【増田俊也 口述クロニクル】
写真家・加納典明氏(第15回)
小説、ノンフィクションの両ジャンルで活躍する作家・増田俊也氏による新連載がスタートしました。各界レジェンドの一代記をディープなロングインタビューによって届ける口述クロニクル。
◇ ◇ ◇
増田「典明さんの子供さんたちも楽しんでましたか。向こうの暮らしを」
加納「うん。子供だからやっぱり俺とは楽しみ方が違うよね。あと俺は女の子にはとても優しくて、後々アメリカにも行かせたりして好きにやらしたけど、双子の男の子にはシビアだったね。ときどきひっぱたいたりもした」
増田「それは東京にいるときから?」
加納「東京にいるときは忙しくて、あんまり子供の表情を見るなんてことはなかったですね。王国に行ってから交流というか、そういう余裕も出てきた。子供の面倒は女房任せだったのは相変わらずで、俺はほとんど外にいたけども。でも、やっぱり王国に行って少し余裕が出てきて子供の顔見るのは楽しかった。成長の横顔見たり、彼女や彼らの喜怒哀楽も楽しかったし」
増田「王国のなか自体が広いから、学校に行くのって距離がかなりありますよね、きっと」
加納「そうそう。だから、送ってたよ」
増田「まさかハーレーダビッドソンで?」
加納「いや。さすがにランクルですよ。
増田「そうか。浜中って元々が谷地、湿地帯ですからね」
加納「学校までかなりの距離だったしね。季節によっては泥々ですよ、ほんとに」
増田「冬はもちろんランクルじゃないと行けないでしょうしね」
加納「そうです。ひどい雪でね。どんどん深くなるし、吹雪くし、そして寒い」
増田「大変でしたね」
加納「いや。でもそういう面では別に不便に感じなかったな。子供たちにとってもいい経験だし、いい環境だった」
増田「向こう行った時はまだ明日美(畑正憲の長女)さんは大学行ってないですよね」
加納「行ってない。行ってない。ぜんぜん」
増田「中学生ぐらいですか。小学生かな」
加納「うちの娘が小学校だから中学生くらいかな。それくらいだよ。たしか」
増田「夏の間はハーレーでよく走ったんですか」
加納「うん。
ハーレーを乗り回す「イージー・ライダー」の世界
増田「札幌とか函館とか、そういう遠くも行かれてたんですか」
加納「結構行った時代あるね」
増田「道内全体を回ったり」
加納「そうそう。大体北海道は俺知ってるよ」
増田「1人で回ってたんですか」
加納「そうだね。で、ときどき東京からバイク仲間が来たりするんで、そういうときはつるんで回った」
増田「映画『イージー・ライダー』*の世界ですね。そういうときはホテル泊まるんですか」
※イージー・ライダー:1969年公開のアメリカ映画。反体制映画の代表的作品として有名。コカインを隠し持った若者2人がハーレー・ダビッドソンのバイクで放浪の旅をする姿を描く。ステッペンウルフによる主題歌『ワイルドでいこう!(BORN TO BE WILD)』も世界中で大ヒットした。
加納「ホテルだったり旅館だったりさまざま」
増田「ヒグマと遭遇したりはしなかったですか」
加納「ヒグマはなかった。エゾシカ*やキタキツネはしょっちゅう出くわしたけど」
※エゾシカ:本州に棲息するニホンジカの亜種で、現在は北海道に70万頭以上いると推測されている。動物学におけるベルクマンの法則「同じ種の恒温動物は寒い地域に住むほど体が大きくなる」通り、ニホンジカの平均体重が42キロなのに対しエゾシカでは最大150キロほどになる。巨大な体のため、自動車との衝突事故では自動車が廃車になるほどの衝撃がある。
増田「ヒグマ、怖くなかったですか。
加納「そりゃ怖いよ。遭いたくなかったね」
(第16回につづく=火・木曜掲載)
▽かのう・てんめい:1942年、愛知県生まれ。19歳で上京し、広告写真家・杵島隆氏に師事する。その後、フリーの写真家として広告を中心に活躍。69年に開催した個展「FUCK」で一躍脚光を浴びる。グラビア撮影では過激ヌードの巨匠として名を馳せる一方、タレント活動やムツゴロウ王国への移住など写真家の枠を超えたパフォーマンスでも話題に。日宣美賞、APA賞、朝日広告賞、毎日広告賞など受賞多数。
▽ますだ・としなり:1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。