習近平(シー・ジンピン)政権下で進む中国軍の大規模な粛清劇が、東アジアの安全保障環境を根底から揺さぶっている。軍トップの解任という異例の事態は、一見すると習氏の権力強化にも見えるが、その実態は「独裁者の猜疑心」が生んだ機能不全と言わざるを得ない。
台湾侵攻の現実味が遠のく一方で、経済失速の波が日本へ及ぶ懸念も強まっている。混迷を極める隣国の現状を読み解く。

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 軍事委員会の副主席を務めた張又侠(ジャン・ヨウシア)氏と、参謀本部長の劉振立(リュウ・シンリ)氏。軍の要職にあった2人の粛清は、中国政治において極めて大きな衝撃となった。張氏は習氏と幼なじみであり、現役幹部の中で唯一の実戦経験を持つ実力者だ。かつては兄弟のような信頼関係にあったはずの側近を排除した背景には、腐敗対策という表向きの理由を超えた、深刻な内紛の影が見え隠れする。

 今回の解任理由として挙げられた「主席責任制の踏みにじり」という言葉は象徴的だ。これは、あらゆる決定を習氏一人に委ねる絶対的なルールに背いたことを意味する。独裁体制が深まるにつれ、周囲のわずかな不満や批判も「裏切り」と見なされる。密告と盗聴が横行する監視社会では、居酒屋で上司の愚痴をこぼすような日常の行為さえもが命取りになる。かつて毛沢東が晩年に陥った「信用の収縮」という罠に、習氏もまた足を踏み入れているのだ。

 軍の首脳陣が次々と姿を消したことで、中国軍は現在、パニック状態に陥っているとみられる。
7人からなる中央軍事委員会のうち、実質的に動けるのは習氏を含めわずか2人。麻雀も打てないような人数で、複雑な現代戦の指揮を執ることは不可能に近い。台湾侵攻を強行しようにも、作戦を立てる参謀も、現場を統率する司令官も不在では話にならない。新たな人事を行い、訓練を重ねて指揮系統を再構築するには、少なくとも3年から5年の歳月を要するだろう。軍の機能不全により、物理的に台湾海峡の緊張が「時間稼ぎ」の状態に入ったという見方は有力だ。

 一方で、この粛清の嵐は中国経済にさらなる暗雲を垂れ込めている。軍への締め付けが強まる中、官僚や研究者の間では「余計なことは言わない」という事なかれ主義が蔓延している。経済政策におけるボトムアップのメカニズムは崩壊し、現場の悲鳴がトップに届かない構造的な欠陥が露呈している。習氏の耳に入るのは「景気は順調」という嘘の報告ばかりで、深刻なデフレや過剰在庫という現実への対処が遅れているのだ。

 中国経済の失速は、日本にとっても無視できないリスクだ。日本企業はこれまで「安価で良質な労働力」を求めて中国へ進出してきたが、今や政治的な不透明さが最大のリスクとなっている。ただし、日本政府や企業が過度に狼狽する必要はない。
例えば、中国がカードとして使うレアアース(希土類)などの供給停止措置に対しても、日本は2010年の経験を経て十分な在庫を積み増している。さらに、海底資源の開発や代替技術の確保も進んでおり、中国の揺さぶりに動じることなく、冷静に「チャイナ・リスク」を管理する局面に来ている。

 今後の焦点は、間もなく開催される全国人民代表大会(全人代)での人事だ。特に、日本通として知られる王毅(ワン・イー)外相の去就や、対米外交を担う「アメリカンスクール」派の台頭は、日中関係の体温を左右する。最近では、中国大使が日本の会合に出席するなど、関係改善を模索するような「雪解け」の兆しも一部で見られる。これは、日本国内の政治情勢を見極めようとする中国側の計算も働いている。

 日本がとるべき道は明確だ。まず、G7諸国の中で「最弱」とも評される対外発信力の強化が急務である。日本の主張を英語や中国語、多言語で世界に直接発信する体制を整えなければ、情報戦で後れを取ることになる。その上で、アジア諸国や欧州との連携を深め、多角的な外交ルートを構築する「プランB」を常に用意しておくべきだ。

 独裁体制の末路は、歴史が示す通り、組織の硬直化と崩壊の予兆に満ちている。中国という巨大な隣人が抱える内憂外患を注視しつつ、日本は自らの立ち位置を固め、リスクをコントロールしながら、したたかにチャンスをうかがう戦略が求められている。
0123456789という数字が示す経済指標以上に、軍と政治の深層に潜む歪みにこそ、未来を読み解く鍵がある。
【編集:af】
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