木村拓哉(1972年11月13日生れ)と
(織田信長を演じる木村拓哉 イラストby龍女)
織田信長(1534~1582)である。

(狩野宗秀が描いた長興寺の織田信長の肖像画の模写 イラストby龍女)
木村拓哉は、1月27日に公開される映画
『THE LEGEND & BUTTERFLY
レジェンド&バタフライ』で織田信長を演じるからである。
なお、今回のコラムは映画上映前に書いていてネタバレはないのでご安心を。
筆者は戦国3英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)の中では徳川家康派である。
しかし、学校の授業中、教科書に一番落書きして描いたのは、信長の顔である。
似顔絵を描く立場から言うと、信長は描きやすいのである。
信長の肖像画は、複数残っている。
一番有名なのは、重要文化財の長興寺所蔵である。
長興寺は愛知県豊田市にある臨済宗東福寺派の寺院である。
描いたのは、信長の御用絵師の狩野永徳(1543~1590)の弟
狩野宗秀(1551~1601)である。
天正11年(1583)の6月2日、つまり一周忌法要のために描かれた肖像画だと言うことが文章として添えられている。
信長を肖像画を描いたのが、天才とも言われた兄の狩野永徳ではない。
永徳は多忙すぎた。
狩野永徳が信長の居城、安土城の障壁画を手がけた。
狩野宗秀は、その時狩野派の家屋敷の留守を預かっていた。
信長の権力が頂点に近い時代であったので、不興を買って手討ちにされたときの保険だった。
永徳は狩野派の親方であったので、一人で描ける肖像画を描く暇が無かった。
宗秀にお鉢が回ってきたのである。
狩野永徳は1590年の9月、長興寺の本山に当たる東福寺にいた。
秀吉の御用絵師として、再興事業に参加していた。
法堂の天井画の龍図の制作中に病気にかかり、直後に亡くなった。
過労死と言われている。
東福寺は狩野派にとって大事な顧客であった。
東福寺の末寺長興寺で、信長の肖像画が残っているのにはそういう意味があるようだ。
さて、この肖像画でも描きやすい信長はこれまで時代劇で数多く登場した。
歴史上の人物でもトップクラスに属する。
歴代の主役クラスの俳優が演じてきた定番と言っても過言ではない。
それを調べていくとどうしても膨大になりそうなのでやめておく。
今、日本を代表するスーパースター木村拓哉に限っても、今回の映画で3度目の信長役だ。
筆者は信長を演じる俳優として日本芸能史上最適解の人物だと考えている。
木村拓哉本人も、木村家の家紋が織田家と同じ木瓜(もっこう)紋で縁を感じているそうだ。
そこで、これから初めて時代劇を観る人も時代劇好きの人も
木村拓哉がいつ何処で過去2回信長を演じたか?
映画『THE LEGEND & BUTTERFLY』の予習として、詳しくみていこう。
『THE LEGEND & BUTTERFLY』は、信長と濃姫(帰蝶。1534~? 綾瀬はるか)が政略結婚で結ばれて、本能寺の変までの30年間を描いた内容である。
10代の後半から49歳までの信長を木村拓哉は映画の中で演じる。
これまで演じてきた信長の総決算作品なのである。

