2024/25シーズンの欧州サッカー界は、3つのカップ戦(UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAヨーロッパリーグ、UEFAカンファレンスリーグ)でそれぞれ決勝進出チームが決まり、いよいよ大詰めに。
ところで、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)は、1955年に「ヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップ」として始まり「チャンピオンズカップ」に名を変え1991/92シーズンまで行われていたが、「チャンピオンズリーグ」となった1996/97シーズンまでは、各国リーグ優勝クラブのみが出場権を得る、文字通りの“真の王者”を決める大会だった。
しかし1997/98シーズンに2位のクラブにも出場権が認められるようになると、一気に拡大路線をひた走り、今シーズンは36チームにまで拡大された。UEFAランキング上位のリーグともなれば、5位でもCLに出場できるレギュレーションとなっている。
この変更によって、競技レベルは上がり好カードを提供することが可能となったことで、UEFA(欧州サッカー連盟)は大いに潤った。しかし一方で、春秋制というハンデを乗り越え今季ヨーロッパリーグ(EL)4強に進出したノルウェー王者FKボデ/グリムトや、カンファレンスリーグ(ECL)4強で湘南ベルマーレU-18出身の日本人DF小杉啓太を擁する同じく春秋制のスウェーデンリーグ、ユールゴーデンIFといった“未知の強豪”がCLの舞台に立つことが、非常に狭き門となってしまった。
20世紀までの欧州では、リーグ戦王者は「チャンピオンズカップ」、カップ戦王者は「カップウィナーズカップ」、それに次ぐ大会として「UEFAカップ」が欧州3大カップとして存在し、その予選として「インタートトカップ」が開催されていたが、その全てが過去の遺物となった。
ここでは歴史がありながらも、レギュレーションの変更や出場クラブの拡大、スポンサーの撤退を機に幕を閉じたタイトルや大会を紹介したい。
当初はホーム&アウェイで行われていたものの、特に南米で暴動が頻繫し、1975年と1978年大会では欧州側のクラブが出場を拒否。大会自体が中止に追い込まれてしまう。
そこで、中立国での一発勝負というプランが持ち上がり、トヨタ自動車がスポンサーに名乗りを上げたことで、1981年2月、国立競技場で第1回大会(ナシオナル・モンテビデオ対ノッティンガム・フォレスト/1-0)が開催された。
25年間に渡り開催され、日本サッカー界の冬の風物詩として定着。数々の名勝負を残し、2004年大会を最後に、他大陸王者も含めたFIFAクラブワールドカップ(クラブW杯)に継承されることになる。
もちろんクラブW杯は欧州や南米以外のクラブにとっては夢のある大会となり、FIFA(国際サッカー連盟)にも莫大な利益をもたらす大会に変革したが、トヨタカップが持っていた欧州と南米の代表としてのプライドがぶつかり合うヒリヒリ感を、今となっては懐かしく感じるファンも多いはずだ。
当初は国際フェアが開催される都市の大会として設立され、国内リーグの順位とは無関係。複数の「都市チーム」が参加し、第1回大会の決勝戦は「バルセロナ選抜対ロンドン選抜」であった。参加チームはその都市の強豪クラブの選手で構成され、中にはクラブチームも含まれるという非常に曖昧なレギュレーションで開催され、参加クラブも限られていた。
最後の3年間は「ランナーズアップカップ」と呼ばれ、UEFAカップに吸収される形で幕を閉じた。1971年9月、大会消滅にあたり最多優勝(3回)のバルセロナと最後の大会で優勝したリーズ・ユナイテッドの間でプレーオフが行われ、勝利したバルセロナがトロフィーを永久保持している。
イングランドからはノッツ・カウンティ(現EFLリーグ2)やブラックプール(現EFLリーグ1)、イタリアからはクレモネーゼ(現セリエB)、ピアチェンツァ(現セリエD)など、下位クラブが優勝するという意外な結果で、マニアックなファンの間で話題となった。
しかし、参加チームの減少もあり、商業的にも成功したとは言えず。サポーターの暴動が頻発したことが決定打となり消滅することになる。もし続いていれば、イングランドとイタリアの下位クラブ間の交流がさらに広がっていた可能性もあっただろう。
当時から統一教会による霊感商法は日本国内で問題視されていたが、唯一、Jクラブからは清水エスパルスが2007年大会に参加した。清水側は「統一教会の主催なら出場していない。財団と教会は直結した関係と認識していない」との立場を取り、各方面から抗議を受けながらも出場している。
清水は、元フランス代表FWカリム・ベンゼマを擁するオリンピック・リヨン(フランス)や、元アルゼンチン代表MFフェルナンド・ベルスキを擁するリーベル・プレート(アルゼンチン)、元アイルランド代表FWケヴィン・ドイルを擁するレディング(イングランド)と対戦した(グループリーグ3戦全敗)。当然ながらテレビ中継などされるハズもなく、その試合結果も新聞をはじめ、国内の各サッカーメディアは“完全無視”を貫いた。
文鮮明氏はサッカー好きで知られ、自身がスポンサーとなり、Kリーグの城南一和天馬(現城南FC)を所有していた。しかし文鮮明氏が2012年9月に死去すると、統一教会グループはスポーツ関連事業から手を引き、同大会は廃止。城南のスポンサーからも下りることになる。これは文鮮明氏の3番目の妻で総裁を継いだ韓鶴子氏の意向が大きく反映されているという。
Jクラブが相手であるにも関わらず、南米クラブのサポーターが大挙して来日することでも知られる。2018年大会では、ヤンマースタジアム長居でのセレッソ大阪戦に臨むインデペンディエンテ(アルゼンチン)のサポーターが、道頓堀を埋め尽くしたことがニュースにもなった。
しかし、2020年と2021年大会は東京五輪の時期と重なることで開催が見送られた。正式に大会終了のアナウンスはされていないものの、その後、スルガ銀行が冠スポンサーを下りたことで、再び同大会が開催されるかどうかが不透明なまま放置されている状態だ。
ところで、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)は、1955年に「ヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップ」として始まり「チャンピオンズカップ」に名を変え1991/92シーズンまで行われていたが、「チャンピオンズリーグ」となった1996/97シーズンまでは、各国リーグ優勝クラブのみが出場権を得る、文字通りの“真の王者”を決める大会だった。
しかし1997/98シーズンに2位のクラブにも出場権が認められるようになると、一気に拡大路線をひた走り、今シーズンは36チームにまで拡大された。UEFAランキング上位のリーグともなれば、5位でもCLに出場できるレギュレーションとなっている。
この変更によって、競技レベルは上がり好カードを提供することが可能となったことで、UEFA(欧州サッカー連盟)は大いに潤った。しかし一方で、春秋制というハンデを乗り越え今季ヨーロッパリーグ(EL)4強に進出したノルウェー王者FKボデ/グリムトや、カンファレンスリーグ(ECL)4強で湘南ベルマーレU-18出身の日本人DF小杉啓太を擁する同じく春秋制のスウェーデンリーグ、ユールゴーデンIFといった“未知の強豪”がCLの舞台に立つことが、非常に狭き門となってしまった。
20世紀までの欧州では、リーグ戦王者は「チャンピオンズカップ」、カップ戦王者は「カップウィナーズカップ」、それに次ぐ大会として「UEFAカップ」が欧州3大カップとして存在し、その予選として「インタートトカップ」が開催されていたが、その全てが過去の遺物となった。
ここでは歴史がありながらも、レギュレーションの変更や出場クラブの拡大、スポンサーの撤退を機に幕を閉じたタイトルや大会を紹介したい。

