(文学座の宣材写真から引用。
今回取り上げるのは『鎌倉殿の13人』で演じている和田義盛(1147~1213)が第41回『義盛、お前に罪はない』で、和田合戦の末討ち死にして退場してしまったからである。
新劇の文学座に所属する51歳のベテラン俳優で、TVに親しんでいる人なら、CMで見た顔である。
TOTOのCMで、トランプのジョーカーのような格好をしたビックベンを演じて、寺田心と出演していた。
続編はビッグベンによく似たがたいの良いオジサンが風呂に入っている内容だ。
ソニー損保では、遊井亮子(1976年8月10日生れ)扮する妻に翻弄される夫を熱演している。
最近心配なニュースがあった。
大河ドラマ撮影終了後の初仕事
文学座の舞台『欲望という名の電車』の副主人公のスタンリー・コワルスキー役を、降板した。
文学座の公式発表はこうである。
文学座公演「欲望という名の電車」に出演を予定していた横田栄司は、心身の不調により降板させていただくことになりました。
舞台を心待ちにして下さっていた皆さま、作品に携わる全ての関係者の皆さまに心よりお詫び申し上げます。
横田は、微熱と極度の倦怠感のため受診したところ肝機能障害と慢性疲労症候群の診断を受け、またメンタルヘルスに於いても不調の診断を受けたため、双方の医師と相談の上、やむなく降板の判断に至りました。
これより暫しの休養をいただき、再び皆さまと舞台でお目にかかれるよう回復に努める所存です。
尚、スタンリー役は鍛治直人が務めます。
皆さまのご期待に添える作品となりますよう、キャスト・スタッフ一同精進してまいります。
とのことである。
筆者はふと疑問に思った。
実は『鎌倉殿の13人』の主役、小栗旬とは舞台俳優仲間として何度も共演した仲である。
新劇とは、このコラムでは何度も取り上げているが、外国語で書かれた戯曲つまり翻訳劇を上演する劇団で、古くはギリシャ悲劇からシェイクスピア、現代の翻訳物まで取り上げる。
小栗旬は舞台俳優としては劇団に所属していないが、新劇の俳優という側面を持っている。
当の小栗旬は、大河ドラマ最終回直後に上演されるシェイクスピアの舞台
『ジョン王』(演出吉田鋼太郎)の主演が決まっている。
じつはこれにも横田栄司がジョン王役で出演予定だったが、降板が決まった。
(代役は、東京公演は吉原光夫、その他の地方公演は吉田鋼太郎)
正直、大河ドラマの後の仕事というのは、主役或いはそれに準じる役柄の俳優にとって大変しんどいのではないか?
と素人ながら、心配になってしまった。
横田栄司は、『鎌倉殿の13人』に第1回から登場する人物として大活躍してドラマ全体の8割登場していた。
おそらく、横田栄司のTVドラマの代表作になりそうな大活躍ぶりだった。
大河ドラマの方はほぼ撮影が終わっているので、心配なかったが、こうした走り抜けた仕事の後は、主役級の出番の俳優ならば、半年以上休養をとった方が良い。
しかも、次に待ち構えていた仕事が、横田栄司が所属する文学座が満を持して35年ぶりに上演する舞台のスタンリー役である。
だが、筆者は偉そうなことを書いてきたが、肝心なことをすっかり忘れていたのである。
「ヤバい、私『欲望という名の電車』ちゃんと観たこと無いわ…」
と言うわけで、コラムの主役不在の文学座の舞台を観劇してみることにしたのである。
筆者は文学座公演『欲望という名の電車』(10月29日~11月6日紀伊國屋サザンシアター)の11月1日の夜の回を観に行った。
文学座『欲望という名の電車』の東京公演は2日間(10月29日と11月1日)のみ夜割で、通常料金6200円が4500円になる。
他にも夫婦割(2人で11000円)や25歳以下のユースチケット3800円、中高生が2500円だった。
だが、残念ながらチケットは11月6日分まですでに売り切れている。
筆者もやっと残り数席で後部座席を入手できた。
東京公演が終わると11月9日から岐阜県可児市、11月12日から兵庫県尼崎市での巡業があるので、近場であれば観る機会もあるだろう。
一般料金は6200円よりもっと安くなるらしいので、是非観に行って欲しい。
その価値はある内容だ。
あらすじ
かつてはアメリカ南部の大農園で育ち、上流階級の娘であったブランチ・デュボア。
未亡人となった彼女は「欲望」という名の電車に乗り、「墓場」という名の電車に乗り換え、「天国」という名の駅に下車。
ブランチが降り立ったのは、今まで住んでいた街とは遠くかけ離れたアメリカ南部のニューオーリンズのフレンチクォーター。
この地に住む、妹のステラとその夫・スタンリーが住む貧しいアパートにたどり着き、3人の共同生活が始まる。
豪華絢爛な暮らしをしてきたブランチにとって、多民族が交差し合うニューオーリンズでの生活は衝撃的であった。
スタンリーは派手に振る舞うブランチに苛立ちを感じ、二人は反発しあう。
そんな中、スタンリーの友人のミッチと出会ったブランチは、自身の新たな希望を見いだすが…。
自身の過去に執着し続けるブランチ。
彼女とは対照的に現実を受け入れ、逞しく生きるステラ。
そしてスタンリー。
そして3人を取り巻く街の力強さ。全てのエネルギーがスパークし合う先に見える情景とは。
主な登場人物は
ブランチ・デュボア(山本育子)
元高校教師。英語を教えていた。アメリカ南部の旧家の大農園の令嬢
スタンリー・コワルスキー(鍛治直人)
工場部品のセールスマン。ポーランド系移民二世。第二次大戦イタリア戦線の帰還兵。
ステラ・コワルスキー(渋谷はるか)
ブランチの妹。10年前に故郷を離れて、スタンリーと結婚。
ハロルド・ミッチェル(ミッチ) (助川嘉隆)
近所に住むスタンリーの友人。同じ戦線で戦った仲間でもある。病気の母親を抱える。
筆者は、一応あらすじは知っているつもりだったので、ヘビーな内容の為観るのが正直怖かった。
実際に観てみると、確かに悲劇的な内容だが、戯曲の構成はしっかりしていて、面白かった。
正直、筆者は映像の方が専門なので、舞台専門の俳優に詳しくない。
今回の文学座の出演者は、医者役で最後にだけ登場する小林勝也(1943年3月25日生れ)が『ちむどんどん』に出演していたので、唯一知っている俳優だ。
だが、かえってそのお陰で純粋に芝居の内容が入ってきたので良かった。
決め台詞が冒頭・前半・ラストと3箇所ある。
これは演出だと思うが、主人公のブランチがアルコール依存症の幻覚や幻聴を発症する様子が分かりやすい。
今でも何度も上演される理由として、ブランチのような病は精神医学の世界では比較的古くから研究されていたが、副主人公のスタンリーは明らかに戦争PTSDだ。
そのような人物は第一次世界大戦の帰還兵に関してはヘミングウェイの文学『日はまた昇る』等を読むと顕著に表現されている。(それ以前もおそらくいるだろう)
にもかかわらず、本格的にアメリカで研究が進んだのは、アメリカが歴史的敗戦をしたベトナム戦争(1955~1975)以降だと言われている。
『欲望という名の電車』は第二次大戦後の数年経ったニューオリンズの下町を描いている。
戦場から帰還した元兵士が抱える戦争PTSDはウクライナ戦争の今、決して遠い話題ではない。
当時としては、非常に先駆的な歴史的名作だったことがよく分かる。
では、何故この戯曲が初演当時画期的だったのか?
詳しくみてみよう。
『欲望という名の電車』は1947年に初演された。
作者はテネシー・ウィリアムズ(1911~1983)である。
テネシー・ウィリアムズは長年ニューオリンズに住み続けていたので、この戯曲の舞台に選んだ。

