2011年から2014年にかけてユベントスを支える選手だったアントニオ・コンテは、2019年5月31日にビアンコネーリ(ユベントスの愛称)の最大のライバル、インテルの監督になることを決めた。
コンテはその選択についてこう話した。
そんなコンテは現在とても複雑な状況にいる。まず、ユベントスのサポーターは彼がインテルのオファーを受け入れたことを未だに許してない。
さらに、ユベントス(リーグ1位)とインテル(リーグ4位)との間に差が開きつつある現在、インテルの多くサポーターがコンテが原因と訴えているのだ。「どうせ彼はユベントスの優勝を願っている」と。
ライバルチームに渡ったことでサポーターの怒りを浴びてきた監督は他にもいる。今回はコンテを含め「裏切り者」と呼ばれているセリエAの監督をまとめよう。

コンテ
冒頭で紹介したようにユベントスとの確執があるインテルの監督コンテは、レッチェ(リーグ17位)のサポーターからも良く思われていない話が有名だ。
知らない人も多いかもしれないが、コンテはレッチェのユースで育てられ、1986年4月6日に16歳8ヶ月にしてセリエAデビューを果たしている。そして、当時の監督カルロ・マッツォーネの元、レッチェでとても重要な存在となった。
しかし、ジャッロロッシ(レッチェの愛称)は、コンテが2007年12月にライバルであるバーリ(当時両クラブ共にセリエB)の監督になったことを未だに許していないという。
彼がバーリの監督となってからは10年以上が経っているにも関わらず、2020年1月19日に行われたレッチェ対インテルの試合では「裏切り者コンテ。

ゼーマン
かつて数多くのチームを指導してきたズデネク・ゼーマンは興味深い男だ。一貫してワクワクする攻撃的なサッカーを見せ多くのサポーターに夢を与えた。しかし、ユベントスをはじめ、複数のクラブを八百長などで訴えてきたことで、サッカー関係者の中では嫌われている。
ゼーマンは、1994年から1997年にかけてラツィオの指揮官を務めていた。そして解任になってすぐ、同じ街のライバルチーム、ローマに渡っている。ビアンコチェレスティ(ラツィオの愛称)サポーターはがっかりしたが、当初は裏切られた気持ちにならなかったという。
ゼーマンとラツィオの関係が悪くなったのは、ゼーマンが2度目のローマ監督に就任した時(2012/2013シーズン)だ。なぜなら当時ゼーマンが「この街のチームは1つ、ローマだけですね。ラツィオはしっかりした企画もなく、適当なクラブです。二度と戻ることはないと思います」と口にしたためだった。
その時からビアンコチェレスティは、ゼーマンという男の顔を見る度に頭に血が上るという。

レオナルド
かつて鹿島アントラーズでも活躍したブラジル出身のレオナルド。イタリアではミランにとってとても重要な存在だった。
当時のレオナルドは、感動的な言葉でミランに別れを告げている。「私はミランを愛しています。イタリアの他のチームでは絶対にプレーしません。ミラン相手に闘いたくはありません」
その後、2002/2003シーズンの短期間だけミランに復帰し、2009年にミランの監督に就任。攻撃的なサッカーでサポーターを楽しませた。しかし、この世には完璧な人間などいない。
レオナルドは、2010/2011シーズンに同じミラノのチーム、インテルのオファーを受けると、ラファエル・ベニテスに代わってネラッズーリ(インテルの愛称)の監督となったのだ。
これにはサポーターだけでなく、ミランでチームメイトだった数人も怒りを隠さなかった。当時、ジェンナーロ・ガットゥーゾ(現ナポリ監督)が応援団と一緒に「レオナルドはクソやろう」と歌ったシーンが話題となった。

リッピ
イタリア代表や中国代表監督も務めたマルチェロ・リッピ。1994年から1999年にかけてはユベントスを指導し、多くのタイトルを獲得した。しかし、最後のシーズンにあまり良い結果を出せなかったことがきっかけで、リッピは自ら契約を解約し、同じ年にライバルチームのインテルの監督となった。
不思議なことに、ユベントスのサポーターはリッピに対して裏切りの気持ちを感じていないと言われている。尊敬の気持ちが強いままだ。
一方で、インテルのサポーターは彼を受け入れることができなかった。ユベントスでの過去があることはもちろん、ロベルト・バッジョ、クリスチャン・ビエリ、ブラジル代表のスーパースター、ロナウドのような選手がいるにも関わらずタイトルの1つにも届かなかったことが原因だろう。
しかし、2006年のFIFAワールドカップでイタリア代表を優勝に導いたことで、リッピは現在どのサポーターにも愛される国内スターとなった。

サッリ
イタリアにはこんな言い伝えがある。「ナポリの市民はとても優しいけど、怒らせない方がいい…」
現在のユベントスの監督マウリツィオ・サッリは、2015年から2018年にかけてナポリに革命を起こした。セリエA優勝を争い、チャンピオンズリーグ(CL)で戦えるレベルまでにチームを鍛えた。
ジャージー姿とケアされてないヒゲのサッリは、スペイン王者バルセロナを思い起こさせるティキタカ(パスが小気味よくぽんぽんと繋がるサッカーの攻撃戦術の1つ)と共に街全体を盛り上げ、ナポリ市民に深く愛されていた。
また、ナポリ時代のサッリはユベントスに怒りをぶつけることも多かった。「白黒のユニフォーム(ユベントス)を着ていないとPKがもらえないのか」「今年の日程は明らかにユベントスに有利だがどうなっているんだ?」などと、サッカー界が腐っていることを強く訴えていたのだ。
そんなサッリがスーツ姿でユベントスと契約した時、ナポリの市民は悪夢を見たに違いない。