2026年1月22日。加藤一二三九段(追贈名誉十段)が亡くなった。
享年86。将棋に人生を捧げた生涯だった。

よく知られている通り、加藤は敬虔なクリスチャンだった。筆者はカトリック麴町聖イグナチオ教会でおこなわれた通夜に参列させてもらった。筆者の近くにいた婦人方が、讃美歌を美しい声で歌っているのが印象的だった。生前の加藤をよく知る神父さんが、その生涯を振り返った。

「話が少し長くなりますけど、終電には間に合いますから」

たしかそんな前置きをされたので、参列者から笑い声が聞かれた。加藤九段のほがらかな人柄を表すような式だった。

羽生善治九段は弔辞でこんなことを言われていた。

先生の棋譜は、いままで数え切れないほどたくさん見て、並べてきました。あるときからずっと感じていたことは、盤上でバッハの音楽を聴いているような感情です。皆さまご存じのように、バッハは生涯を通じて、たくさんの作品を残しており、連続的な旋律が続いていくことと、同じ戦型を指し続けていく先生のスタイルが、いつも重なり合って、不思議な余韻が残っていました。


羽生九段の言葉もまた、筆者には美しく響いた。

これもまたファンにはよく知られている通り、加藤は同じ戦型を指し続けた。たとえば四間飛車に対しては、決まって棒銀で臨んだ。加藤も「棒銀一筋」と好んで揮毫していた。

逆にいえば、相手をする側からしたら、対策をしぼりやすい。普段は居飛車しか指さない棋士も、加藤に対しては四間飛車で臨むようなこともあった。勝負という観点からすれば損なところもあったかもしれない。しかしそうしたことは意に介さず、自分の道を貫き通したのも加藤流だった。

加藤は1970年代から80年代にかけて、中原誠16世名人や米長邦雄永世棋聖らと頂点を争い続けた。そのときの戦型は、もっぱら矢倉だった。

「矢倉を制する者は棋界を制す」

そんな言葉も聞かれるぐらいで、この頃のタイトル戦の棋譜は、盤上すべての駒がぶつかる矢倉の激闘が多い。

加藤の棋士人生は、実にドラマチックだった。
まずスタートは1954年、14歳7か月での四段昇段だった。この史上空前の最年少記録だけを見ても、加藤が大天才であったことは一目瞭然だ。

そして2016年。新時代の大天才・藤井聡太が14歳2か月で四段に昇段した。実に62年ぶりの大記録更新だった。

2016年12月24日。藤井がデビュー戦となる竜王戦6組1回戦で対戦したのが、他ならぬ加藤だった。

62年前に最年少棋士だった加藤は、時を経て立場を替え、現役最年長棋士になっていた。そこに新時代の最年少棋士・藤井が挑む。このシチュエーションを劇的と言わずして、なんというのだろうか。

先手となった加藤は、十八番の矢倉を志向する。対して藤井もまた追随し、戦型は相矢倉となった。


「やっぱり加藤先生に矢倉で教わりたいっていう気持ちが強かったので。後手番なら矢倉かな、というふうに思っていました」

藤井は局後にそう述べている。この一語にも、王道を歩む者の心意気が感じられる。

中盤の56手目。藤井はじっと自陣に銀を打った。加藤は「なかなか普通は指せない手」と感心している。もっとも62年前には加藤少年が年長の先輩たちから、そうしたことを言われる立場だった。

形勢は次第に藤井よしで推移していく。92手目、藤井が銀頭に歩を打った手が鮮やかな決め手となった。デビュー戦からして、藤井の指し回しは完璧に近かった。110手目、藤井が角を打って王手をかけたところで、加藤は投了。二人の大天才が相まみえた一局は、こうして幕を閉じた。


藤井の以後の活躍もまたよく知られている通りだ。藤井はただの一度も負けることなく、将棋界最高記録の公式戦29連勝を達成する。

「藤井フィーバー」が社会現象となるにつれ、将棋界の先人たちの記録もまた、改めて光が当てられることになった。加藤の数々の年少記録も、そのひとつだ。

藤井はこのあとも将棋界の主要な大記録、年少記録を、ほとんど塗り替えていく。

しかし加藤が記録した18歳3か月でのA級昇級と、20歳3か月での名人挑戦については、わずかに届かなかった。藤井が更新できなかった以上、加藤の記録は空前かつ絶後のものとして、この先も長く残り続けるだろう。

松本博文(将棋情報局)

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