7月27日に元プロレスラー・松永光弘の著書『オープンから24年目を迎える人気ステーキ店が味わったデスマッチよりも危険な飲食店経営の真実』(ワニブックス・刊)が発売される。本を出版するに至った経緯と、松永光弘の壮絶な人生とは……。


【写真】「どうぞマネしてください」と胸を張る看板メニューのデンジャーステーキ

元プロレスラーが営む、行列のできるステーキ店。そう書くと、ひたすら豪放磊落なイメージしかないかもしれないが、ステーキハウス『ミスターデンジャー』を経営する松永光弘は、非常に繊細で物静かな男である。

「私はプロレスラーとして、けっして一流ではありませんでしたから。ゴールデンタイムで一度も試合が放送されたこともないですし、やはり金曜8時に毎週、テレビに映っていた方たちには遠く及びませんよ」
 
事実、松永はインディーズと呼ばれる小さな団体を主戦場としてきた。もともと空手家として、プロレス(プロレスファン)の敵役的なポジションにあった彼が一躍、ヒーローとなったのは高さ6メートルもある後楽園ホールのバルコニーから決死のダイブを敢行した瞬間だった。

のちに多くのレスラーがバルコニーからの攻撃を繰り広げるようになったが、この段階では誰もそんな危険なことをやろうとは考えもしていなかった。だからこそ、見るものに衝撃を与え、いつしか彼は「ミスターデンジャー」という異名で呼ばれるようになった。そう、現在の店舗名はここからきているのだ。

「すでに誰かがやっていることをやったところでインパクトは残せない。それはプロレスでも飲食店経営でも同じです。私はウチのステーキの仕込み方を隠してこなかったので、マネをする店舗がいくつも出てきた。でも、マネをしただけでは超えることができないですから、どうぞマネしてください、という感じでしたね」

看板メニューの「デンジャーステーキ」はとにかく柔らかさと安さがウリだ。

 
これはハンギングテンダー(サガリ)と呼ばれる、比較的、安価で仕入れることができる部位を使うことでリーズナブルな価格で提供することが可能となっているのだが、実はこの部位、そのまま焼いてステーキにすることはできない。
 
なぜならば、筋などががっつりついているから。松永はその肉を手間暇かけて綺麗に下処理をし、他に類を見ないほど柔らかい「デンジャーステーキ」を開発した。
 
テーブルに運ばれてきたときには「えっ、こんなにたくさん食べられるかな?」と不安に思っても、その柔らかさに女性でもペロリと平らげることができ、多くのお客さんが「もっとたくさんの量をオーダーすればよかった」と思う。そういう人たちは「今度はそうしよう」とリピーターになってくれるわけで、そういう好循環が24年にも渡り、店を支えている。

「仕込みにはとにかく時間がかかるし、なによりも腕力がいるんですよ。もちろん肉をさばくテクニックも必要ですけど、腕力と体力がないと、まず1日分の肉を仕込むことも難しい。どんなに安く肉を仕入れることができても、こんなに手間と時間がかかるなら……とマネをしようとした人たちはみんなギブアップしてしまう。そこはもうプロレスラーをやっていてよかった、と思える部分ですよね」
 

とはいえ、最初から行列店ではなかった。オープン時はまだ現役のプロレスラーだったので、プロレスファンに宣伝すれば、初日から行列ができることは確実だったが、松永はあえてその手法をとらなかった。

「立地がよくないですからね。まずは地元のお客さんにたくさん来ていただかないと経営は難しい。
なのでプロレスファンへの告知はある程度、固定のお客さんがついてくれるまでしませんでした。
 
たしかに最初はお客さんも少なくて、妻と2人でなんとか食っていけるかどうか、という程度の売り上げしかなかったので苦しかったですけど、そこを耐え抜いたことで店は軌道に乗りました。実は今、お客さんの中でプロレスファンの占める割合は5%もいかないぐらいなんですよ。ただ、この5%の方たちが熱くお店を支えてくれている。コロナ禍でも全国から『お店は大丈夫ですか?』と心配して声をかけてくださる方がいた。遠くに住んでいて、東京に食べに行くことはできないけれど、なにか力になれませんか、と。これは本当にありがたかったですね」
 
