7月発売の『ヤングアニマル』では水着グラビアに挑戦するなど芸能活動も行っている。いつも明るい笑顔が印象的な彼女だが、キックボクシングに出会う前は、高校中退から引きこもりの時期を過ごしている。ひたすら家の中で悶々としていた彼女は、いかにしてキックボクシングに出会い、いかにして生きる希望を見出したのか。その生い立ちから話を聞いた。(トレーニング中の写真はこちらから)
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──キックボクシングに出会ったのは22歳のときだったそうですが、今回はその前のことから教えてください。まずそもそもどんな子供だったんですか?
璃奈 小学生の頃は、とにかく習い事をたくさんやっていました。水泳、ピアノ、踊るほうのバレエ、そろばん、学習塾、公文、ダンス……週5~6日、なにかしら通っていたんじゃないかな。親が特に厳しかったというわけでもないんですけど、いろんな習い事をさせようという方針だったみたいです。だけど私は小さい頃から勉強が大嫌いで運動が好き。なので、ちゃんと真面目にやっていたのは水泳くらいでしたね。学校では先生からしょっちゅう怒られていました。
──やんちゃな少女だったと。でも男の子からモテたりは?
璃奈 いや、モテませんでした! 性格面に問題があったんだと思います(笑)。女の子らしくなかったんですよね。小学生のときなんて全然ダメでした。
──中学に入ると?
璃奈 中学では若干モテるようになったかもしれない(照)。でも中学生の恋愛なんて、たかがしれていますからね。付き合っているというだけでキャーキャー騒がれる感じだったし、手を繋ぐときはすごくドキドキしました。私立で真面目な学校だったので、みんな初々しかったですよ。
──学校ではどんな子だったんですか?
璃奈 勉強はできなかったですね(笑)。というか、落ち着いて椅子に座ることができないんです。もちろん宿題なんてしないですし。
──水泳の成績はどうだったんですか?
璃奈 う~ん、いまいちでした。市の大会では優勝できるけど、県大会で優勝して全国大会に出るほどでもないレベル。水泳では目が出なかったんですけど、その代わりに陸上部からスカウトされたんですよ。うちは中高一貫だったので、中3の9月から高校の陸上部に参加できることになったんです。
──足の速さには自信があったわけですしね。
璃奈 ところが、ここでケガしてしまうんですよね。毎日20km以上走っていたので、それが原因だと思うのですが。朝練、夜練……ひたすら山の中を走っていましたからね。

──高校を辞めたのが15歳のとき。キックを始めたのが22歳のとき。この空白の7年間は何をやっていたんでしょうか?
璃奈 いや~、ほとんど何もやっていなかったかもしれない(笑)。すごく中身が薄い7年間でした。最初は時給750円の居酒屋バイトをしていました。それで高校を辞めたら、お母さんがすぐ別の定時制の高校に通うように言ってきたんですよ。だけどこれも通ってみたら合わず、結局、すぐ辞めることになり……。
──覚悟を決めたわけですね。
璃奈 だけど、やっぱり若い女の子が1人で生活するって大変なことなんです。バイトは時給1000円のコールセンターに変えて、それとは別に時給850円のカラオケボックスでもシフトを入れていました。2つ掛け持ちして、1日11時間くらい働いていました。それだけ働いているのに、家賃、電気代、ガス代、水道代だと払っていくと何も残らない。こうなると、もはやなんのために生きているのかわからなくなってきて……。
──ただ、そこからは人生のV字回復が始まるわけですから。
璃奈 いや、まだまだ暗黒期は続きます(笑)。バイトを辞めてから19歳くらいまでの1年半は、家から出ることができなくなっちゃったんですよ。いわゆる引きこもりですね。その頃は人と関わることができなかったから、ひたすら家の中で悶々とする日々。それでもなんとか気分を変えようと、何度か住んでいる場所を変えてみたりもしました。大阪の別の場所に引っ越したり、四国に移住したりとか……。
──人生の目的を見失っていたのかもしれません。
璃奈 そんな生活を続けていると、あるときに街で「モデルをやりませんか?」と声をかけられたんです。
──スカウトは19歳のときが最初だったんですか?
璃奈 はい。だけど小6のときにAKB48さん1期生のオーディションを受けたことはあります。親が勝手に応募しちゃったんですよ。東京でやる最終選考まで進んだんですけど、当時の私は芸能界より水泳のほうが大事だったから、申し訳ないですけど辞退させていただきました。でも19歳のときは単なる引きこもりだったから、声をかけられたことがうれしかったんです。それで東京に出ることにしたんです。