トヨタカップ(インターコンチネンタルカップ)1960-2004
1993年のJリーグ開幕前、トヨタカップは日本国内のスポーツニュースでサッカーがトップとして報じられる唯一の大会だった。その起源は、1960年から開催された欧州王者対南米王者のクラブ世界一決定戦インターコンチネンタルカップだ。当初はホーム&アウェイで行われていたものの、特に南米で暴動が頻繫し、1975年と1978年大会では欧州側のクラブが出場を拒否。大会自体が中止に追い込まれてしまう。
そこで、中立国での一発勝負というプランが持ち上がり、トヨタ自動車がスポンサーに名乗りを上げたことで、1981年2月、国立競技場で第1回大会(ナシオナル・モンテビデオ対ノッティンガム・フォレスト/1-0)が開催された。
25年間に渡り開催され、日本サッカー界の冬の風物詩として定着。数々の名勝負を残し、2004年大会を最後に、他大陸王者も含めたFIFAクラブワールドカップ(クラブW杯)に継承されることになる。
新レギュレーションで今2025年6月14日から行われる新クラブW杯は、実に6大陸32クラブが出場するビッグトーナメントとなった。
もちろんクラブW杯は欧州や南米以外のクラブにとっては夢のある大会となり、FIFA(国際サッカー連盟)にも莫大な利益をもたらす大会に変革したが、トヨタカップが持っていた欧州と南米の代表としてのプライドがぶつかり合うヒリヒリ感を、今となっては懐かしく感じるファンも多いはずだ。