(テネシー・ウィリアムズ イラストby龍女)
上演されたのは、ニューヨークのブロードウェイ地区エセル・バリモア劇場である。
エリア・カザン(1909~2003)が演出を務めた。
エリア・カザンはニューヨークにある演劇学校
『アクターズ・スタジオ』(1947年創設)の創設者の一人。
初演でスタンリー・コワルスキーを演じた
マーロン・ブランド(1924~2004)はアクターズ・スタジオの教え子である。
マーロン・ブランドは、同じエリア・カザンが監督を務めた映画版(1951年)のスタンリーを演じたことが、映画主役級では初めてだった。
50年代前半は演出家エリア・カザンとは『革命児サパタ』(1952)、アカデミー主演男優賞を獲得した『波止場』(1954)で組んだ。
『欲望という名の電車』はスター俳優としての出発点となった。
なんと言っても新人俳優マーロン・ブランドの最大の功績がファッション面でもある。
今ではアイテムとして常識になったTシャツを世界中に広めた張本人なのである。
Tシャツは元々兵士に支給された上半身を包む下着である。
戦争から故郷に帰還した元兵士の若者は、そのまま地元にTシャツを持ち帰った。
普段着として身につけるようになって兵士以外にも広まるようになったそうである。
下のイラストは、前半の決め台詞
「ステラー!」を再現したものである。
スタンリーは深夜2時まで友人とポーカーをしていた。
仕切りが薄いカーテン一つしかない狭いアパートの部屋。
同居している妻のステラと喧嘩になってしまう。
泥酔していたスタンリーは衝動的に妊娠中のステラを殴ってしまった。
友人達が止めに入り、バスルームでシャワーを浴びせ、酔いを覚ます。
ステラは大家のハベル夫妻の部屋に避難した。
酔いが覚めたスタンリーは殴った瞬間のことは記憶がない。
友人達は、それぞれの家に帰ってしまった。
ステラが部屋にいなくなったことにパニックになったスタンリーが叫ぶのがこの台詞である。
よれたTシャツからスタンリーの上半身が露出して、スタンリー役の俳優の肉体美が強調される見せ場だ。
ステラは2階の大家の部屋から出てきて、懇願するスタンリーを抱き留める。
スタンリーとステラは部屋のベッドで愛し合い始めるのである。

