ほとんどの選手がニックネームを持っている。自分で決める選手もいれば、チームメートが名付けることもあるだろう。
しかし、どういった経緯でその呼び方が誕生したのかを知らない人は多くいだろう。今回は現セリエA選手とレジェンドの面白いニックネームと、その由来をご紹介する。

イリチッチ
チーム:アタランタ
愛称:Nonna(ノンナ・おばあちゃん)
2019/2020シーズンが開始してから新型コロナウイルスの影響で中断されるまでの間に、ヨシップ・イリチッチはアタランタの中で最も輝いていた選手と言えるだろう。しかし、彼はチームメートやコーチングスタッフから、見せているパフォーマンスに似つかわしくないニックネームで呼ばれている。ノンナ、イタリア語で「おばあちゃん」という意味だ。
ニックネームの由来を、ジャン・ピエロ・ガスペリーニ監督が明かしている。「ヨシップはいつも体中が痛いと言っている。練習が始まる前にすでに疲れたと言いながら死、にかけたような顔をしている。元気かどうか聞かれたときには、いつも”元気じゃないよ、元気じゃない”と答え、本当におばあちゃんみたいだ。穏やかな性格で誰にでも優しいという性格もお年寄りみたいなんだ」。
これはあくまでも噂だが、ガスペリーニはイリチッチが練習中にやる気を高めるために楽しいトレーニングを考えているという。スタミナ的にもレベルアップした背景には「楽しい」練習があるのかもしれない。

マルキジオ
チーム:元ユベントス
愛称:Principino(プリンチピーノ・王子)
ユベントスのサポーターから愛されていたクラウディオ・マルキジオ。彼の愛称、プリンチピーノ(イタリア語で王子という意味をする)がプレーのエレガントさや、ハンサムな顔からきていると思っている人は多いだろう。
この呼び方を考えたのは2005年~2007年にユベントスに所属していたフェデリコ・バルザレッティだ。練習に向かう選手はたいていジャージか楽な服を着るが、クラウディオはいつもエレガントな格好でトレーニングセンターに現れたという
ある日、バルザレッティが「なんてエレガントな格好、王子みたいだね」という発言をしてからチームメートがマルキシオのことを「王子」と呼ぶようになり、世界中のサポーターもそう呼ぶようになったという。

ロサノ
チーム:ナポリ
愛称:Chucky(チャッキー・ホラー映画『チャイルド・プレイ』に登場するキャラクター)
イルビング・ロサノは笑顔が目立つ、とても明るい選手だ。まさに太陽の街、ナポリ(現在所属しているチーム)にぴったり。しかし、なぜホラー映画に出演する人形の名前で呼ばれるようになったのだろうか。その秘密はパチューカのユース時代に遡ると明らかになる。
当時ユースの寮に暮らしていたロサノはいたずらが大好きで、よく注意されていた。特に真夜中に他の選手が寝てから行動し、ホラー映画のようにチームメイトを驚かせていたようだ。
ロサノはカメラの前で自身のニックネームについて語っている。「僕は悪い子だったんだ。当時はよくチャッキーと呼ばれていたけど、まさかずっと呼ばれ続けることになるなんて…思ってもいなかったよ」。

クルス
チーム:元インテル
愛称:El Jardinero(エルジャルディネーロ・庭師)
フリオ・クルスはなぜエルジャルディネーロ(庭師)と呼ばれることになったのだろうか?彼が庭仕事が好きだから?そう思っているなら大間違いだ。彼は植物に全く詳しくないし、興味もないのだ。
全ては1人の記者が書いた記事から生まれた。クルスはふざけるためにピッチのそばにあったトラクターに乗りチームメートと楽しく話していた。そのシーンを見た記者はまだ17歳だった彼を庭仕事好きだと勘違いし、それについての特集記事を書いたという。
クルスが否定しても、その記事が話題となり彼は「庭師」と呼ばれるようになった。「記者は僕が庭の手入れがうまいと思って、あんな記事を作ったのだろう。ただ、僕は庭のことなんて全く知らないし、小さい植物の手入れも下手だよ。未だにそう呼ばれていることが不思議でならないね」。

ベルゴミ
チーム:元インテル
愛称:Zio(ジオ・おじさん)
老けて見えると言われ続けてきたインテルのレジェンド、ジュゼッペ・ベルゴミ。
17歳だったときに当時インテルのMFだったジャンピエロ・マリーニからこう言われたという。「お前は本当に17歳か?俺のおじさんみたいな顔しているのに…」。その時からベルゴミは「ジオ」、おじさんとなったのだ。
ベルゴミの老け顔については、インテルのユースの監督も面白いことを語っている。「彼がユースの選手だった時も黒い口髭をしていて、本当におじさんみたいな顔をしていたんだ。

デル・ピエロ
チーム:元ユベントス
愛称:Pinturicchio(ピントゥリッキオ・ルネサンス期のイタリアの画家)
当時のユベントスにはニックネームを作るのが大好きな人物がいた。アレッサンドロ・デル・ピエロのニックネームも彼が作ったのだ。アンドレア・アニェッリ会長の祖父に当たる元オーナーのジャンニ・アニェッリだ。
彼はサッカーだけでなくアートも好きだった。そして、自分のチームに所属するプレーメーカーを、そのプレー・スタイルに応じて画家に例えたのだ。
アニェッリがつけた呼び方で初めて有名になったのはロベルト・バッジョのニックネームだ。日本では「コディーノ」(イタリア語でポニーテール)という呼び方で有名だが、イタリア国内ではラファエロとも呼ばれている。ラファエロは盛期ルネサンスを代表する画家の1人だ。
ラファエロという名前がすでにバッジョのニックネームとして使われていたこともあり、(元ユベントスのオーナーはデル・ピエロにもそのニックネームをつけたかったという)アニェッリはデル・ピエロのことをピントゥリッキオと呼ぶようになったという。