プロサッカー選手になる夢を叶える人はほんの一握り。しかし、ようやくプロの世界に足を踏み入れた選手の中には、突然の病の発症により離脱を余儀なくされる者もいる。
ここでは、突然の心臓病にサッカー人生が崩れるも、再びピッチに復帰した欧州サッカー選手5人を紹介しよう。あなたはどの選手の姿に勇気を与えられた?

クリスティアン・エリクセン
デンマーク代表MFクリスティアン・エリクセンは、トッテナム・ホットスパー(2013-2020)でレジェンドとなった後、2020年1月28日にセリエAのインテルへ移籍。2021年6月12日に行われたユーロ2020(欧州選手権)グループリーグ、デンマーク対フィンランド戦に出場の際、前半終盤で味方のスローインに合わせて走っていたところ突如心停止で倒れ、サッカー界に緊張が走った。
近くにいた複数の選手がすぐに基本的な気道確保。その間に到着したチームドクターの判断で、ピッチ上でAEDによる蘇生処置が行われた。1度目の電気ショックで心拍が復帰したエリクセンは、そのまま病院に緊急搬送されることに。意識が回復し症状が安定した後でも、プロとして再びピッチに立つのは難しいと言われていた。
2021年12月17日にインテルとの契約解消に合意し、そのまま退団引退すると思われたエリクセン。しかしながら、2022年1月31日、プレミアリーグのブレントフォードと2021/22シーズン終了までの契約を結んだことが発表された。今後の復活を楽しみにしている人は多いだろう。
ヌワンコ・カヌ
1996年の夏にアヤックスからインテルに移籍したナイジェリア代表FWヌワンコ・カヌ(2012年引退)も、エリクセン同様インテルにて病を乗り越えた選手である。移籍の夏に開催された1996年のアトランタオリンピック。ナイジェリア代表のキャプテンとして出場したカヌは、金メダルを獲得した後、心臓弁膜症を発症した。
インテルは経済的な負担もなくカヌとの契約解除を行うも、当時会長を務めていたマッシモ・モラッティ氏がカヌの復活を信じ、手術代を自腹で支払ったと言われている。
復帰後のインテルには、ロベルト・バッジョ、ロナウド、アルバロ・レコバらスーパースターが揃っていたため、カヌにはスタメンのチャンスはほぼなかったが、1999年2月にアーセナルへ移籍後に活躍している。
ジョナタン・ビアビアニー
インテルの下部組織で育ち、パルマの選手として(2009-2010、2011-2015、2018-2019)多くのゴールを挙げたフランス人FWジョナタン・ビアビアニー。2014年9月、心臓の不整脈が理由でしばらくの間ピッチを離れることが発表される。2015年1月には、病気が思った以上に深刻であったこと、サッカーから離れる時間が延びたことを本人が公式SNSに投稿した。
ビアビアニーは2015年4月に自らパルマとの契約解除を求め、無所属でコンディションを取り戻すことに集中。その後の7月にはフリーでインテルに復帰することとなるが、活躍できない日々が続いていた。
病気を抱える以前のコンディションが戻ることなく、スパルタ・プラハ(チェコ1部)やトラーパニ(当時セリエB)などでプレーし、2020年からスペイン3部サン・フェルナンドで挽回のチャンスを掴もうとしている。

アントニオ・カッサーノ
元イタリア代表FWアントニオ・カッサーノ(2017年に引退)。幼い頃からサッカーをしていた南イタリアの町「バーリ旧市街の天才」と呼ばれ、ローマ、レアル・マドリード、サンプドリアでプレー後、2010年12月にミランに入団。2011年10月29日に行われたローマ戦後、ミラノマルペンサ空港で体調不良を訴え緊急入院すると、先天性の心臓疾患であることがわかり手術を受けた。
復帰には約6ヶ月を要し、2012年4月に医師からトレーニング再開が許可される。しばらくは活躍が難しかったが、安定したプレーを取り戻し、ユーロ2012のイタリア代表選抜を掴み取った。
インテルで1シーズン(2012-2013)プレー後にパルマへ移籍したカッサーノは、そこで多くの得点と数えきれないほどのゴールシーンを生み出している。
イケル・カシージャス
レアル・マドリードと代表チームで数えきれないほどのタイトルを手に入れてきた元スペイン代表GKイケル・カシージャス(2020年2月に引退)。マドリードでは1999年から2015年にかけて725試合のゴールを守り、プリメイラ・リーガ(ポルトガル1部)のポルトへ移籍した。
2019年5月1日、トレーニング中に心臓発作を起こし病院に搬送されたカシージャス。検査の結果、急性心筋梗塞と診断される。無事に退院したものの、数ヶ月の経過観察が必要であることからそのまま現役引退することが予測されていた。
ところが37歳のカシージャスは諦めなかった。2019/20シーズンの選手登録は見送るも、スタッフとしてポルトのチームを支え、2019年11月に復活に向けて練習を再開。その後も公式戦には出場できず、2020年2月に引退を迎えることとなったが、彼の姿は多くの人に勇気を与えたに違いない。