“鬼軍曹”山本小鉄氏による血の滲むような猛特訓、“プロレスの神様”カール・ゴッチ氏のトランプを使った過酷なトレーニング……。昭和の新日本プロレス道場は、最強を目指す猛者たちが根性論をベースに肉体を鍛え上げる場として機能していた。
翻って現代は、スポーツ界全体が科学的トレーニングと合理的な食事メニューに移行している。

【写真】道場での練習について語る、永田裕志【6点】

 現在、永田裕志は選手として活躍する一方、指導者としてアマレスの選手育成にも深く携わる。昭和と令和でプロレスラーの練習内容はどのように変わったのか? 今でも道場でスパーリングは行われているのか? そもそもプロレスにウエイトトレーニングは必要なのか? プロレスラーの“トレーニング”を永田が正面から論じた。

「僕が新日本に入った頃は、現石川県知事の馳浩さんが練習を仕切っていたんです。それまでプロレスラーの練習というのは手取り足取り教えるというより、“勝手に盗んで覚えろ”という感じだったんですね。その点、馳さんはきちんと筋道を立てながらプロレスを教えてくれるタイプだったので、そこで変わった部分は大きいと思います」

 コロナ以降、合同練習の回数が少なくなったが、メニュー内容は永田の入団当時と大きくは変わらないという。
すなわち最初にストレッチ、そのあとでヒンズースクワットや縄跳びなどの基礎トレーニングを徹底して行っていく。プッシュアップだけで両手の幅に変化を加えながら10種類ほど行うので、それぞれ20回ずつ繰り返すだけでも身体がパンパンに張るそうだ。

「昔と変わった点としては、体幹トレーニングの要素が加わったこと。あとは食事に対する意識も大きく変わりましたね。僕が入門したとき、若手は1日2回ドカ食いするというのが鉄則だったんです。異常にデカい丼を2杯、無理矢理詰め込んで身体を大きくしていました。
ジュニアならではの魅力もあるけど、やっぱりプロレスの花形はヘビー級。デカい人たちがバンバンぶつかるから、インパクトも出るわけであってね。もちろんデカくなりすぎると動きにキレがなくなるので、そこは自分の身体と相談しながら大きくするべきですけど」

 そして時代は変わり、現代の選手の多くは余計な脂肪をつけずに筋肉を大きくすることを念頭に置くようになった。栄養素と食べる時間帯をしっかり考えるのは選手間の常識。低カロリー・高たんぱく質を基本にしつつ、ときにはフルーツも意識して摂取。「プロレスラー=大食い」というイメージは、もはや過去のものになりつつある。


「若手時代、海外遠征で外国人選手の食事風景にビックリしたことがあるんです。控室にゆで卵をボイルする機械を持ち込み、黄身の部分だけを捨てながら食べていた。そうやって理想の身体を手に入れるのかと唖然としましたね。90年代に入ると、日本でもアメリカの影響で栄養学的な考えが出回るようになりました。新日本では、やっぱり第一人者はタナ(棚橋弘至)だったと思う。タナは研究熱心だったから、若手はみんな彼がやっていることを参考にしていましたし」

 そもそもプロレスラーにとって理想の体型とはどんなものなのか? 階級制の競技である格闘技の場合、食事制限や水抜きなどで極限まで身体を絞ることが多い。
一方で受け身が大切なプロレスの場合、ある程度の贅肉が必要という意見も根強く存在する。身長183cm・体重108kgの永田も、IWGPヘビー級王者になった際は「歴代チャンピオンの中でもっとも小さい」とマスコミから揶揄されたという。

「理想の体型に近づこうとするのは大いに結構。でも若い成長過程で身体を絞るような食事やトレーニングをすると、ケガが多くなる印象があるんですよ。今は道場もトレーニング器具がすごく充実しています。でもボディビル的な知識で肉体改造に取り組むのは、ある程度、身体が出来上がってからにしたほうがいいと個人的には思います」

 最近は野球やサッカーのみならず、MMAですら機械を使ったウエイトトレーニングに対する反対意見が出始めている。
永田も大学時代、「ベンチプレスなんてレスリングに必要ない」と先生から厳しく言われた経験があるという。それよりは差し合いやスパーリングでナチュラルに足腰の強さを身につけたほうがいいという考え方だった。

