亡くなる2日前、69歳の誕生日を記念して『★』を発売したデヴィッド・ボウイ。
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前妻との間の息子で映画監督のダンカン・ジョーンズは、父親の死去について、「とても残念で悲しいけれど本当です。僕はしばらくオフラインになります。皆さんに愛を」とツイートしました。
そんなデヴィッド・ボウイの妻は、ソマリア出身の元スーパーモデル、イマン・アブドゥルマジドです。今回の訃報に対しても、ツイッターとフェイスブックの公式アカウントで「苦しみは本物、そして神も」と発言しています。
イマンと言えば、マイケル・ジャクソンの「リメンバー・ザ・タイム」のPVに出ている女王役が有名ですね。銅色の肌に長い首、エイジレスな美貌と抜群のスタイルを誇る絶世の美女ですが、今回はイマンではなく、デヴィッド・ボウイをめぐるもう1人の美女、前述ダンカン・ジョーンズの母である、前妻アンジー・ボウイとの奇妙な婚姻関係に注目してみたいと思います。
1970年に結婚したアンジーとデヴィッドですが、1972年、デヴィッドは雑誌のインタビューで、自分がバイセクシャルであること、そして妻のアンジーも同様である、と公言しています。「僕たちは1人の男をはさんで横になっていた」という衝撃的な発言も物議を醸し出しました。
アンジー・ボウイ、こと、メアリー・アンジェラ・バーネットは、女優の卵をしている19歳の時に、22歳のデヴィッド・ボウイとライブハウスで出会い、互いにバイセクシャルであることを告白しあって意気投合し、恋に落ちました。
またアンジーは、デヴィッドが、「ザ・ローリング・ストーンズ」のミック・ジャガーと裸でベッドに寝ているところに踏み込んだ時のことも、『ザ・サン』紙のインタビューで回想しています。
お互い愛し合いながらも、自由な恋愛を許しあっていた夫婦でもあったので、アンジーはさほど驚くこともなく、「2人が恋愛関係にあったのか、じゃれあっていただけなのかは分からない」という私見を述べています。
1971年には、2人の間に息子のゾウイも誕生します。ゾウイ・ボウイと呼ばれたこの少年が、前述の映画監督ダンカン・ジョーンズです。 (写真は元記事参照)
互いに中性的で、シャープで美しい夫婦でしたが、大スターとなったデヴィッドは長期間家を空けることが多くなり、寂しさからドラッグに溺れたアンジーは自殺未遂を繰り返し、2人の関係は70年代の終わりには破局を迎えます。
その後もアンジーは、ポーランド系イギリス人ドゥルー・ブラッドとの間に娘をもうけ、暴露本を出版したり、自らもアルバムを出したり、精力的に活動を続けています。
一方、デヴィッドは、1992年にスーパーモデル、イマン・アブデュルマジドと運命的な出会いを果たし、「まるでもう一度思春期が訪れたみたいな気持ちだ」と語るほどの熱愛ぶりで娘のレクシーを授かります。浮名を流し続ける生活態度も一変し、その愛は生涯続いたと言われています。
デヴィッドにとって、長い期間、穏やかに愛し合ったイマンとの関係は得難い真実に愛であったことは想像に難くないですが、一方で、人生のうちでほんの短い期間…最も中性的で奇抜で美しかった時代に愛し合ったアンジー・ボウイとのツーショット写真たち(写真は元記事参照)もまた、今見ても、見惚れるほどスタイリッシュで魅惑的です。
【参考】 ロックスターの女たち - ヴィクトリア バルフォア (著), 吉田 真弓 (翻訳) 音楽之友社
(星野小春)