3日早朝、肺炎のため都内の病院で亡くなったプロ野球の国民的スター、元巨人の長嶋茂雄さん(享年89)。


「父の頑張りを目の前で見ながら迎えた誕生日は、一生忘れられません」


 長嶋さんを看取った次女・三奈さん(57)がこうコメントしているように、長嶋さんが亡くなった日は自身が現役時代につけていた背番号と同じ3で、三奈さんの誕生日。

さらに年齢も89と野球にちなんだもので、奇跡的な組み合わせからスーパースターらしい最期だという声が多くあがっている。SNSではほかにもこんな声も。


《昭和の大スターが3人そろって同じなのがスゴイ!》


 長嶋さんの逝去で注目を集めたのが、20年3月29日に亡くなった国民的コメディアンの志村けんさん(享年70)、22年10月1日に亡くなったプロレス界のスーパースターのアントニオ猪木さん(享年79)と、日本を代表する3人の誕生日が同じであることだ。


 それぞれ7歳差という偶然も重なっている。


「志村さんは長嶋さんが松井秀喜さんと一緒に国民栄誉賞を授与された際は涙を流すほど、特に誕生日が同じであることを誇りに思っていて、非常に尊敬していました。また、長嶋さんがプロ入りして初めてキャッチボールをしたのが、猪木さんのライバルだった巨人時代のジャイアント馬場さんでした。長嶋さんとプロレス界の関係は深く、馬場さんのほかに17年に亡くなった元プロレスラーのドン荒川さんが長嶋さんと非常に親しい間柄だったことはよく知られています。しかし、猪木さんとの接点は意外と少なく、テレビで共演する程度でした」(スポーツ紙記者)



病と闘う姿に多くの人が勇気をもらった

 猪木さんは、2004年3月に脳梗塞で入院した長嶋さんが懸命にリハビリに励む様子を知り、お互いの誕生日である06年2月20日に、次の激励メッセージを色紙にしたためている。


《ながい人生


 がんばり励んで


 しんじた道に


 まいた種


 しげみは広がり


 げんきよく


 おおきな夢をありがとう》


 詩集を出版するなど、自身の生きざまを文章につづることが多かった猪木さん。長嶋さんのフルネーム(ながしましげお)の7文字から始まる激励文は猪木さんの死後、長嶋さんのもとに届けられたと報じられている。


「長嶋さんは脳梗塞を患った後、懸命にリハビリする様子をテレビで放送し、同じ境遇にいる人たちを勇気づけました。猪木さんも亡くなる直前まで闘病する姿をYouTubeで配信し、多くの人が感銘を受けています。

本来、苦しい状況を人には見せたくないものですが、あれだけ強かった人があえて弱っている姿を世間に見せるところも偉大でした。それぞれの世界で頂点を極めた者同士どこか相通じるところがあったと思います」(週刊誌記者)


 偉大な3人の誕生日である2月20日を国民の祝日に推す声が多く聞かれる。


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