去る3月7日、動画配信サービス「SHOWROOM」にて、HKT48は13枚目シングルの選抜メンバーを発表した。選抜メンバーは16人。メンバーにはすでに伝えられていたようで、初選抜の上島楓、久しぶりに復帰することになった神志那結衣、山下エミリー、地頭江音々の名が発表されると、ネット上のファンはリアルタイムで喜びを表現していた。
センターが発表されるのは16人目。ということは、15人目が発表された時点で、センターが誰なのか、判明するといってよい。14人目、15人目に豊永阿紀、地頭江が呼ばれると、運上のセンターがほぼ確定。ネット上は、「なっぴキターーーー!」と歓喜に沸いた。選抜メンバーに呼びこまれた新センターは思わず涙ぐんだ。発表が終わると、選ばれなかったメンバーから続々とLINEが届いたそうだ。
そんな運上は北海道の出身。
運上の育った場所は、コンビニまで歩いて30分以上かかる田舎町。小学校の全校児童はわずか20人。運上の学年には4人しかいなかった。小さなコミュニティの中で育ったから、友達とは生来の人見知りが顔を出すこともなかった。
アイドルを好きになったのは小学校の頃。AKB48の前田敦子がキラキラして見えた。ただの「好き」が「なりたい」に転じたのは、中3の時。AKB48にチーム8が結成されると知ったからだ。チーム8は各都道府県から1名が選出されて活動すると聞いて、「それなら私にもチャンスがあるかも」と現実味が増した。初めてオーディションに応募した。
高校に入学した運上は、すっかり夢を忘れかけていた。アイドルのことはまだ好きだった。その頃、憧れていたのは指原莉乃。その指原がいるHKT48が4期生オーディションを開催すると知った。まだ将来の道を決めかねていた運上は一念発起。人生を変えようと試みた。兄の反対を押し切って受けたオーディションの結果は吉と出た。高校3年生の2月、ようやく進路が決まった。
合格して福岡にすぐ移住したわけではなく、しばらくは通いだった。福岡在住の同期に水をあけられていると焦っていた。なぜなら、飛行機移動が多いため、ダンスレッスンに割く時間が少なくなってしまうからだ。ただでさえ振り覚えもよくないのに、このままだとヤバい。焦りは募るばかりだった。入ってしばらくすると、同期が選抜メンバーに大抜擢された。その頃には福岡に移住している。すべてをかなぐり捨ててやって来た福岡の地で、自分は何の結果も残せていない。しかも、同期の中では年長者。若いメンバーの売り出しが優先されているように感じて、余計に焦っていた。
同期が選抜入りした直後、運上は荒巻美咲とのコンビ「fairy w!ink」で「AKB48グループユニットじゃんけん大会」で優勝を遂げた。彼女の名前が広く知れ渡り、先を走る同期に少し近づけた気がした。
じゃんけん大会直後、メディアに取り上げられる機会も珍しくなくなった。私もじゃんけん大会直後に取材をしているが、自信なさげに話すのが印象的だった。取り上げられる自分にまだ戸惑っているようだった。
彼女はまだ悩んでいた。持ち前のかわいさと透明感を褒めてもらえることはあったが、明るく楽しい雰囲気に満ちているHKT48に自分がフィットしていないのではないか、という悩みが消えないままでいた。HKT48を体現していたのはバラエティの王者・指原であり、松岡はなであり、なこみく(矢吹奈子&田中美久)だった。グループの雰囲気に合わせようとしたこともあった。無理に自分を繕っていたのだ。そうしないと選抜に入れないと考えていた。
しかし、その迷いをスパッと断ち切った。
じゃんけん大会で優勝した翌年(2018年)、シングル『早送りカレンダー』で初選抜入りすると、ますます握手会人気は上昇。こうしてファンに見つかった。その結果、センターの椅子に座ることになった。
2018年の暮れ、運上は地元・北海道の新CMキャラクターに抜擢された。珍味の販売を中心に手掛ける企業「江戸屋」の「鮭とばシリーズ」のCMに出演することになった。テレビでオンエアされるようになると、オーディションに反対していた兄は妹を認めるようになったという。それまでは妹の活動に興味を示さなかったのに、帰省するたびに服を買い与え、ご飯をご馳走してくれるようになった。
「それはそうですよね。HKT48に入ったといっても、今まではどんな活動をしているかさえ、調べないとわからない存在だったから……」
先月、何度か取材した中で、運上はそうつぶやいた。ファンの期待だけでなく、家族の期待を背負って活動していかなくてはならない。2か月に一度、福岡の自宅に来てくれる母親は、部屋のどこかに北海道で買ってきたお土産を隠し、それを娘が探すのが恒例になっている。お土産を見つけた21歳の娘は家族のぬくもりを感じて、ガランとした部屋で毎回涙する。
運上弘菜は愛される条件をいくつも満たしている。HKT48というグループがより愛されるために、指原卒業後初となるシングルで彼女がグループの顔になることは必然だったのかもしれない。