売れっ子女優、吉岡里帆(31)の事務所移籍は、昨今の芸能界の潮流があるようだ。それまで所属していた「エー・チーム」の芸能関係の業務休業発表を受けて退所、注目された移籍先として、吉岡は「有限会社フラーム」と契約を結んだことを明かした。


 同社は広末涼子のマネジャーが代表となって1998年に設立。その広末が不倫騒動を経て独立、袂を分かったが、戸田恵梨香吉瀬美智子有村架純田中みな実ら、売れっ子の女優が多数所属している。


「個性的な広末を長くマネジメントしていたように、きめ細かな対応で、所属女優ひとりひとりに丁寧に対応している印象。『吉岡里帆が女優としてより一層輝けるように、歩幅を合わせて真摯にひたむきに努力してまいります』とサイトにあるように、相思相愛で、良い仕事をしていくのでは」と、業界に長い芸能プロデューサーはこう言う。


「出演が決まっていた4月スタートの日テレ系ドラマが制作中止になるなどしましたけど、吉岡は実直でやる気もあると業界での評価はすこぶる高い。今後さらなる飛躍がありそうですよ」


 ドラマ、映画、CMと引く手あまたの吉岡だが、それらは自らの手でつかみとっていった努力とガッツの持ち主らしい。

撮影所で有名な京都の太秦で育ち、演技に開眼。自主映画や小劇場に臨み、東京の養成所と京都を行き来しながらオーディションを受け、女優を目指した。「エー・チーム」はその養成所と連結していて、通って2年が経った頃、「このままでは、埋もれてしまって抜け出せない」と自らを売り込んだのが入所のきっかけ。


「ここの看板女優になる」「めちゃくちゃ働くから、仕事をください」などと社長に直談判したそうだ。スポーツ報知の取材に、当時自らをこう語っている。


「私は欲しいものは自分の力で手に入れたい。

ハングリー精神強めで、どちらかというと団塊世代に近いなと思う」


 タレント、女優として「逸材」と呼ばれているのも、想像に難くないか。そんな売れっ子が所属していたのに、マネジメント業務停止とは、どういうことだったのか。


「『エー・チーム』はアパレル会社勤務を経て石田純一のマネジャーをしていた小笠原明男氏が96年に設立したもの。制作や持ち前の営業力で映画監督の滝田洋二郎氏らをマネジメントし、伊藤英明やタレントDAIGOを売れっ子に育てたことで知られます。しかし、2018年にその創業者小笠原さんが亡くなって以降、営業力に陰りが出て、いろんな意味で、うまく回らなくなっていったようです」と、前出の芸能プロデューサー。


 貧すれば鈍すじゃないが、看板俳優の伊藤英明が22年に、松本まりかが昨年末、事務所を去り、それぞれ他の事務所に移籍。

剛腕とされた幹部スタッフも相次いで辞めていったようだ。


「営業でタニマチや業界での強力なツテをつかみ、それをもとにやっていくやり方が時代と共に通用しなくなったのかもしれませんね。コロナ後、カネの流れも変わりましたし、ドラマも映画も配信が主流の時代に。そのトップに躍り出た『ネットフリックス』などは、事務所の看板などに左右されないどころか、日本の大手芸能事務所の所属タレントは起用しないといわれているくらいですから。それらが世界標準で、そんな世界で売れている真田広之のような存在こそ、事務所もタレントもめざすべきトップなのでしょうね」(同)


 事務所がどこだとか、だれだれさんのツテがあるという売り方。そんなかつてのギョーカイ流ではなく、実力オンリーでのし上がっていく時代。

そんな潮流の変わり目にあわせ、泳ぎも変えたのが吉岡里帆なのかもしれない。