2023年度後期のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』(総合・月曜~土曜8時ほか)。ヒロイン・福来スズ子(趣里)のパワーみなぎる歌声や、ハツラツとした生き様に元気や勇気をもらった視聴者も多いことだろう。
スズ子には、歌手としてのキラキラした魅力だけではなく、梅丸時代から培われてきた”泥臭い”魅力がある。なぜ視聴者は歌手・”福来スズ子”だけではなく、一人の人間”花田鈴子”に心惹かれたのか、その理由を探ってみたい。

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朝ドラのヒロイン」と聞くと、夢に向かって真っ直ぐ突き進む少女や、おてんばで意志が強い少女の姿を思い浮かべるだろう。失敗や挫折をしても、その姿さえも眩しく輝いて見えるのだ。ところがスズ子は、時たま視聴者から反感を買うほどに、朝ドラのヒロインらしからぬ”泥臭い”感情をあらわにしていた。

スズ子は第17週「ほんまに離れとうない」で、「結婚か歌手か」という大きな壁にぶつかった。
村山興業の一人息子である愛助(水上恒司)と結婚するためには、歌手を辞めて愛助を支えなければならない。スズ子は悩んだ末に「ワテ…歌手、辞めようかなぁ」と、歌手人生を手放そうと気持ちを固め始めたのだ。

歌が好きという思いで梅丸に入団し、上京し、戦時中も歌い続けたスズ子の中に「歌手を辞める」という選択肢があるとは思っていなかった。むしろ「そんなの無理や」と、しつこく大阪のトミ(小雪)の元に通い、どうにかこうにか許しを得る勢いで突き進むとさえ思っていた。だがよく考えてみると、それはドラマの中では「結婚も歌手も諦めなかったヒロイン」として美しい物語になるものの、少々リアリティに欠ける展開だ。現実世界で同じ状況が起これば、「結婚か仕事か」に悩み、どちらかを失うことになるだろう。


結婚をとるか歌手をとるか、このスズ子の迷いと決断は、”物語の中”という特殊な状況での出来事ではなく、そこに存在する”福来スズ子の人生”の中で生まれた悩みとして描かれていた。ファンの期待を裏切ってでも「愛する人の側にいたい」という気持ちを優先してしまいたい…そんな自分本位とも言える心の揺らぎを包み隠さず映し出したからこそ、画面越しでも福来スズ子という人間の厚みや深さにが伝わってくるのだろう。

また、第17週と同じくSNSで多くの意見が飛び交ったのが、第21週「あなたが笑えば、私が笑う」で描かれた、スズ子の子離れ問題についてだ。愛助が亡くなりシングルマザーになったスズ子は、育児や家事に追われるも人に頼ることができず、自分一人で全てを背負ってしまっていた。

この時のスズ子には、決して頼れる人が誰もいなかったというわけではない。ただ「愛子と離れたくない」という強い気持ちが前に出てしまい、結果的に稽古や映画の撮影を中断させてしまった。
ところが、視聴者から「シッターを雇えばいいのに」「愛子ちゃんと離れる時間が必要」と様々な声が集まっていたある日、スズ子は愛子を置いてアメリカに旅立ってしまうのである。

一部分だけを見た人は「あんなに離れたくないと言っていたのに」「矛盾している」と感じる展開だったかもしれない。でも、人の考えや意志というものは、ひょんなことからコロッと変わってしまったりする。それは朝ドラのヒロインも例外ではない。

スズ子自身も自分の矛盾した感情に気づき、戸惑っていた。だが葛藤しながら人生を切り開いたからこそ、ステージに立つ時間と家族と過ごす時間には、同じ価値があると気づけた。
そして、スズ子の歌を「嫌い」「お気楽」と言ったかつてのタイ子(藤間爽子)やパンパンガール、生きるだけで精一杯だった小田島親子など、自分の歌が届かない人が存在するという新たな気づきを得ることもできたのだ。

第25週「ズキズキするわ」では、股野(森永悠希)と礼子(蒼井優)の娘である水城アユミ(吉柳咲良)に「『ラッパと娘』を歌いたい」と、宣戦布告をされてしまった。タケシ(三浦りょう太)がとっさに「ありえない!」と言ったように、多くの視聴者も「それは何だか嫌だ」と思ったことだろう。

我らが福来スズ子ならば、水城アユミに対して「それはアカン」「ワテの歌や」と言いそうなものだが、この時のスズ子は「羽鳥先生に聞いてみないと…」と善一を盾にして逃げてしまった。「本当は歌ってほしくない」というズキズキした気持ちや、「水城さんの方が上手く歌ったらどうしよう」という、少し子どもじみたとも言える感情を、つい隠してしまったのだ。

素直に「嫌だ」と言えなかったことへの恥ずかしさ、善一に「僕がいいって言えば、君はいいのかい」と痛いところをつかれた後ろめたさ…決して綺麗とは言えないような感情をここまで描いてしまうのか、と正直驚いた。
そして最後の最後まで”泥臭さ”と戦うスズ子の姿は、舞台に立っているときと同じくらい輝いて見えた。

そんなスズ子が歌合戦の舞台で選曲したのは、「ヘイヘイブギ―」だった。スズ子が自分自身に向き合い続け、弱さや不完全さを認めることができたからこそ「あなたも私も笑って暮らそよ」と、弱い部分を持つ人々にも優しくいられる。劇団からお金を持って逃げた五木ひろきも、ヘマばかりだったタケシも、愛子を誘拐しようとした小田島も、スズ子を何度も悩ませた鮫島も、なかなか友達ができなかった愛子も、そして自分自身も「笑って暮らせればそれでいいじゃない」と、訴えかけていたのかもしれない。

半年間の物語の中で、スズ子はどんどんと強く逞しくなり、時には泥臭い感情をあらわにしながら、艶やかにステージを彩った。華やかな舞台シーンにも元気と勇気をもらったが、それ以上に未熟な部分がありながらも懸命に人生の選択をする姿に励まされた。


スズ子は完璧なヒロインではなかったかもしれないが、その不完全さがスズ子の魅力であり、どの人間も不完全だからこそ、誰かに何かを伝えることができる。それに、輝いて見えるあの人も、見えないところで泥臭い気持ちと戦っているのかもしれない。

不完全なスズ子がステージに立ち、自らをさらけ出す。不完全でもヒロインになれる。物語の主人公になれる。福来スズ子は、これからの朝ドラ史に名を刻むヒロインになったことだろう。

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