【写真】まさかの電流爆破! テリー・ファンク1周忌追悼・大仁田厚デビュー50周年記念大会
「もう一度だけでいい。テリー・ファンクを日本に呼びたいんだよ」
大仁田厚から、そんな話を聞かされたのは2021年の年末のことだった。
テリー・ファンクは昭和の全日本プロレスマットを沸かせたスーパーアイドル。大仁田にとっては兄貴分、ある意味、師弟関係にあった。1983年に一度、引退をしたが、その後、復活。1993年5月5日には川崎球場で大仁田厚と『ノーロープ有刺鉄線電流爆破超大型時限爆弾デスマッチ』で激突。爆破デスマッチ史上に残る名勝負として、いまだ語り草になっている。
その伝説の地である川崎球場跡地にテリーを呼びたい、と大仁田は何度も何度も熱く語った。だが、その時点でテリーは試合をできるようなコンディションではなかった。
「いいんだよ、試合をしなくたって。川崎球場があった場所にテーマ曲の『スピニング・トーホールド』が流れて、ゆっくりとテリーが入場してきてくれれば、それだけでいい。みんなもそれを観たいんじゃないのかな? いいじゃねぇか。
たしかに観たい、と思った。もし、実現するのなら、万難を排してでもかけつけようとも思った。だが、その日がやってくる前にテリーは亡くなってしまった。もう伝説の地に『スピニング・トーホールド』が流れることはない、とあきらめていた。
テリーが亡くなってから1年。大仁田は川崎球場跡地である富士通スタジアム川崎にて1周忌興行を開催することを発表。テリーの兄であるドリー・ファンク・ジュニアを招聘するプランをブチあげた。テリーとのザ・ファンクスで一世を風靡したドリーもすでに83歳。試合に出場されるだけでも大変な話だというのに、大仁田は電流爆破のリングにあげると言い出した。さすがにこれには賛否両論が巻き起こったが、もう、その時点で大仁田の勝ち、なのである。世間への喧嘩の売り方は、さすが邪道流である。
だが、けっして話題づくりのためだけなんかではない。
3年前から「テリーを呼びたい」と熱望していた大仁田の想いが、形を変えて、ドリーとの電流爆破デスマッチになっただけ。世間を騒がせることにはなったが、大仁田のピュアな気持ちはまったく揺らいでいなかった。
ドリーのパートナーには元・新日本プロレスで現在、文京区議会議員を務める西村修が名乗りをあげたが、西村は現在、食道がんで闘病中。しかもステージ4という厳しい状況であることを公表している。出場者に関する情報量があまりにも多すぎる一戦となったが、試合の数日前から首都圏では夕方だけでなく、昼でも夜でもゲリラ豪雨が襲ってくる、という大気が不安定な状況下でもあった。雨天決行と謳ってはいるが、雷雨になったら、さすがに電流爆破デスマッチは危険すぎてできない。当日まで「本当に試合は成立するのだろうか?」という不安でいっぱいだった。
そして、8月24日。
前日までの荒れた天気がウソだったように、雨の心配はまったくなくなった。それだけでなく酷暑続きの今年の夏が幻だったのではないか、と疑いたくなるぐらい、爽やかな風が会場内を吹き抜けていき、汗ひとつかかずに観戦できるという絶好にプロレス日和になった。これはもう天国のテリー・ファンクのいたずら、としか思えない。
ドリーはこれが最後の来日と発表されており、テリーの追悼セレモニーも開催されるとあって、会場にはたくさんのファンが集まった。
川崎に流れる『スピニング・トーホールド』の旋律。自然発生する「ドリー」コール。ゆっくりと入場してくるドリー・ファンク・ジュニア。曲が流れ終わってもリングに上がることができないほど、ゆっくりとした入場シーンだったが、そもそもテリーの入場シーンだけを見てもらおう、と大仁田は考えていたわけで、そのプランが完遂されたようにも思えた。
近年、ドリーはリングにムチを持ち込み、それを振り回すという試合スタイルがメインとなっていたが、この日は体ひとつでリングイン。西村のサポートでかつての十八番であるエルボーやスピニング・トーホールドを披露。もう、これだけで大満足だ。ドリーが技を出してくれるだけで、涙が出てくる。
試合は西村が勝利。ドリーを守り抜き、自らも文字通り、リングから生還した。本来なら、この日の興行は大仁田厚のプロレスデビュー50周年がクローズアップされるべきだったのだが、あきらかに大仁田が一歩引いて、ドリーと西村を主役にしていた。テリーへの想いと、ドリーへのリスペクトがそこにはある。だからデスマッチなのに清々しくて、爽やかなものになった。古希での電流爆破デスマッチ、という近未来の目標を掲げている大仁田にとって、50周年は通過点、ということなのだろう。
ファンクスではテリーが太陽で、ドリーが月といったイメージだったが、この日ばかりは天国のテリーが月のように空から見守り、ドリーが爆破のリングで太陽のように輝いた。ちょっとだけ昭和にタイムスリップしたかのような幻想的な夜は、こうして幕を閉じた。こんな素敵な空間をクリエイトしてくれた大仁田厚には感謝しかない。
ありがとうドリー、さようならテリー。ザ・ファンクス、フォーエバー!
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