こんにちは。吉政でございます。
このコラムは起業した初年度年収2000万円を達成して、その後、15年間を増収増益で実現した筆者が「100歳まで現役労働」を続けるために自分の忘備録として書いています。

第10回は「中小企業の社長が、ある日突然上場企業の社長になった話」をテーマにお話します。

4社目の会社の代表を受けることに

気が付けば、2024年の初夏から1年ぶりの寄稿になってしまいました。その理由は単純に忙しくなってしまったからです。もともと中小企業3社の代表をしており、それはそれで忙しかったのですが、2024年の初夏に4社目の会社の代表の依頼を受けることになり、その4社目が上場企業ということもあり、加速度的に忙しくなりました。

上場企業の代表は中小企業の代表とは違い、簡単に就任できません。難易度が高いという意味ではなく、手順が多いのです。簡単に説明すると、上場企業は株主の皆様の資金を預かって運用するという側面があるので、大別すると、「(1)私個人の調査・審議」→「(2)取締役会議での頭出し」→「(3)取締役会議での承認」→「(4)株主の承認」といった、筆者が客観的に見て大丈夫か、安全かを確認する手順を踏みます。

そのほかにも主幹事、監査法人、銀行関連、主要なお客様、パートナー各社への挨拶もあり、自分の仕事をする時間が本当にない状態です。自分を支える有能な組織、自分自身の仕事の速さ、そして健康が大前提で、これらがないと何もできないまま任期が終わってしまうことになりかねません。

そして着任後は株主総会以外に決算説明会があり、その資料の締め切りが早いこと早いこと。決算説明会の後には怒涛の機関投資家によるインタビューが続く感じです。


もともと仕事が速いということもあり、多くの仲間にも恵まれ、体力もロードバイクをやっているということもありそれなりに自信もあり、前提条件はクリアできていると思います。ただこれは前提条件なので、成果を出せるどうかは筆者の実力次第かと思います。

社外からどうやって上場企業の社長に就いたのか?

さて、読者の皆様も興味があると思いますので、就任した際に一番多かった質問を簡単に紹介します。今回、筆者は社外から代表取締役に着任しました。そういうこともあり一番多かった質問は「社外からどうやって上場企業の社長になったのですか?」でした。

簡単に説明すると、上場する12年前から筆者私の会社でマーケティング支援をしており、上場直前の2期は取締役も兼任していたので、よく知った会社だったのです。

上場準備の時期に、筆者の会社の代表を全て辞任して上場予定の会社の取締役として残るか、上場予定の会社の取締役を辞任するかの選択肢になり、熟慮した結果、上場予定の会社の取締役を辞任しました。その後、創業社長がご病気になり、いろいろあって筆者に鉢が回ってきた次第です。
上場企業の社長を引き受けた理由

人生何があるかわかりません。本コラムを始めたころは100歳までマーケティング職人として骨をうずめるつもりでいました。残りの45年をフットワークが軽い中小企業の代表として、過ごす予定で準備を始めていたところ、突然大物の仕事をいただきました。

この仕事を受けた理由は、創業社長と描いていた大好きなこの上場企業のシナリオを完結させたいという思いが一番にあります。
また、若いときに掲げていた「無資源立国である日本はIT産業を伸ばすべきであり、日の丸IT企業の先駆者としてグローバルビジネスを確立する」を実現するチャンスを得られるからというのも大きいです。

そして、この上場会社は今期いよいよ世界に向けて戦略を強化します。この日の丸IT企業が世界を駆け巡る時代が来るのか。乞うご期待。

吉政忠志 業界を代表するトップベンチャー企業でマーケティング責任者を歴任。30代前半で同年代国内トップクラスの年収を獲得し、伝説的な給与所得者と呼ばれるようになる。現在は、吉政創成株式会社 代表取締役、プライム・ストラテジー株式会社 取締役、一般社団法人PHP技術者認定機構 代表理事、一般社団法人Rails技術者認定試験運営委員会、BOSS-CON JAPAN 理事長、一般社団法人Pythonエンジニア育成推進協会 代表理事を兼任。 この著者の記事一覧はこちら
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