サッカーで最もゴールが入る可能性が高いのは、PK(ペナルティキック)が与えられた瞬間だ。多くの試合がPKによって決定づけられることは確かである。

PKを蹴りたいという強い意思がある選手は多いだろう。パリ・サンジェルマン(PSG)のネイマールとエディンソン・カバーニ(現在はマンチェスター・ユナイテッド所属)のPKを譲らないことを巡っての有名な因縁もある程だ。

しかし当然ながら逆には、決定的なPKをミスすることによって精神的トラウマを抱える選手も数多くいる。ミスを受け入れることができず失敗を繰り返したり、その結果サッカーから離れる選択をするものもいる。

今回は、サッカー史でも有名なPKの失敗をした10人の選手とそのシーンをランキング形式で振り返ろう。

サッカー史に残るPKミス10選

10位:マルティン・パレルモ(アルゼンチン)

マルティン・パレルモは、アルゼンチンのブエノスアイレス州ラプラタ出身の元同国代表サッカー選手。主にアルゼンチンのボカ・ジュニアーズで活躍した。パレルモが大切なPKを失敗したのは、1999年のパラグアイで開催された南米カップのコロンビア戦である。この試合でなんとパレルモは3つのPKを外し、コロンビアが3-0で勝利した。

サッカー史に残るPKミス10選

9位:スチュアート・ピアース(イングランド)

スチュアート・ピアースは、イギリスのロンドン出身の元サッカー選手。主に1985~1997年にかけてノッティンガム・フォレストで活躍した選手である。ピアースが外したPKは、1990年イタリアで開催されたワールドカップ、イングランド対西ドイツの準決勝だった。PK戦によって3-4で敗北したイングランド。この時のピアースのヒステリックな反応が話題となり、以来「サイコ(“Psyco”気が狂った男という意味)」というあだ名までがつけられてしまった。

サッカー史に残るPKミス10選

8位:アレッサンドロ・コスタクルタ(イタリア)

アレッサンドロ・コスタクルタは、イタリアのヴァレーゼ県の元サッカー選手。現在はイタリアサッカー連盟副会長を務める。主に1990年代にミランで活躍した選手である。コスタクルタが外した大切なPKは、インターコンチネンタルカップ(南米サッカー連盟の主催により1960~2004年まで開催)のミラン対ボカ・ジュニアーズの決勝戦である。ボールを蹴る前に地面を蹴ってしまいそのままボールは枠を外れた。試合は2-1でボカ・ジュニアーズが優勝する。

サッカー史に残るPKミス10選

7位:アサモア・ギャン(ガーナ)

アサモア・ギャンは、ガーナのアクラ出身のサッカー選手。現在はインドプロサッカーリーグのノースイースト・ユナイテッドでプレーしている。アサモア・ギャンが外した大切なPKは、2012年アフリカカップのガーナ対ザンビアの準決勝だった。試合の序盤でガーナがPKを獲得するも、ギャンが外してスコアは0-0のまま。後半終了10分前にザンビアのエマヌエル・マユカがゴールを決めて決勝進出を果たした。

サッカー史に残るPKミス10選

6位:フランチェスコ・グラツィアーニ(イタリア)

フランチェスコ・グラツィアーニは、イタリアのローマ出身の元同国代表の元サッカー選手。主にローマとトリノで活躍した。グラツィアーニのPKの失敗は、1984年ローマ所属時のチャンピオンズカップ(UEFAチャンピオンズリーグの旧略称)リバプール相手の決勝戦だった。グラツィアーニとブルノ・コンティがPKを外し、5-3でリバプールが勝利して優勝を果たした。

ローマ史上最も痛い敗戦としてサポーターの記憶に残っている。

サッカー史に残るPKミス10選

5位:アンドリー・シェフチェンコ(ウクライナ)

アンドリー・シェフチェンコは、ソビエト連邦ウクライナ、キエフ州出身の元サッカー選手。現在はウクライナ代表監督を務めている。選手時代は主にミランで活躍した。シェフチェンコのPKの失敗は、2005年UEFAチャンピオンズリーグでのミラン対リバプールの決勝である。前半のうちに3点リードしたミランだったが、後半最初の7分でリバプールが同点に追いつく。PK戦となり、シェフチェンコがPKを外してミランが敗れた。

サッカー史に残るPKミス10選

4位:アサモア・ギャン(ガーナ)

この負のランキングに2度も登場するアサモア・ギャン。7位のシーン同様に、またも代表戦でのPKの失敗が4位にもランクインした。4位となったのは、2010年ワールドカップでのPKの失敗である。準々決勝でウルグアイと対戦したガーナ。1-1で延長戦に突入し、延長戦の終了間際にガーナがPKを獲得する。しかし、このPKをギャンが外して延長戦は1-1のまま終了。PK戦ではウルグアイが4-2で勝利して準決勝にコマを進めた。

サッカー史に残るPKミス10選

3位:ルイジ・ディ・ビアジョ(イタリア)

ルイジ・ディ・ビアジョは、イタリアのローマ出身の元同国代表サッカー選手。現在は監督を務めている。主にローマで活躍した選手である。ディ・ビアジョのPKの失敗は1998年のワールドカップだった。同大会の開催国フランスを相手にした準決勝はPK戦で決着がつくことになった。PK戦ではディ・ビアジョがバーに当ててフランスが勝利する。

サッカー史に残るPKミス10選

2位:ジョン・テリー(イングランド)

ジョン・テリーは、イングランドのロンドン出身の元同国代表サッカー選手。現在はアストン・ビラの監督アシスタントを務めている。テリーが外したPKは今もサポーターの頭に刻まれていることだろう。2008年チャンピオンズリーグ、テリーの所属するチェルシー対マンチェスター・ユナイテッドの決勝戦の試合である。テリーがPKを決めればチェルシーが優勝するという局面で外し、ユナイテッドが6-5で制してチャンピオンズリーグ優勝を果たした。

サッカー史に残るPKミス10選

1位:ロベルト・バッジョ(イタリア)

ロベルト・バッジョは、イタリアのヴィチェンツァ県出身の元サッカー選手。キャリア通算で318ゴールを挙げたイタリアのビッグスターである。しかし、バッジョのキャリアは嬉しい思い出ばかりではない。

残念ながらイタリアのサポーターの間では、バッジョを「1994年にアメリカで開催されたワールドカップの決勝戦でPKを外した男」として覚えている人が多くいる。バッジョがPKを外しブラジルが2-3で優勝を果たした。

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