──小寺さんは吉本新喜劇に入団する前は、「つぼみ」という吉本発のガールズユニットに所属していたんですよね。
小寺 そうです。私が卒業した後に「つぼみ大革命」というアイドルグループになりましたけど、当時はステージでお笑いをメインにしたコントなどをやっていました。同期には先日の『女芸人No.1決定戦 THE W』で3代目チャンピオンになった「3時のヒロイン」の福田麻貴ちゃんもいました。
──そもそも芸能界を志したきっかけは?
小寺 NSC(吉本総合芸能学院)に大阪女性タレントコースというのがあって、そこに通っていたんです。ただ自分から入った訳ではなく、お母さんが勝手に応募していたんですよ。昔のアイドルみたいな話なんですけど(笑)。
──お母さんは小寺さんに将来どうなってほしかったんでしょうか。
小寺 当時の私はあんまり喋るタイプじゃなかったんですけど、パンフレットを見たらトークが上手くなるし、着付けやお花の授業もあるから女性としてのスキルも磨いてほしかったみたいです。
──すぐに仕事はあったんですか?
小寺 そもそもNSC女性タレントコースの先輩だった桜の稲垣早希さん人気に乗っかって、「その妹分を作ったほうがええんちゃうか?」ってことで結成したので(笑)。イベントやステージ以外にも、ラジオの仕事などを頂けていました。けっこう忙しくて、次第に芸能の道も楽しいなと思い始めていきましたね。
──つぼみから新喜劇に入ろうと思ったのはどうしてですか?
小寺 つぼみに入った頃は、まだ高校生で17歳だったんですけど、22歳で大学を卒業する年に「このままじゃあかんな」と。同期のメンバーも新しい夢を見つけていたし、私が芸能界で生き残っていくのにはどうすればいいのかを考えて、新しくスキルアップしたいなということで新喜劇のオーディションを受けました。
──つぼみ内で「りんごあめ」というコンビも組んでいましたよね。
小寺 あれはコンビじゃないと、なかなか仕事が来ないというのもあって当時仲の良かった山口綾子ちゃんと組んだんです。今でも1週間に1回は連絡を取るぐらい仲良しです。彼女は街コンイベントに携わるお仕事をしていて、「もしも結婚できひんかったら私が見つけてきてあげる」って言ってくれているので、安心して今の仕事ができています(笑)。
──どうして新喜劇という選択をしたんですか?
小寺 つぼみでもコントをやっていましたけど、もともと芸人を目指していた訳ではなかったのでお笑い論が分からなくて、ふわっとニュアンスでやっていたところがあったんです。基礎を知らないとダメですし、引き出しの多さも大切。
──その状態で新喜劇の舞台に立つのは苦労も大きかったんじゃないですか。
小寺 新喜劇で最初にもらった一言が「お父さん、お母さん、こんにちは」やったんですけど、一言を発するのも緊張して、めっちゃ難しかったです。正直、吉本坂46のオーディションを受けるまでは毎回緊張してました。今でも初日は緊張するんですけど、なるようにしかならんと思うようになりましたね。吉本坂46のオーディションで、秋元康さんの前で言いたいことを言えて、歌も歌えて、それで合格できているから、「これぐらい大丈夫!」って思えるようになったんです(笑)。
──吉本坂46に入ってから、新喜劇の出番も増えていますよね。
小寺 そうですね。以前は「幕開き」と呼ばれるオープニングだけ出てくるカップルなどの役が多かったんですけど、最近は秘書とかミニスカポリスとかの役が多くて、出番も増えました。
──新喜劇は座長によって座員の出番も変わってくるので葛藤も大きいのはないでしょうか。
小寺 入団から1年半ぐらいは休みがないぐらい出番が続いたんですけど、急に入らなくなったんですよ。たまたま新しい子が入ったりして、特に理由があった訳ではないんですけど、お休みが続いて辞めようかなと思った時期もありました。
──そんな中で吉本坂46のオーディションを受けようと思ったきっかけは何だったんですか?