(『織田信長 天下を取ったバカ』の木村拓哉 イラストby龍女)
最初に取り上げる
『織田信長 天下を取ったバカ』(1998年3月25日、TBS)
木村拓哉25歳の作品である。
この頁では10代後半の木村拓哉から、20代までを振り返ってみよう。
実は筆者は10代後半の木村拓哉を直接観たことがある。
1989年12月に日生劇場で上演された舞台『盲導犬』である。
舞台のヒロインの銀杏は桃井かおり(1951年4月8日生れ)である。
さすがに何日の回を観たかは覚えてはいない。
うっすらと内容は覚えている。
演出は、蜷川幸雄(1935~2016)
1973年に唐十郎(1940年2月11日生れ)が書いた戯曲だ。
初演は、蜷川幸雄と石橋蓮司(1941年8月9日生れ)と蟹江敬三(1944~2014)が作った櫻社の為に執筆された。
桃井かおりは、1973年の初演にも出ている。
脇役のミニスカートの婦警だった。
初演ではヒロインの銀杏は、当時石橋蓮司と同棲中だった妻の緑魔子である。
元になっているのは渋澤龍彦の『犬狼都市』(1962年、桃源社)である。
渋澤龍彦はSMのS、サディズムの語源となったマルキ・ド・サド侯爵の小説の翻訳で有名な文学者だ。
原作の小説は渋澤龍彦のオリジナルだ。
戯曲化した舞台の内容は抽象的にしか書けない。
サディズムもLGBT的表現も出てきた。
中学生だった筆者には、大人すぎて訳が分からなかった
木村拓哉の役は70年代前半の不良であるフーテンの少年である。
(初演は蟹江敬三が演じた)
財津一郎演じる盲目の男と稚児の関係になる。
分かる人には分かるであろう。
つまり、この頃は織田信長ではない。
小姓の森蘭丸の立場に当たる役を演じていた。
(『THE LEGEND & BUTTERFLY』では、森蘭丸は市川染五郎が演じている)
蜷川幸雄の演出は厳しかった。
木村拓哉はインタビューで過去を振り返る度に
「この舞台がなかったら今でも仕事をしていない」
と答えている。
今思うと、筆者は幸運だった。
「私は木村拓哉の伝説の舞台を観ているんだ!」
と語り継いで、自慢のネタにしていきたい。
木村拓哉が初めて戦国大名を演じたのは、織田信長ではない。
松平元康(徳川家康の前の名)である。
これは、『君は時のかなたへ』(1995年9月18日、テレビ朝日)と言うスペシャルドラマで、SFモノだった。
松平元康が現代にタイムスリップし、看護婦の北条薫(持田真樹)と恋におちる。
今なら、乙女ゲームのような内容である。
脚本は、舞台で伝奇モノ(ファンタジー風の時代劇)を得意とする劇団☆新感線の座付き作家・中島かずき(1959年8月19日生れ)である。
いよいよ本格的な時代劇に挑戦したのが、『織田信長 天下を取ったバカ』である。
原作は坂口安吾(1905~1955)の『信長』である。
桶狭間の戦いで全国に名をとどろかす前の物語である。
この時の木村拓哉は弟の信行(筒井道隆)を自らの手で殺して、尾張統一を果たした頃までを演じた。

(坂口安吾 イラストby龍女)
坂口安吾は、太宰治(1909~1948)と並ぶ、無頼派の小説家で『堕落論』が有名だ。
ドリフのコントで、作家(いかりや長介)が書けなくて原稿用紙を丸めて捨てるイメージのヒントになった。
残念ながら、このイラストはその写真からの引用ではない。
雑誌文藝春秋の取材恐らく今でもある「作家の書斎」コーナーで、本棚から取り出す姿をポーズして映っているので、弱冠ドヤ顔である。
文豪を数多く撮影したカメラマン・林忠彦(1918~1990)の代表作と言えば
汚い書斎の坂口安吾なので、検索して欲しい。
坂口安吾が信長に惹かれたのは、安吾自身がガキ大将だったので共感したのだろう。
大正の不良少年は戦国の不良少年に共感したのである。
大人に頭ごなしに注意されても何を言っているのか分からない。
自分が体を張って何が悪くて何が良いのか確かめないと気が済まない。
坂口安吾は旧学制の中等学校時代にハイジャンプで優勝した程の強い陸上選手だった。
織田信長は喧嘩することも戦争の訓練と見なしていたと描写している。
坂口安吾は実践したことしか信じない合理的な信長像を書こうと試みたが、本能寺までは書けず48歳で急死して未完に終わった。
信長と、弟・信行を溺愛する母・土田御前(いしだあゆみ)の確執が詳しく描かれる。
これは坂口安吾が、母が妹を生んでから、愛情の対象から外された実体験と重なる。
脚色は井上由美子(1961年生れ)である。

