Netflixドラマ『極悪女王』が、幅広い世代から注目を集めている。1980年代、空前のブームを巻き起こした女子プロレスの世界を、ダンプ松本を演じるゆりやんレトリィバァを主演に描いた半自伝ドラマ。
当時、高校生ながらに後楽園ホールに通い詰めクラッシュギャルズら女子プロレスの世界にどっぷり浸かっていたという、元『週刊プロレス』小島和宏記者に、あの頃の全日本女子プロレス会場の熱気、熱狂について、振り返ってもらった。

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近年「平成レトロ」なる言葉が生まれ、平成初期のことを懐かしんだり、一周回って新しいと再評価する動きがある。ぼくも令和になってから、平成初期のプロレスに関する本をすでに3冊も書いており、あの時代、業界の最前線で取材してきた者としては、平成にやり残してきた忘れ物をしっかりと回収できているような感じがして、とてもありがたいなぁ、と思っている。

来年は「昭和100年」ということで、昭和回顧モノが流行る、と予見する人もいるが、その波が1年早くやってきた。Netflixで配信されている昭和の女子プロレスを描いたドラマ『極悪女王』が大きな話題となり、それを受けて、ぼくはこの夏、たくさんのレジェンド女子プロレスラーの取材をしてきた。10月19日に発売される『証言 全女「極悪ヒール女王」最狂伝説』(宝島社・刊)でもダンプ松本、ブル中野、アジャコング、クレーン・ユウなど、歴代のトップヒールからの証言を得るためにインタビューをさせていただいた。

平成元年から女子プロレスの取材をはじめて、今年でちょうど35年。いまだに女子プロレスの取材は続けていて、いまだに週末はどこかの試合会場にいるのだが、ぼくが業界入りしたとき、すでにアジャコングはデビューしていたので、まるまる35年の付き合いになる。

ただ、『週刊プロレス』で取材をしてきたため、じつは深い部分には触れずにここまできてしまったことをいまさらながらに気づかされた。週刊誌の仕事は前の週にあった試合を報じて、次の週末の大会を煽ること。ゆえに「なぜ凶器に一斗缶を選んだのか?」などという、基本中の基本の質問を35年間、しないままでいた。今回、はじめて聞いて「なるほどなぁ~」となった次第。
これもまた平成の忘れ物、である。

しかし、令和の時代にダンプ松本を週に3回も取材する日がやってくるなんて、まったくもって想像していなかった。

35年も女子プロレスを取材しておきながら、実をいうと、ダンプ松本にインタビューをするのは今回がはじめてだった。なぜならばドラマ『極悪女王』の舞台であるクラッシュギャルズと極悪同盟の抗争で日本中が女子プロレスブームに沸いたあの時代、ぼくはまだ高校生だったから。さすがに取材活動などできる年齢ではなかったのだ。

それでも全日本女子プロレスの会場には足を運んでいた。当時はまだ「女子プロレスは別モノ」と毛嫌いする風潮が強く、周りにも女子プロレスを見ているファンは皆無だった。ぼくは「プロレスと名がつけば、すべてプロレス」という考え方だったのと、当時のクラッシュギャルズの試合が本当に面白かったので、どっぷりと女子プロレスの世界に浸かり、クラッシュがはじめてWWWA世界タッグ王座を獲得したときも、観客として後楽園ホールに行っていた。

まさにドラマ『極悪女王』を客席サイドからリアルタイムで体感してきた世代なのである。それだけにいろんな矛盾点に「?」となったりしつつも、基本的には懐かしさに胸を熱くしながら、イッキ見してしまった。あれだけお金をかけて女子プロレスのドラマを作ってもらえたことには、もう感謝しかない。

ただ、昭和の熱狂の渦から、ぼくは結構、早い段階で脱落してしまっている。
周りのプロレスファンを引っ張って会場に行っていたのだが、ほぼ全員が「たしかに試合は面白かったけど、会場に行くのはちょっと……」というリアクション。オーバーではなく、我々以外はほぼすべての観客が女子中高生、という特異な環境に「さすがに恥ずかしい」と固辞する人が続出してしまったのだ。

それでもひとりで観戦に出掛けてはいたが、ひとりだとさらに羞恥心がでっかくなり、1985年8月に地方興行を観戦したのを最後に、しばらく会場を離れてテレビ観戦に専念することになる。まさに『極悪女王』のクライマックスシーンとなっている長与千種vsダンプ松本の髪切りデスマッチがおこなわれる数週間前の話である。

ただただ恥ずかしい、というだけの話ではない。人気爆発で後楽園ホールのチケットが入手しにくくなっていた、という要因もあったが、もっとなにかひっかかるものがあったはず。それがなんだったのか……すっかり忘れていたピースを令和になって思い出した。

9月12日、後楽園ホールで『極悪女王』の公開記念イベントが開催された。この日は「昭和のプロレス会場を完全再現」と銘打たれており、ロビーで焼きそばが売られていたり、クラッシュの親衛隊に扮した人たちが開園前から場内を練り歩き、昭和のムードを醸し出そうと動きまわっており、ギッシリ超満員の観衆で埋まった令和の後楽園ホールに、昭和の風が充満しているように感じた。

同行した編集者から「あのころの全女の会場って、やっぱりこんな感じだったんですか?」と聞かれて、ハッ!となった。たしかにこんな感じだったけど、なにかが足りない。

それは「殺気」だった。


あのころ、会場を埋め尽くした女子中高生は本気で怒っていた。反則を繰り返すダンプ松本に対して、最初は「ひどい!」「やめて!」と叫んでいるのだが、いつしか「帰れ!」になり、ついには「死ね!」にエスカレートしていく。昭和の時代、ブーイングとなどというライト感覚な声援はまだ日本では浸透しておらず、どストレートに嫌悪感を示すしかなかったのだ。

もちろん男のプロレスの会場でもおじさんたちが「猪木、シンをぶっ殺せ!」と絶叫していたりはしたけれど、同世代の女の子がそんな言葉を口にしている姿は学校では絶対に見かけなかったし、四方をぐるりと女子中高生に囲まれているから、サラウンドで怒号が耳に入ってくる。あの女の子たちの「殺気」にすっかり萎えてしまったことを40年ぶりに思い出した。いろんな意味でガチすぎる時代だったのだ。

そういえば、そのころ隣のクラスの女の子から放課後に喫茶店に呼び出されたことがあった。これって、まさか……と胸を躍らせて向かったら「私、女子プロレスラーになりたんだけど、どうしたらいいの?」という相談だった。進学校に通う、運動経験ゼロの女の子までが中退まで決意して女子プロレスラーになりたい、と真剣に考えた、これが『極悪女王』の時代の超リアル。

さすがに必死で諦めさせたが、あのとき、彼女が中退して全女に入っていたらアジャコングと同期になっていたことになるわけで、やっぱり絶対に無理だったな、といまさらながらに納得。一本のドラマが忘れかけていた昭和の記憶を蘇らせてくれた。それだけリアルな時代考証だったわけで、まさに「観るタイムマシン」がそこにあった!

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