「スパーリングに関してはプロレスに来てからもやることはありましたけど、頻度としては1週間のうち2~3回くらいですかね。今でも好きな選手を中心に道場でスパーしていることがあるけど、それよりは受け身とかロープワークが中心です。受け身は自分の身体を守る意味もありますから。

 あとはプロレスの場合、心拍数を上げるトレーニングが大事なんですよ。
いわゆる息上げというやつ。僕もジョギングする場合、途中でダッシュを交えて心拍数を上げるようにしています。実際の試合ではスタミナと瞬発力の両方が求められますから。それから高地トレーニングも最近は取り入れるようになりました」

 現在は根性論そのものが否定される世の中だ。学生スポーツはもちろんのこと、大相撲の“かわいがり”ですらNGという機運が高まっている。昭和の新日本道場は練習での追い込み方が尋常ではなく、入門者が夜逃げすることもしばしばあった。選手から流れた汗が池のように床に溜まっていたというから、その過酷さは想像を絶する。

「たしかに昔は空調の効いていない道場で、水も飲ませずに猛練習をしていたそうです。ただ、それにも明確な理由があるんですよ。当時は野外での試合も多かったし、エアコンが効いていない体育館で闘うこともあった。照明がガンガン当たる中でぶつかり合っていると、大袈裟じゃなくて脱水症状に陥りますから。そこに対する一種の予防策ですよね。僕が入ったときもまだ道場に空調はついていなくて、G1(CLIMAX)前は暑さ対策で炎天下の多摩川をひたすら走り、自分を極限まで追い込んでいました」

 それに加えて、もうひとつスパルタがはびこった理由があるという。

「昔は今とは比べられないほど入門者が多かったんです。もちろん入門テストを通過したからそこにいるわけだけど、プロとして活躍するには誰が見てもポテンシャル的に厳しい子も中にはいるわけで……。そういった子に諦めさせるために、あえて理不尽にも思える厳しい練習を課したんですよね」

 プロレスラーは超人でなくてはいけない。一般的な価値観からすると異常とも感じるハードな練習を乗り越えてこそ、一人前になれるという考えは根強かった。そのため、道場では先輩やコーチから鉄拳制裁が飛び交うのが日常光景だったのである。

「暴力やしごきがいいとは決して思いません。だけど多少の叱咤激励はむしろありがたかったですよ。そのときは殴ってきた先輩やコーチに対して『この野郎!』と思うんだけど、『今に見てろよ』という気持ちが自分を奮い立たせる面は確実にありますから。何年か経つと、それが感謝の気持ちに変わるんです。

 たとえば亡くなった山本小鉄さんは道場の鬼コーチとして有名ですが、関わった人たちは全員が感謝していますよね。一方でいまだに複数の選手から恨まれているような人もいます。その差は何かというと、結局、愛ですよ。本当にその若手のことを真剣に考えて怒っているのか? それとも単に自分が若手のときに嫌な思いをしたから、それと同じことを繰り返しているだけなのか?」

 ここまで一気に語ると、永田は「それでも、昔に比べて今の若手が楽ということは決してない」と言葉に力を込めた。むしろ今のほうが競争はシビアになっているというのだ。

「今はスパルタ指導こそない代わりに、自分で練習メニューや食事の内容を考えなくてはいけない。他人から強要されないぶん、夜、こっそり1人でトレーニングしたりしていますからね。ガッツも体力もないとレスラーとして生き残れないのは、どの国だって、いつの時代だって同じこと。入門から1年経って何の成長も見られないようなら、肩叩きに遭うでしょう。だから今のヤングライオンだって奥歯を喰いしばるような経験を絶対しているし、ギラギラした想いを抱えているはずなんです」

 昔は試合前のリングで若手がスパーリング練習を公開することもあったが、今はそうした機会もほとんどなくなった。普段は表に出ない選手の練習風景を想像することで、プロレス観戦をさらにディープに楽しむことができるかもしれない。

▼大会告知
永田選手プロデュース興行『永田裕志 Produce Blue Justice XIII ~青義祭会~』
日時:2023年9月10日(日) 14:30開場 16:00開始
会場:千葉・東金アリーナ 
対戦カードとチケット情報は公式HPをチェック!(https://www.njpw.co.jp/tornament/433024)

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