──東京の芸能界で一旗揚げようということですか。
璃奈 いや、「絶対に女優になってやる!」とか、そういうやる気溢れる感じでもなかったです。元気が出たから何かやりたかったんですけど、大阪だと知り合いも多いので劣等感にさいなまれるんですよ。みんな、その頃は大学に行ったりしていましたからね。誰も私のことを知らない場所で、もう一度ゼロから頑張ってみたかったんです。
──なるほど。東京に出てきてからは?
璃奈 とりあえず私は身体を動かさないと元気になれない人なので、引っ越ししてすぐにバク転教室に通い始めたんです。
──バク転教室?
璃奈 あるんですよ、そういうものが。だけど、バク転の世界は世界で厳しいんですよね。練習ですごくケガするんです。手首や足首をすぐ捻挫しちゃう。東京に出てきたばかりの頃の私はバク転しかやることがなかったから、週6ペースで通っていましたけどね。教室も2つ掛け持ちしていましたし。コールセンターのバイトをしながら、毎日クルクル回っていました。
──そこから、どうやってキックボクシングに繋がるんですか?
璃奈 そのバク転教室では、殺陣やアクションも教えてくれたんです。そこでキックやボクシングに初めて触れ、あまりの楽しさにビックリしました。なので、すぐにキックボクシングのジムを探すことにしたんです。最初は六本木のエクササイズ系ジムに行ってみたんですけど、これがめちゃくちゃ面白かったんですよ。いきなりマススパーをやったんですけどね。あまりにも面白いから、できれば毎日通いたい。毎日通うなら、近所のほうがいい。それで一番近くにあったキックボクシングのジムが、今所属しているSTRUGGLEなんです。
──それまでは格闘技に興味もなかったわけですよね?
璃奈 はい、まったく知らなかったです。試合も一切観たことなかったですし。もちろんルールなんてわかるわけない。
──それなのになぜキックボクシングにそこまでハマったんでしょうか?
璃奈 単純に身体を動かすことが好きということにプラスして、強くなることができる。そこだと思うんですよね。ひょっとしたら男性にも勝てるかもしれないって考えたら、ワクワクしてきました。思えば小学生の頃から強さに対する憧れは強かった気がします。『ドラゴンボール』が好きだったし、お兄ちゃんにケンカで勝てないとすごく悔しかったですし。強さって自信に繋がるじゃないですか。学生時代、私は足が一番速いということで自信を持てたし、それでなんとか生きていくことができた。強さを手に入れたら、自信を持って人生を送れる気がしたんです。
──そういうものですか。
璃奈 点数やタイムを争う他の競技と違い、キックって殴られたり蹴られたりするから痛いんです。自分が弱いと、自分がやられて、自分が痛くなって、自分が負ける。この単純さが好きなんでしょうね。私だって殴られたくないし、痛いのは嫌。だから必死になりますよ。

──初めての試合は?
璃奈 ジムに通い始めて半年後、アマチュアの大会に出ました。試合内容はボロボロでしたが、なんとか勝つことはできました。無我夢中で手を出していただけだから、何も覚えていないんですけどね。試合が始まる前は「本当に私は人を殴ることができるのか?」と怖くなりました。ジムでサンドバッグを相手にしているのと違いますから。試合だと相手の苦しむ表情も見えますしね。
──それが23歳のときで、その後は?
璃奈 最初の試合の3ヶ月後に2戦目をやったんですけど、ここで負けてしまったんですよね。その負けがもう……めっちゃくちゃ悔しかったです! みんなの前で大号泣していましたから。試合で負けることがこんなにも悔しいなんて、自分でも驚きました。立ち直れないんじゃないかと思いましたし。それまでも週6でジムには通っていたんですけど、このままじゃダメだと心を入れ替えたんです。パーソナルジムで体幹を鍛え、フィジカルを高めるために筋トレをして、マッサージのケアも徹底させました。
──本気になったら、徹底してやる性格なんですね。
璃奈 そうかもしれない。バイトも時給が高い夜のバーに切り替え、労働時間を減らしつつ昼は練習だけするようになりましたし。でもおかげさまで、そこからはアマチュア10戦、プロ5戦と負け知らずで来ています。
──芸能関係の仕事は?
璃奈 東京に来てからは、ほとんどやっていなかったんです。少しだけ事務所に所属したこともあるんですけど、最初のアマチュアの試合に出るときに反対されたんです。「芸能界でやるつもりなら、格闘技は絶対ダメ」って。そこで「芸能界にするか? 格闘技にするか?」という選択になるわけですけど、なんの未練もなくキックを選びました。
──すごく真剣にキックに取り組んでいるのが伝わってきます。この取材もそうですけど、「美女アスリート」という切り取られ方をすることも多いと思います。正直、そのことは面白くない?
璃奈 もちろん試合の中身を観てほしいという気持ちはありますよ。だけどそれ以外の面で知ってもらったとしても、この競技を本気でやっていることは伝わると思うんです。それにやっぱりファンの方を増やしたいというのは本音としてあります。ファンの方がいるからこそ、私たちは試合や練習ができるわけで。こうやって取り上げていただくことで、選手としての知名度も上がりますし。今はスポンサーさんにもついていただいたり、応援してくださる方々がいてくださるおかげで私はバイトせずに頑張れている。今の格闘技界だと、ファイトマネーだけで生活できている選手って本当にごく一部だと思います。

