大丈夫だって思われていたら、安心して見ていられるはずだから。私って好きなことはとことんまでできるけど、興味がないことは全然ダメなんですよ。だから、せめてこのアイドル人生をスパガで最後まで燃焼させたいですね。