オープンから1年を経過した頃から来店者数が急増。繁盛店と呼ばれるようになったが、そんな状況は長くは続かなかった。突如として襲いかかってきた狂牛病騒動に、店は大きなダメージを負ってしまう。

「今回のコロナウイルス騒動と状況がよく似ているんですよ。いつまで続くか、誰にも分からない。来月には収束するかもしれないし、ひょっとしたら1年かかるかもしれない。
あと何カ月、耐えればいい、と言われたら、みんな耐えられますけど、先が見えない中、ひたすら厳しい状況に耐え続けるのは厳しかった。もう二度とこんなことはないだろう、と思っていたところにまさかのコロナですから、びっくりですよ」
 

狂牛病の影響で牛肉を扱う飲食店は、わずか1年間で7000軒も休業・廃業に追い込まれた。「ミスターデンジャー」は一度、客足がパタッと止まったあと、徐々に元の状況に戻っていったが、アメリカからの牛肉の輸入が禁止されたことで牛肉の仕入れ値が高騰。極端な話、行列ができても利益はほとんどないような状況が3年も続くこととなった。

「一応、国から補助金は出ることになっていたんですけど、あくまでも国産牛や和牛を取り扱う店舗が対象で、輸入牛を使っていたウチは1円ももらえなかったんですよ。そもそも飲食店の中でも牛肉を扱う店だけがダメージを受け、さらにその中でも格差ができてしまう。あのときは『なんで俺だけがこんなに苦しまなくちゃいけないんだ!』と憤りを覚えましたね」
 
一度は貯金通帳の残高が0になってしまう、という絶望的な危機に追いこまれながらも、ありとあらゆる手法を駆使して「ミスターデンジャー」は経営をV字回復させる。オープン時は「この立地では月商200万円もいけば上出来。300万円は絶対に無理」と言われてきたのに、気がついたら月商が800万円を超える月も!
 

そのあたりのプロセスの詳細や、逆転の発想による誰もやってこなかった経営術は7月27日に発売される『オープンから24年目を迎える人気ステーキ店が味わったデスマッチよりも危険な飲食店経営の真実』(ワニブックス・刊)にぎっしりと書かれている。

「地獄のような狂牛病を乗り切ることができたから、その経験値でコロナにも慌てることなく対処できた。そういったエピソードの数々が少しでもお役に立てば、ということで、この時期に出版することになりました。飲食店の経営者でなくても、アフターコロナ、withコロナと呼ばれる時代を生きていくためのヒントにはなるんじゃないか、と思います。
まだコロナは収束したわけでもないし、この先、どうなっていくかもわからないですけど『どうしよう、どうしよう?』と戸惑っているだけでは、なんの問題解決にもなりませんから。
 
おかげさまでウチは繁盛店と呼ばれていますけど、この24年で本当の意味で順風満帆だったのは、正味2~3年じゃないですかね? 狂牛病騒動は乗り越えましたけど、じつはまだ余波は残っているんですよ。昔と比べたら牛肉の仕入れ値は上がったし、相場も乱高下して安定しないので、なんにも考えずにやっていたら、とても店は続けていけない。じゃあ、そういうときなにをやってきたのか、ということも今回の本にすべて書きました」
 
コロナウイルス騒動によるダメージも最小限に抑え、いまも元気に営業している『ミスターデンジャー』。かつてのデスマッチ王が綴る『生き残り術』はたしかに一読の価値がありそうだ。

▽『オープンから24年目を迎える人気ステーキ店が味わったデスマッチよりも危険な飲食店経営の真実』
著者・松永光弘
発売日・7月27日
出版社・ワニブックス
定価・1430円
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