小寺 新喜劇で私が舞台に出ても、ほとんど拍手がないんですよ。やっぱり座長さんとか、プライベートで仲良くさせて頂いている山田花子姐さんなどのレジェンドが出ると、ものすごい拍手を頂ける。そこで自分が圧倒的に足りないのは知名度だなと。
──新喜劇だけで知名度を得るには時間もかかりますしね。
小寺 そうなんです。それを突き詰めるのも大切なんですけど、前田真希姐さん、井上安代姐さん、金原早苗ちゃんなど、それほど年齢が変わらない私の先輩にあたる姐さんの層が厚いんですよね。演技の上手い方たちばかりですし、毎週のように舞台に出ている。私は毎日出られる訳ではないですし、現状だと敵わない。でも新喜劇は続けたい、知名度を上げたいって思っていた時に、吉本坂46のオーディションの話があったんです。川畑座長に相談したら、「向いてると思うし絶対受けや」と言ってもらえました。
──『吉本坂46が売れるまでの全記録』(テレビ東京)でオーディションの様子を拝見していましたが、小寺さんは早くから頭角を現していた印象でした。
小寺 最初の頃は全然でしたよ。SHOWROOMの配信を頑張って、不安症なのでアナログでも攻めようとチラシ配りをやって。がむしゃらにやっているうちに、徐々にでした。そこまでなりふり構わず努力したのって人生で初めてのことでしたね。
──そもそもSHOWROOMの生配信も自主的に始めていましたが、経験はあったんですか?
小寺 なかったです。お友達の有村藍里ちゃんが「まりこりん(小寺)に合ったツールだと思う」って教えてくれたんです。ただ始めるにもマネージャーさんの許可が必要だったんですけど、当時の私からしたらおこがましいというか、自分から遠慮してしまったんです。そしたら川畑座長が「受けたんだったら責任を持って最後までやらなあかん。それ(SHOWROOM)がチャンスだったら行ってこい」と言ってくれて、その足でマネージャーにお願いしに行きました。そしたら偶然なんですけどSHOWROOMの部署に、つぼみ時代にお世話になった方がいて、すぐに話を通してくれて、その日の晩から配信できるようになったんです。
──小寺さんは今回のシングル『不能ではいられない』のMV本編で使用されていない映像を自らCM風に編集して、SNSで発信していますけど、あれも自主的に始めたんですか?
小寺 そうです。吉本坂46に入って、東京に出てくることが多くなって、SNSを駆使せないけない時代やなって痛感したんです。
──かなり凝った作りの動画ですよね。
小寺 NGK(なんばグランド花月)には映像を作るプロがいてるし、『吉本坂46が売れるまでの全記録』のスタッフさんも教えてくれるので、いろいろ教えてもらいました。
──『不能ではいられない』では、2ndシングル収録の『やる気のない愛をThank you!』に続いてのセンターですが、RED初の表題曲でプレッシャーはなかったですか?
小寺 まさか連続でセンターを任されるとは思っていなかったのでホッとした分、表題曲でこけたら私のせいだなというプレッシャーはありましたし、自分に後悔がないようにと死ぬ気でダンスの練習をしました。
──前回以上にダンスの難易度も高いですよね。
小寺 前回は私のダンスが力足らずなのもあって、まちゃあきさんを始めとしたダンサーのみなさんが、ダンスの時は前に出て、私たちが歌う時は下がるって構成だったんです。でも今回は振り付けのTAKAHIRO先生から「一切そういう配慮はしません。センターの2人にしっかり前で踊ってもらいます」と言われました。Wセンターの私と池田(直人)君だけではなく、芸人さんが前に出て踊って、ダンサーさんはサポートに回る。
──最後に2020年の抱負を聞かせてください。
小寺 出すCDは常に1位でありたいですし、たくさん音楽番組に出て、最終的には紅白にも出て、吉本坂46も坂道の一員だなと認めてもらいたいですね。個人的には、まだ新喜劇で拍手をもらえてないので(笑)。もっとテレビに露出したいなと思います。あと12月から個人トレーナーさんがついて、ボディメイキングをしているので、グラビアや女性誌などのお仕事も増やしたいですね。
▽吉本坂46 3rdシングル
『不能ではいられない』
12月25日発売