インターシティーズ・フェアーズカップ(1955-1971)
インターシティーズ・フェアーズカップは、1955年に第1回大会が開催された欧州カップ戦で、1971年に消滅した。当時、FIFAは公式なタイトル戦として認めた一方、UEFAは非公式戦という扱いだった。当初は国際フェアが開催される都市の大会として設立され、国内リーグの順位とは無関係。複数の「都市チーム」が参加し、第1回大会の決勝戦は「バルセロナ選抜対ロンドン選抜」であった。参加チームはその都市の強豪クラブの選手で構成され、中にはクラブチームも含まれるという非常に曖昧なレギュレーションで開催され、参加クラブも限られていた。
最後の3年間は「ランナーズアップカップ」と呼ばれ、UEFAカップに吸収される形で幕を閉じた。1971年9月、大会消滅にあたり最多優勝(3回)のバルセロナと最後の大会で優勝したリーズ・ユナイテッドの間でプレーオフが行われ、勝利したバルセロナがトロフィーを永久保持している。

アングロ=イタリアン・カップ(1970-1996)
アングロ=イタリアン・カップは、1970年から1996年まで、イングランドとイタリアのクラブが参加する国際大会として開催され、カルト的な人気を博した。イングランドからはノッツ・カウンティ(現EFLリーグ2)やブラックプール(現EFLリーグ1)、イタリアからはクレモネーゼ(現セリエB)、ピアチェンツァ(現セリエD)など、下位クラブが優勝するという意外な結果で、マニアックなファンの間で話題となった。
しかし、参加チームの減少もあり、商業的にも成功したとは言えず。サポーターの暴動が頻発したことが決定打となり消滅することになる。もし続いていれば、イングランドとイタリアの下位クラブ間の交流がさらに広がっていた可能性もあっただろう。

ピースカップ(2003-2012)
韓国で2003年から隔年で開催されていたピースカップ。その主催者は統一教会(現世界平和統一家庭連合)の創始者である文鮮明総裁が設立した財団法人「鮮文平和サッカー財団」で、2012年大会をもって終了した。2009年大会はマドリードで開催され、レアル・マドリードやユベントスといったビッグクラブも招待された。当時から統一教会による霊感商法は日本国内で問題視されていたが、唯一、Jクラブからは清水エスパルスが2007年大会に参加した。清水側は「統一教会の主催なら出場していない。財団と教会は直結した関係と認識していない」との立場を取り、各方面から抗議を受けながらも出場している。
清水は、元フランス代表FWカリム・ベンゼマを擁するオリンピック・リヨン(フランス)や、元アルゼンチン代表MFフェルナンド・ベルスキを擁するリーベル・プレート(アルゼンチン)、元アイルランド代表FWケヴィン・ドイルを擁するレディング(イングランド)と対戦した(グループリーグ3戦全敗)。当然ながらテレビ中継などされるハズもなく、その試合結果も新聞をはじめ、国内の各サッカーメディアは“完全無視”を貫いた。
文鮮明氏はサッカー好きで知られ、自身がスポンサーとなり、Kリーグの城南一和天馬(現城南FC)を所有していた。しかし文鮮明氏が2012年9月に死去すると、統一教会グループはスポーツ関連事業から手を引き、同大会は廃止。城南のスポンサーからも下りることになる。これは文鮮明氏の3番目の妻で総裁を継いだ韓鶴子氏の意向が大きく反映されているという。

スルガ銀行チャンピオンシップ(2008-2019)
JリーグYBCルヴァンカップ(ルヴァン杯/旧ヤマザキナビスコ杯)王者と、南米のCONMEBOLコパ・スダメリカーナの優勝チーム同士が、ルヴァン杯王者のホームで行う一発勝負の大会。2008年から2019年まで開催され「スルガ銀行チャンピオンシップ」と呼ばれていたが、正式名称は「JリーグYBCルヴァンカップ/CONMEBOLスダメリカーナ王者決定戦」となる。
Jクラブが相手であるにも関わらず、南米クラブのサポーターが大挙して来日することでも知られる。2018年大会では、ヤンマースタジアム長居でのセレッソ大阪戦に臨むインデペンディエンテ(アルゼンチン)のサポーターが、道頓堀を埋め尽くしたことがニュースにもなった。
しかし、2020年と2021年大会は東京五輪の時期と重なることで開催が見送られた。正式に大会終了のアナウンスはされていないものの、その後、スルガ銀行が冠スポンサーを下りたことで、再び同大会が開催されるかどうかが不透明なまま放置されている状態だ。
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