(『欲望という名の電車』のマーロン・ブランド イラストby龍女)
評判をとった『欲望という名の電車』はロンドンでも上演されるようになった。
1949年の10月12日の劇場街ウェストエンド地区のオルドウィッチ劇場で上演された。
演出はローレンス・オリヴィエ(1907~1989)に変わった。

(ロンドン上演版の演出家ローレンス・オリヴィエ イラストby龍女)
ブランチ役はブロードウェイ版のジェシカ・タンディ(1909~1994)に代わり
ヴィヴィアン・リー(1913~1967)が演じた。
彼女は私生活では、ローレンス・オリヴィエの妻でもあったが、この役に決まったのはそうした公私混同ではない。
この役がどう考えてもヴィヴィアン・リーにピッタリだったからである。
それは、かつて彼女が演じた映画『風と共に去りぬ』の南部の大農場の娘スカーレット・オハラの孫世代の物語であった。

(ロンドン上演版と映画のブランチ役ヴィヴィアン・リー イラストby龍女)
1951年に映画化されたとき、ブロードウェイ版とロンドン版のキャストが選抜された。
映画版の『欲望という名の電車』はヴィヴィアン・リーに1939年の『風と共に去りぬ』以来の2度目のアカデミー主演女優賞をもたらした。
『欲望という名の電車』の日本版は1953年に初めて文学座によって上演されることになった。
だから、『欲望という名の電車』という戯曲は、文学座にとって特別な演目なのである。
文学座と『欲望という名の電車』と横田栄司がどう繋がってくるのか?
詳しくみていこう。
1953年に日本版の『欲望という名の電車』を初めて上演したのは文学座であった。
初演からブランチを演じたのは文学座の看板俳優の杉村春子(1906~1997)である。
あまりに偉大な俳優で、説明してもしたりない。
映画俳優としても脇役として黄金時代の日本の代表する監督の作品に出演した。
映画主演作は3本ある。代表作は映画での遺作となった『午後の遺言状』(1995年)だ。
当コラムで2021年6月16日に取り上げた内野聖陽でも少し触れているので参考までにどうぞ。
1998年に創設された新人舞台俳優に贈られる『杉村春子賞』の由来になったと言えば、その偉大さが少しだけでもうかがえるだろう。
この時、スタンリーを演じたのは文学座の後輩であった北村和夫(1927~2007)である。
(息子の北村有起哉は、フリーランスの俳優。2001年にブランチを篠井英介が演じた舞台で父と同じスタンリーを演じた)
文学座の舞台は1954・55・64・66・69・75・80・85・87年と9回再演した。
ちなみに1969年にテネシー・ウィリアムズは来日して、杉村春子の楽屋を訪問している。
杉村春子は合計上演数593回もブランチを演じた。
杉村春子がこれだけブランチ役を続けてこられたのは、おそらくブランチの年齢設定とほぼ同じ世代で、しかもメソッド演技以前の型を中心にした技術をあらかた身につけていたからだ。
ブランチの心情にどっぷりつからずに、メンタルをやられることもなかったハズだ。

