【写真】ステージ舞台裏のリラックスした表情も、山本彩加卒コンの模様【11点】
卒コンは、活動してきた4年半の足跡をほとんどすべて詰め込んだものとなった。オープニングはトランペット独奏から始まった。中学時代、山本彩加は吹奏楽部に所属。中2でNMB48入りするも、辞めることなく続けた楽器だ。平日はもちろん、土日は朝8時から夕方5時まで吹き続けた。
序盤の『最強ツインテール』と『法定速度と優越感』は、AKB48のカップリング選抜で歌った曲だ。NMB48の若手代表として、姉妹グループのなかでも存在感を見せつけてきた。
同期の小嶋花梨とは『禁じられた2人』を披露。グループ全体のキャプテンである小嶋は、山本がエースであるNMB48を夢見ていた。
本来は5人で歌う『Good Timing』は、LAPIS ARCH(山本、梅山恋和、上西怜)の3人で歌った。卒業した同期の2人への配慮、そして、何度もライブを行ってきたユニットメンバーへの感謝を表明した。
特別な関係だった梅山とは『今ならば』でデュエットした。
初選抜の思い出の曲『僕以外の誰か』、オーディションで歌った『潮騒のメモリー』、梅山とWセンターに立った『だってだってだって』。1曲ずつ思いを込めた。
アンコールでは、薄いピンクのドレスに身を包み登場。スピーチの後、同期一人ひとりにサプライズでメッセージを送った。やはり同期は特別な存在なのだ。
梅山からの手紙も読まれた。「お医者さんや患者さんが取り合いになる、人気No.1の看護師になってると思います」とエールを送った。コンサートは『青春のラップタイム』『サササ サイコー』で明るく締めくくられた。ステージ上では涙を見せたくない。

梅山の手紙にあったように、卒業後の山本は看護師になるための学校に通うことになっている。現在、山本は高校3年生。ここ1、2年、彼女は人生の岐路に立っていた。
私は昨年8月と今年1月、山本を取材した。昨年は『NMB48 10th Anniversary Book』、今年は『卒業メモリアルブック 最後の一色』の取材だった。
昨夏は山本にとって高3の夏だ。進路のことを考えていないはずがない。そのことを質問すると、「両立を考えています」と話してくれた。私はこれを信じ、その通りに書いた。
しかし、結果は違った。『最後の一色』に詳しく書いたが、山本はNMB48を卒業するために動いていた。
彼女が看護師を意識したのは、ドラマ『コウノドリ』(2015年)がきっかけだった。当時、中1だったが、「あれで初めて看護師になりたいって思いました」「助産師になりたいという希望もあります。そのためには看護師の資格がないといけないんです」と『最後の一色』で語っている。
山本に影響を与えたものはドラマだけではない。家庭環境と昨今の社会情勢もまた彼女の考えを変えた。山本の母と姉は看護師をしている。コロナ禍において、懸命に現場で働いて帰宅する姉の姿を見て、心が動いたのだ。「大変だけれど、カッコいいなと思ったのが大きかった」という。

今年2月、あるニュース番組の取材を受けた山本はこうも話している。
「いま、姉がコロナの患者さんを担当していて、急に状態が悪化したりだとか、治療法がまだ見つかっていない状況で、すごく苦しくて大変だと聞いているので。一番ひどい時期だと(姉は)家にも帰ってこられず、ずっとホテルで生活をしていた状態だったんですけど、ここまで患者さんのために、そして、みんなのために働けるのってカッコいいなと思って。少しでも誰かのために自分が手助けできないかと思って、私も目指したいなと思いました」
アイドル活動は高校いっぱいまで。そう決めていた彼女にとって、この決断はごく自然なことだった。それに、卒業後の進路を公表したことについても彼女なりの考えがあった。アイドルは卒業後の進路をあいまいにすることも多い。しかし、看護師の離職も多い世の中に、看護の道を目指しているアイドルがいることを知らせることに重きを置いた。
家族が働く姿も近くで見てきた。「そんな生半可な気持ちで入ってこないでください」と、看護学生や看護師に言われたこともあるという。何を言われても、目指すべき道は決まっている。だから、考えがブレることはない。
芸能の道に未練はない。
メンバー、とりわけ同期には特別な思いがある。次々にベテランが卒業していくNMB48にあって、これからは5期生が中心にならなくてはいけない。卒業コンサートではそんな思いをメッセージに詰め込んだ。もっとグループを大きくしてほしい。みんなならまだまだできる。京セラドーム大阪でコンサートをやるなら、私も駆けつける。あーやんはそう願いながら、もうひとつの母校から旅立つ。

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