【お笑い界 偉人・奇人・変人伝】#259
林正之助さん
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吉本興業の元会長で「ライオン」と呼ばれていた林正之助さん。伝説の名物会長と「一度は話をしてみたい」とずっと思っていましたが、そんな機会はなかなか訪れませんでした。
それが現実のものになったのは1987年11月に「なんばグランド花月」がオープンしてほどない頃でした。会社の玄関入り口にあるエレベーターに乗り込まれた林会長を目にした私はとっさに「今や!」と思い、閉まりかけのエレベーターに飛び乗り楽屋のある3階のボタンを押しました。そして初めて気づいたように「おはようございます」と挨拶をすると、杖を私の方に突き出し鋭い視線で睨みつけ、明らかに怒気のこもった口調で「君はウチ(吉本)の社員か?」と聞かれたのです。心臓が口から飛び出しそうなぐらいドキドキしながら「いえ、阪神巨人さんやいくよくるよさんのネタを書かせていただいている本多と申します」と答えると、鋭かった視線がやさしいものに変わり、杖を下ろして「ウチの芸人がお世話になっております。おもろいもんを書いてやってください」と深々と頭を下げられたのです。
思いもよらない言葉にどう返事をしたのかも覚えていませんが、エレベーターを3階で降りた私は「失礼します!」と扉が閉まるまで頭を下げていました。
今考えても、よくあんな大胆な行動がとれたなと当時の緊張と共に、頭を下げられた姿とかけてくださった言葉がそのまま蘇ってきます。わずか10秒たらずの時間でしたが、「剛腕」「ワンマン」「ライオン」と恐れられていた会長の笑いに対する真摯な姿勢が見られたことにうれしさを感じています。
後年、NSCの講師になった当時の担当者が若かりし林元会長の“番頭”さんだった方で、
「おやっさん(林元会長)はそらええ度胸してたで。他の興行師からいつ襲われるかわからへんから、外へ出るときはさらしに濡らした紙を巻き込んで腹に巻いて、いつ刺されても大ケガをせんようにしてピリピリしながら出て行ったはったで。わし(担当者)ら怖いさかいビクビクしとったけど、悠然と構えてな。それこそ毎日が命がけやがな。
と教えていただき、エレベーターでの話をすると、
「よぅそんな怖いことするわ! アンタ見た目と違ごて度胸ありまんねんな!」
とあきれられました。私としてはわずかな時間でもそんな元会長とやりとりができて良かった、と改めて思ったものです。
(本多正識/漫才作家)