日本時間9日にボローニャが日本代表DF冨安健洋の獲得を発表した。女子選手を含めると、15人目のセリエAでプレーする選手となる。

セリエA初の日本人選手となったキングカズこと三浦は、1994年にジェノアへ加入。当時会長を務めていたスピネッリ氏は、三浦が日本で残した成績に驚いたと言われている。三浦のセリエA挑戦に対する日本での注目度は高く、フジテレビはジェノア戦を全試合放送していた。
フランコ・スコリオ監督は開幕節から三浦をスタメンに抜擢。相手が前年度覇者のミランだったこともあり、大きな注目を集めた。しかし、フランコ・バレージと激突した三浦は鼻骨を骨折し、眼窩系神経を損傷。ジェノアもシーズンに2部降格が決まり、三浦はヴェルディ川崎に復帰した。

三浦がイタリアに渡った4年後に中田がペルージャへ加入した。1998年ワールドカップでの中田の活躍に当時会長だったガウッチ氏が惹かれたと言われている。ペルージャで活躍を見せた中田は2シーズン後にファビオ・カペッロ監督が率いていたローマに移籍。本来のポジションでプレーする機会は少なかったが、多くのアシストを記録した。
ただ、これからがセリエAでの中田最大のハイライト。2001年5月6日に行われたユベントス戦だ。試合は、優勝争いを繰り広げていたユベントスを相手に2-0で押される展開。しかし、フランチェスコ・トッティに代わって中田が投入されるとロングシュートをネットに突き刺し反撃の狼煙をあげる。すると、今度は中田のシュートのこぼれ球をビンツェンツォ・モンテッラが押し込んで、同点に追いついた。このシーズン、ローマはリーグ優勝を果たしている。その後、中田はパルマ、ボローニャ、フィオレンティーナでプレーした。

名波浩
1999/2000シーズンにベネツィアに加入した名波。ザンパリーニ会長はジュビロ磐田で名波とともにプレーしていたトト・スキラッチの意見に賛同し、獲得を決めたと言われている。
デビュー戦で活躍を見せた名波に、サポーターはアルバロ・レコバの後継者と盛り上がった。しかし、徐々にパフォーマンスを落とすと、出場機会は減っていくことに。ただ、名波と中田のセリエA日本人対決は、2000万人の日本人が視聴したと言われている。

アジアのロベルト・バッジョという触れ込みでレッジーナに加入した中村。高精度の芸術的なFKはセリエAのサポーターにも受け入れられ、1シーズン目から8ゴールを挙げる活躍を見せた。その後も負傷に悩まされてはいたが、勝負所で得点を挙げる姿に、サポーターは熱狂した。

柳沢敦
中田と中村の素晴らしいパフォーマンスを目の当たりにしたサンプドリアは日本人選手に可能性を見出し、2004年に柳沢を獲得した。2001年にジャンルイジ・ブッフォンを相手に記録したゴールも、イタリア人の印象に残っていたのだろう。
デビュー戦は中村の所属するレッジーナとの一戦。お互いゴールを挙げることはなかったが、良いパフォーマンスは見せていた。サンプドリアで結果を残せなかった柳沢はメッシーナへ移籍。セリエAでゴールを挙げることはできなかったが、抜群のアシストを何度も記録した。