ジャンルイジ・レンティーニ 写真提供: Gettyimages

引退後のサッカー選手が歩む道は様々だ。指導者を目指す人もいれば、エージェントの資格を取る人もいる。また、試合の解説者としてテレビで活躍するレジェンドや、サッカースクールを開く人も大勢いる。

かつてトリノやミランに所属していた元イタリア代表ジャンルイジ・レンティーニ(2012年現役引退)は、サッカーとは全く別な道を歩み、イタリア国内で話題となった。彼は現在、地元のピエモンテ州カルマニョーラ市でハチミツを作る会社を設立し、運営している。

1992年には当時の移籍金世界最高額(約30億円)でミランに移籍したほどの選手が、なぜサッカーを離れた全く異なる生活を選んだのだろうか?これまでの人生を振り返りながら、現在のレンティーニの暮らしに迫る。

レンティーニの不思議な人生。移籍金世界最高額の元ミラン選手がハチミツ専門家に?
ジャンルイジ・レンティーニ 写真提供: torino.corriere.it

トリノ時代

レンティーニはトリノのユースからサッカー選手としてのキャリアを開始し、1986年11月23日に17歳でトップチームでデビューした。1988/1989シーズンはセリエBのアンコーナにレンタル移籍していたが、その経験が彼のリーダーシップ質を着実に成長させたという。

1989/1990シーズン、セリエBに降格したトリノに戻ったレンティーニは、スタメンとして戦うようになり、若干20歳にしてチームのエースとなった。彼によってトリノは2部リーグで優勝し、セリエAに再び戻ることができた。

1990/1991シーズン、トリノはセリエA5位という素晴らしい結果でシーズンを終え、大活躍で話題となったレンティーニはイタリア代表に選ばれることとなった。

当時トリノを率いていたエミリアーノ・モンドニコ監督は「世界中を探してもレンティーニほどのウイングは見つからないだろう。彼はこれからも上達するに違いない」と語っていた。

レンティーニの不思議な人生。移籍金世界最高額の元ミラン選手がハチミツ専門家に?
ジャンルイジ・レンティーニ 写真提供: Gettyimages

ミランへの移籍とプロ人生を台無しにした事故

ミランもモンドニコ監督と同意見だったのだろう。1992年6月30日にロッソネーリ(ミランの愛称)は約30億円でレンティーニを獲得し、その移籍金は当時の世界最高額となった。それほどミランは彼のようなウイングを必要としていた。

ファビオ・カペッロ監督の元に渡ったレンティーニは、リーグ戦だけでなく、すぐにチャンピオンズリーグ(CL)の試合でも起用された。そして、ミランの選手として初となった1992/1993シーズンには7得点を挙げ、セリエA優勝にも貢献した。

しかし、1993年8月2日の夜、レンティーニのキャリアを台無しにした事件が起こる。ジェノアの100周年記念日を祝う大会が、シーズンオフ中にリグリア州で行われていた。その大会の帰り道、車がパンクしたレンティーニは、ガゾリンスタンドでスペアタイヤを取り付けた。通常スピードを出してはいけないスペアタイヤで、彼は200kmで走り事故に遭ったのだ。

選手として復活できたものの、レンティーニが事故前の素晴らしいコンディションに戻ることは2度となかった。またそれによって、1994年のワールドカップ出場も断念することとなった。

レンティーニのミランでの経験は1996年に終わりを迎えた。ロッソネーリとして戦った4年の間には63試合中13得点を挙げ、リーグ3回、CL1回、スーペルコッパ・イタリアーナ(セリエAの前シーズン優勝チームとコッパ・イタリアの優勝チームが争う試合)3回のタイトルを手に入れている。

リタイア後はハチミツ商売。趣味のビリヤードも

レンティーニは、ミラン退団後もキャリアを続けていた。セリエAのアタランタに移籍し、育ててくれたトリノにも再び戻った。その後もセリエBとセリエCの複数のクラブでプレーするも、事故の影響で2度とトップレベルでプレーできないことを理解した彼は43歳で引退している。

引退後、サッカー界に戻ることはなかった。そして、現在レンティーニは、このスポーツから遠く離れた業界でハチミツ商売に挑んでいる。ハチミツ業界に足を踏み入れたのは、子供の時からの親友がきっかけだったという。親友の夢を叶えるために会社を設立したレンティーニはハチミツにハマり、現在はこの業界の専門家になろうとしている。

複数のトップクラブのイベントや食事会に誘われるも、彼はそういった用事を全て断り、自然の中で静かに暮らしているらしい。唯一連絡を取り合い頻繁に会っているのは、ミラン 、フィオレンティーナ、パルマなどでプレーしていたディエゴ・フゼールだという。

そして、レンティーニにはもう一つ、大好きな趣味ができた。それはビリヤードだ。イタリア紙『レプブリカ』にはこう語っている。・

「(私は)とても上手だよ!今住んでいる街にはライバルになる人がいない。ビリヤードのプロ選手と対戦する時はあっさり負けるけどね」

「ビリヤードは父のルイージの趣味だった。子供の時はサッカーの練習の後に二人で遊んでいたんだ!」

サッカー選手として素晴らしい活躍を見せてくれたレンティーニだが、現在の生活にも非常に輝いていると思わないだろうか?

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