──最近はグラビアの活動もしています。
璃奈 それもファンの方が増えるかなと思って……。今は芸能事務所にも所属していないから、試合以外のお話も全部ジムに来るんです。本来は格闘技のジムなのに、気がついたら芸能マネージャーみたいなこともやっていただいております(笑)。
──グラビア撮影での水着は抵抗なかったですか?
璃奈 もともと水泳部でしたからね。これがTバックとかだったら抵抗もあったかもしれないですけど、健康的な感じでしたし。露出的な面だけでいえば、むしろ競泳水着のほうが激しいと思いますよ。ハイカットですし。
──今後、芸能活動を広げていく予定は?
璃奈 「一番大事なのはキック」というのが大前提としてありまして、練習に支障をきたさないレベルだったらやってみたいなという気持ちはあります。私、器用な人間じゃないからスケジュールをガンガン入れられると練習が中途半端になっちゃうと思うんですよ。今はまだそこまでじゃないから、やっていけていますけど。
──今後、どんな選手を目指したいですか?
璃奈 今は女子選手の層も厚くなって、子供の頃から本格的に取り組んでいる人も多いんです。そんな中、経験もさほどない自分がベルトを獲れたら夢があると思うんですよね。それを見て「私も始めてみよう!」と思う人が1人でも現れてくれたらうれしいですし。
──「生きる意味が見つからない」と引きこもっていた少女は、キックボクシングと出会ってどう変わりました?
璃奈 今は毎日が楽しいんですよね。昔は将来が不安だったんですよ。「このまま1人で死んでいくだけだろうな……」って15~16歳のときは考えていました。大人になりたくなかったし、年を取ることが怖かったです。だけど今は将来が楽しみで仕方ない。半年後、1年後の自分がどれくらい強くなっているのか楽しみだし、明日の自分がどれくらい成長しているのかも楽しみ! 好きなことをやれている充実感は、何物にも代えがたいなって実感しています。

▽ぱんちゃん璃奈
1994年3月17日生まれ、大阪府出身。本名は岡本璃奈。リングネームの“ぱんちゃん”は『ドラゴンボール』に登場する孫悟空の孫娘“パン”から。
▽取材協力:Struggle
https://www.struggle06.com/
インタビューの本文は全ページまでで終わりだが、こちらのページではボーナストラックとして、ぱんちゃん璃奈選手のプライベートを少しご紹介!
──オフの日は、どのように過ごしているんですか?
璃奈 もっぱら犬と遊んでいます。ドッグカフェに行って、ドッグランに行って……。もう本当に可愛いんですよ~。どの犬の中でも群を抜いて可愛い! バカなところも含めて可愛い!
──格闘技以外はワンちゃん三昧というわけですか。
璃奈 あと試合が終わったら、1人で旅行することがあります。北海道とか沖縄とかも行くし、温泉のときもありますね。旅行の期間中、犬は親戚のところに預けています。ペットホテルは嫌がるから可哀想で……。
──では好きな男性のタイプは犬を可愛がってくれる人?
璃奈 それはもう最低条件ですね(笑)。相手に関しては一応理想もあるんですけど、付き合うときはいつも理想以外のタイプになっちゃうんですよね(苦笑)。
──自分より強くないとダメとか?
璃奈 あっ、それはないですよ。逆に強い人はダメかもしれない。ケンカしたときに自分が勝ちたいですから。だからプロ選手とかは無理でしょうね。キックに理解がある人のほうがいいとは思うけど、選手だとやっぱり試合で殴られて血だらけになっているところを見ることになるかもしれないし……。そうなると、リフレッシュなんてできないんじゃないかな。
