【前編はこちら】武藤敬司引退・90年代プロレスの最終回と令和女子プロレスの夜明け、伊藤麻希が空気を変えた
【写真】「馳浩を超えた!?」とSNS騒然、渡辺未詩の豪快なジャイアントスイング【54点】
ドームのど真ん中に立つ、といっても東京女子プロレスの試合はメインイベントではない。
17時からの試合開始に先駆けて行われる、いわゆる『第0試合』。だから、まだ照明もしっかりと組まれておらず、客席も明るいまま。
しかも第0試合のスタートは午後4時。週末ならまだしも平日(火曜日)の夕方早い時間だ。
しかもリングの音を拾うマイクが設置されていないようで選手の声も、レフェリーがリングを叩くカウント音さえも客席には届かない(PPVではしっかりカメラが音を拾っていたので、観戦して感じるものはまったく違うものになっていたと思う)。なかなか厳しい環境下になるはずだった。
だが、そうはならなかった。なぜかというと、この時点でかなり客席が埋まっていたから。みなさん有休などを駆使したのだろう。
この日は不織布マスクを着用していれば声出しOK。ただ、3年間も黙って観戦する習慣がついてしまっているので、なかなか声を出しにくい。
そんな状況を打ち破ったのは伊藤麻希。タッチを受けてリングに入ると、なぜか、その手にはマイクが。入場してすぐにリングアナからマイクを奪うのならわかるが、わざわざ用意していたのか?
『世界でいちばんかわいいのは?』
コーナーポストに昇って、客席にそう問いかける伊藤。じつはコレ、東京女子プロレスのリングでは「お約束」のアクション。観客が『伊藤ちゃーん』とレスポンスするまでがワンセットになっている。
しかしながら、ここはプロレスリング・ノアの会場。
だが、客席からは『伊藤ちゃーん!』の声、声、声! さすがに3万人の大合唱とはいかないが、それでも数千人が叫んでいるように聞こえた。
そして、まったく女子プロレスを見ない人たちは、このやりとりを見て、思わず笑う。そう、みんなが声を出してしまったのだ。
声を出しやすくなった観客は、すぐさま『おーっ!』と驚きの声をあげることとなる。渡辺未詩の超高速ジャイアントスイングは、伊藤麻希が開けてくれた風穴を、さらにドーム全体まで拡散させた。ドーム級の大技、と表現することがあるが、実際にドームで通用するだけの衝撃だったのだ。正直、武藤敬司引退試合の余韻で観客の記憶から掻きけされてしまうのでは、と思っていたのだが、翌日になっても絶賛の声は止まらない。これはすごい話である。
この試合は無料配信されていたので、すぐさまSNSでも話題になった。『この子、すごいな!』『馳浩を超えた!』。ここにはいささかのラッキー要素もあった。ついさっきまで配信されていた事前番組に出演していた神奈月が、馳浩になりきってトークを展開。多くの人が『あぁ、今日はホンモノの馳先生(現・石川県知事)は来ないんだな』と気付き、馳の代名詞であるジャイアントスイングを頭に思い描いたばっかりだったのだ(事前番組はドームのビジョンでも流されたので、観客も視聴していた)。ノスタルジックな記憶を凌ぐ、現在進行形の高速回転インパクト。さらに対戦相手を2人まとめて投げ捨てる超絶ボディースラムの凄技にドームはどよめきまくった。
たった二つの技で3万人を沸かせ、完全にプロレスラーとして認知された渡辺未詩。武藤敬司が呼び戻してくれた観客に支持された、という意味合いはとてつもなく重くて、大きい。
瑞希は活字では表現不能なので、ぜひ一度、動画で見ていただきたい超難度テクニックの『渦飴』で沸かせた。注目度が高かった荒井優希は惜しくも破れたが、それ以上に坂崎ユカが放った 魔法少女にわとり野郎(トップロープからのファイヤーバードスプラッシュ)の華麗さと説得力にドームは大きな拍手に包まれた。
とはいえ、荒井優希のキャリアの浅さを考えると堂々たる闘いっぷりだった。トップアイドルとして大観衆の前に立つことに馴れているから、場の空気に飲み込まれない。これは大きな武器だ。
試合後、彼女たちは口々に『いつかは東京女子プロレスとして東京ドームで試合をしたい』と話した。
女子プロレス史上、最初で最後となってしまっている東京ドーム大会がおこなわれたのは1994年11月20日。もうすぐ、あれから30年が経とうとしている。もう二度と実現しないのでは、と思っていたが、この日、チラッとではあるが現実味を帯びた。日本プロレス史上最大の夜のちょっと前、夕闇に輝いたのは東京女子プロレスの8人だった。