脚本:宮藤官九郎、主演:阿部サダヲによるTVドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)の第9話が、3月22日に放送された。(以下、これまで放送されたドラマのネタバレを含みます)

【写真】『ふてほど』最終話のゲスト【3点】

エピソード・タイトルは、「分類しなきゃダメですか?」EBSテレビに勤務する渚(仲里依紗)の後輩・杉山(円井わん)が、カウンセラーの市郎(阿部サダヲ)に相談する場面から始まる。
妊活について語った渚のインタビュー記事が、杉山のことを指したアウティングであり、マタハラであると訴えたのだ。渚は「特定の誰かのことについて語ったつもりはないのに…」と肩を落とす。

今回は特にセンシティブなテーマを扱ったものだな、と思って観ていたら、恋愛にさほど興味がないと語る秋津(磯村勇斗)がマッチングアプリで恋人探しをしたり、サカエ(吉田羊)と息子の担任教師・安森(中島歩)との恋模様が描かれたり、複数のエピソードが重ね合わされる展開に。正直、このような話の作りだとテーマがぼやけてしまうことは否めない。しかも杉山は、「結婚していないのにマンションを買って妊活している」、「無断欠勤が多い」という、“エキセントリックでヤバい奴”として描かれてしまっている。

これまでこのドラマは、一方的に昭和的価値観を称揚させるのではなく、令和的価値観と並置することで、問題を相対化させる試みがなされてきた。
第一話では、本当の働き方改革とは?というテーマを、上司・部下で語らせることで。第三話では、セクシャルハラスメントのガイドラインというテーマを、昭和と令和のテレビ番組を対比させることで。

その手つきや結論のあり方に対して、SNSでは大きな批判にさらされることもあったが、宮藤官九郎は真摯な態度で多様性というテーマに対峙していたものと思う。だが、ここまで杉山を問題のあるキャラクターとして設定してしまうと、昭和的価値観と令和的価値観との対比ではなく、単にエキセントリックな人物による一方的な申し立てに見えてしまう。そうなると、昭和おじさんクドカンが、単に令和に噛み付く構造にも捉えかねない。個人的には、モヤモヤが残る回になってしまった。


『不適切にもほどがある!』は、遂に最終回を残すのみとなった。だが残された問題は山積している。キョンキョンのポスターが貼られていた「喫茶すきゃんだる」は、なぜ昭和と令和を繋ぐワームホールのような役割を果たしていたのか?不登校を続けているキヨシ(坂元愛登)の同級生・佐高(榎本司)は、最終的にどのように物語に関与していくのか?執拗に繰り返される「金妻」オマージュは、どのような意味を持つのか(坂東英二がサプライズ出演することを、筆者は予想しております)。そして、阪神大震災で命を落とす運命にある市郎と純子(河合優実)は、どのような決断を下すのか。

筆者が非常に気になっていることは、クドカンなりの手法で多様性を描くというメインプロットに対して、前述したようなサブプロットが多すぎること。最初は明快だった世代ギャップドラマとしての建て付けがだんだん不明瞭になってきて、物語の中心が見えないのである。


いや、「多様性というテーマがメインプロット」という考え方自体が、誤った先入観だったのかもしれない。それはひょっとしたら、異なる価値観を抱く者同士が連帯して未来に進んでいくという、大きなコミュニティ=家族のドラマなのかもしれない。それはかつてクドカンが、『タイガー&ドラゴン』や『あまちゃん』で示してきたことだ。

果たしてこの流転のドラマは、どんな結末を迎えるのか。最終回は正座して鑑賞させていただきます。

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