【私が生きるクスリ】
六角精児さん(俳優/63歳)
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舞台出身でドラマ「相棒」の鑑識係として注目され、ギャンブラー、旅人などいろんな顔を併せ持つ六角精児さん。私生活では4度の入籍歴を持ち、まさに紆余曲折の人だが、それだけにそのありようは味わい深い。
競輪、ボート、競馬にパチンコとこれまでギャンブルはなんでもやってきましたが、実は僕はたいした博打はできないんですよ(笑)。まず気が大きい方じゃないし、気がついたらちょっとずつ負けてすべてを失っているタイプの人間です。度胸がなくて、大金を張るやり方ができない。
亡くなった作家の伊集院静先生とお話をした時に「ギャンブルというのは持ち金の9割を賭けるもんだよ。チマチマやってるのはギャンブルじゃない」と言われたことがあります。そういう意味では僕がやっているのはギャンブルじゃないんだなと思いました。
僕はそもそもどうやったら勝てるかということを考えてやっていないですね。好きな選手しか買わないとか……。競輪に坂本勉(1984年ロス五輪の銅メダリスト)という選手がいました。坂本さんが現役の時はずっと買い続けましたからね。一度インタビューしたことがありますが、その時に坂本さんが喜んでくれて、レーサーパンツをもらいました(笑)。
ギャンブルはどちらかというと、誰でもやっているものよりは少数派がやっているものが好きです。だから、競馬もやるけど、競馬じゃないんです。競輪は人の脚で勝負する、ボートはエンジン次第という面もあるけど、どこか人間くさい。そのあたりのドラマ、人間模様が好きですね。
ギャンブルに対する考え方も人とはちょっと違いますね。多くの人はギャンブルは勝つことだと思っているじゃないですか。でも、僕はギャンブルの醍醐味は「勝つ味」より「負け味」と思っている。だって、公営ギャンブルはテラ銭(25%)を引かれるんです。どう考えてもやればやるだけ負けるに決まっています。
だから、勝ち負けよりはあの時はこういう賭け方をしたなとか、今日はここまでうまくいったけど、そこからがダメだったなというような、心の在り方をギャンブルに求めてしまう方です。まぁ、勝ったらもちろんうれしいんですけどね(笑)。
パチンコは今もやってますよ。
ボートに関しては最初にやった時は面白いほど当たった。11レース中7レースが当たったこともあります。儲けはたいしたことないけど。当時はこれからやるならボートだと思いました。
でも、10年くらいやっていて、最近、とくに当たらない。2カ月連続でまったくです。一昨日なんか当たったと思っていたら買っていた艇が落水して! もう呪われているのかと思いました。
結局、僕の場合はたくさんお金を張るのではなく、仕事では味わえない、ほどよいドキドキ感を楽しみたいということだと思います。ギャンブルはすべて自己責任ですからね。とは言うものの、今までさんざんギャンブルで周りの人に迷惑をかけてきたのも事実なので、なるべく気をつけながら付き合っていきたい。
仕事に関してはこだわっていません。別に何をやってもいいと思ってる。音楽でも鉄道でも楽しく関わることができれば、六角精児という人間がなるべく自由にいられることができる仕事であれば大歓迎です。
世の中はエネルギーのキャッチボールで成り立っている
僕は仕事であれ日常であれ、人とのエネルギーのやりとりが好きです。たとえば舞台や映像で何かの役を演じている人がセリフを言ったりしているのは誰かに、相手役や観客にエネルギーを与えているのだと思います。そして、エネルギーをもらった人が自分のエネルギーを誰かに届ける。世の中もそういうエネルギーのキャッチボールで成り立っていると思う。
だけど、中にはほとんどエネルギーを発しない人がいる。自意識が邪魔をしているのか、そもそも何かを伝えようとすること自体、無意味だと思っているのか……。
これはあくまでも持論ですが、我々昭和の人と平成を生きてきた人は違うなと思うことがあります。生きるシステムや生活の違いが理由なのか、平成の人は理路整然として隙がなく、無駄なく生きている傾向。一方、我々は余分なことをやって生きている。むしろ無駄が多過ぎる。けど、隙なく無駄なく生きている人のエネルギーは、あんまり血肉となってこちらに伝わってこない。正直、「つまらんな」と思ってしまうことが多い。
なぜなのか。それは人間の魅力や豊かさの「花」は「無駄」という土壌に咲くからではないのか? 人生の寄り道回り道は余計なことなのかもしれない。でも、自分の人生をものすごく美化して言わせてもらえば、僕が今こうしていることができるのはギャンブルにハマったり借金をしたり、おおむねそういう無駄なことばかりをやってきたからなのです。時に非常に間違った方向に行ってしまったこともありましたが、それが自分の今の力になっている。そしてその経験をこうしてお話しし、聞いてもらうことで、今度は僕が誰かに力を与えることになるんじゃないか。
僕はこれまで本当にいろんな人に怒られてきました。人のために怒るのはエネルギーがいること。昔は怒られるのは嫌だったけど、今はありがたいと思っています。まず母親。子供の頃は毎日怒られた。勉強しない、テストの点数が悪いと怒られ、一度なんか米の炊き方が軟らかすぎると文句を言ったら、硬い米が好きな人間は頭が悪いと怒られた。もうメチャクチャでした。
その母親が今は施設に入っています。もう記憶が曖昧で。
ずっと一緒に劇団「扉座」をやっている横内謙介は初期の頃は僕のことを一生懸命怒ってくれた。稽古していて、そうじゃない、もう1回やれって、何度も何度も。たった2、3分のシーンなのに一日中怒られたこともあった。そんな経験をして舞台に立てた時、初めて見えない壁を乗り越えられた気がした。まぁ壁はその後もたくさんあるんですけどね(笑)。
人は追い詰められてからが勝負。ゼロから何を出せるかが人間の強さ
人は追い詰められて何も持っていない、用意したものがなくなった状態からが勝負なんです。その時の状態はゼロ。ゼロから何を出せるかが人間の強さ。それを経験できた劇団にいてよかったなと感謝しています。
NHKのBSで「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」という番組もやっています。元々、鉄道に乗って気の向くまま呑みながら旅するのを好きでやっていました。それを聞きつけたスタッフの方が番組にできないかというのがきっかけで始まりました。
鉄道も目的地に行くのには速い方がいいとされているけど、緩い感じがいいという50代、60代の方もいる。そういう人に支持されているんでしょうね。ずっと同じ速いテンポで生活していると大変なので、息抜きに緩さを求めているということだと思います。40代から下の人はその感覚があまりわからないみたいですけどね。
(聞き手=峯田淳)