(杉村春子 イラストby龍女)
北村和夫はスタンリー役として殆どの舞台に参加したが、例外になった再演がある。
1980年の再演である。
この時のスタンレー役は江守徹(1944年1月25日生れ)で、
北村和夫はミッチ役を演じた。
この時、ブランチの妹ステラを演じたのが太地喜和子(1943~1992)である。
杉村春子は1987年の再演を最後にブランチを演じなくなった。
1963年の文学座分裂騒動以降に育った後輩が立派に育ったので、役を譲りたいと考えていたからである。
1985・87年の演出は江守徹である。
ブランチ役の候補は当然太地喜和子であった。
ブランチ同様酒好きでほら吹きだったという太地喜和子はいつかブランチを演じたいと熱望していた。
ところが悲劇が起こった。
太地喜和子は1992年の10月13日に舞台『唐人お吉』の巡業先の静岡県伊東市で、乗っていた車が桟橋から転落し溺死した。享年48であった。

(太地喜和子 イラストby龍女)
これによって、文学座で『欲望という名の電車』の上演はしばらく封印されることになったのである。
つまり、文学座に杉村春子の『欲望という名の電車』を観たことがある座員が殆ど現役を退いた今だからこそ、再演できる機会がやってきたというわけだった。
ちなみに筆者は杉村春子が亡くなった日のことは強烈に覚えている。
1997年の4月4日である。
大谷大学に入学したばかりの帰りの山陰線にのって、太秦駅までの道中の車内だった。
乗客が大阪スポーツを読んでいた。
紙面に杉村春子の訃報と、ダートの女帝ホクトベガがドバイワールドカップで安楽死したニュースが載っていたからである。
今回の35年ぶりの再演で、横田栄司はスタンリーを演じる予定だった。
しかし大河ドラマの疲れもあったのか、降板することになった。
実際、『欲望という名の電車』を観て、なるほど当初横田栄司が配役された理由がよく分かった。
彼が『鎌倉殿の13人』で演じた和田義盛は、義仲の妾だった女武者の巴御前(秋元才加)が惚れるようなおおらかさを持った武人である。
侍所の別当で、北条氏以外の武家でトップを務め、一族の棟梁三浦義村(山本耕史)を凌ぐ実力を持ったことで最後に裏切られ、壮絶な討ち死にをする。

(和田義盛と巴御前 イラストby龍女)
『欲望という名の電車』では、ブランチの妹ステラは、酷く暴力的な夫のスタンリーをついつい許してしまう。
スタンリー役を演じるには性的な魅力も含めた憎めない人柄が必要だ。
台詞だけでは通用しない強くてもろい男の魅力が伝わる人物だ。
また文学座で再演されることがあったら、是非、横田栄司のスタンリーが観てみたい。
そう思わせる素晴らしい内容の舞台劇であった。
ただし、演じるときはスタンリーそのものにならない方が良いのだろう。
かつて杉村春子がブランチを長年演じ続けてられた理由のように、メンタルそのものを役と同期してしまうと舞台俳優として持続して演じることは不可能である。
本当にアルコール依存症になってしまうと酒飲みの演技は出来ない。
俳優に大事なのは観察力である。
今時代はまた演技のアプローチ方法が変わりつつある。
メソッド演技に統計学を加味したイエール大学の演劇研究から導き出された演技法があるらしい。
つまり、ある仕草をするとどう見えるか?
高い確率でデータが導き出されているそうである。
一周回って型への再評価が行われることになるかもしれない。
俳優が健やかに役を演じる様が求められている。
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