(井上由美子 イラストby龍女)
井上由美子は、筆者が木村拓哉の最高傑作ドラマと考えている『ギフト』(1997年4月~6月)のサブ脚本家(メイン脚本家は飯田譲治)であった。
メインの脚本家として初めて木村拓哉を主役に書いた作品だ。
連続ドラマでは、後に同じコンビで『GOOD LUCK!!』が大ヒットする。
木村拓哉とは『エンジン』(2005年)の後、井上由美子が超売れっ子になってしまってスケジュールが合わず、『BG~身辺警護人~』シリーズ(2018、2020年)まで13年間かかった。
1998年当時は、井上由美子もまだ駆け出しの脚本家だったので、原作付きの割合が多かった。
丁度40歳に手がけた大河ドラマ『北条時宗』(2001)も高橋克彦の原作があった。
オリジナルの2006年の『マチベン』が向田邦子賞を取ってからは、TVドラマに関してはオリジナルの企画が比較的通りやすくなったようである。
井上由美子は時代劇は『忠臣蔵1/47』(2001年12月28日、フジテレビ)でも木村拓哉と組んだ。
木村拓哉は赤穂浪士屈指の剣豪、堀部安兵衛(1670~1703)を演じた。
木村拓哉は、剣道経験者だが、実は殺陣は剣道と違い、踊りの振り付けに近い。
しかし、ジャニーズ事務所のトップアイドルSMAPのメンバーとして当然踊りの心得もあった。
剣道を経験しただけの人には出せないハイスペックさである。
彼の演技をいつも同じというのは、何処の目の節穴かと思ってしまう。
彼の演技の巧さが光るのは実は時代劇なのである。
ただし、この頃の木村拓哉はまだ渋谷のチーマー上がりの不良の雰囲気が残っていて、時代劇を自分なりに消化していたかは、観返さなければ判断できない。
今回の映画『THE LEGEND & BUTTERFLY』に繋がるのは、濃姫役も初の時代劇だった中谷美紀(1976年1月12日生れ)だったことだ。
中谷美紀は『THE LEGEND & BUTTERFLY』では濃姫の侍女・各務野を演じている。
濃姫役の綾瀬はるかとは大ヒットしたタイムスリップ時代劇『JIN-仁-』(2009、2011)以来、仲良くなったための配役だろう。
資料探しの中で、木村拓哉が番宣を兼ねて『王様のブランチ』(1998年の3月21日頃か?)に出演をしていたときの映像を観た。
その中でたまたま25年前も営団地下鉄(現・東京メトロ)に貼られた『織田信長』のポスターが盗まれたとスポーツ紙の記事を引用して紹介されていた。
2022年の11月5・6日に行われた木村拓哉が参加した『ぎふ信長まつり』のポスターが盗まれて転売された事件は改めて、木村拓哉の人気が健在であることを証明した。
井上由美子が描いた信長には、後に嫡男信忠を産んだ側室の生駒吉乃(1528?~1566)の関係もちゃんと描かれている。
生駒吉乃は麻生祐未(1963年8月15日生れ)が演じた。
『THE LEGEND & BUTTERFLY』の肝になるかもしれないのは、信長と濃姫の間に子供が出来なかったことである。
公式な記録では濃姫は信長と婚礼を上げた以降は、特に記述が無い。
離縁したのか死別したかも分からないそうである。
次は木村拓哉が40歳になった頃に再び信長を演じた作品について紹介しよう。
木村拓哉は2011年からトヨタのCMで、数年かけて信長を演じた。
しかし、時代劇をCM化したのではない。
『ReBORN』(リ・ボーン)と言う、2011年10月15日からスタートしたトヨタ自動車の企業広告キャンペーンの一環で信長役に起用されたのだ。
2011年3月11日の東日本大震災の直後で、日本全体の復興を込めて考案された藤子不二雄流のSF(すこし不思議の略)の世界観で描かれている。
現代に織田信長と豊臣秀吉がよみがえったらどうなるかを描いている。
豊臣秀吉役はビートたけし(1947年1月18日生れ)である。
信長よりも3歳年下の秀吉なのに、演じるのは親世代の団塊生れ、ビートたけしだ。
信長と秀吉が死んだ年齢に近い俳優を起用したかったようだ。

(2014年 観覧車編から引用 木村拓哉とビートたけし イラストby龍女)
このCMを製作したのは、元電通グループ(2018年に独立)ワンスカイ所属の
福里真一(1968年7月24日)である。

(福里真一 イラストby龍女)
この前後は、正統派の時代劇ではなく、過去の世界に現代人がタイムスリップする漫画原作の実写化ドラマが大ブームになった。
代表的なモノに
『信長のシェフ』(2013、2014 テレ朝。織田信長役は及川光博)
『信長協奏曲』(2014 フジテレビ。小栗旬)
がある。
2000年代に小泉純一郎が信長好きを公言した。
当時の東京都知事の石原慎太郎(在任1999~2012)も信長ファンであった。
信長の評価が一番高かった時勢であった。
信長は志半ばで殺されたので、生きていたらどうなっていたか?
想像力の羽を跳ばしやすい存在なのである。
福里真一はトヨタ自動車とは、2009年の4月から始まった
こども店長の大ヒットを受けての続投だった。
2009年の大河ドラマ『天地人』で主人公の直江兼続(妻夫木聡)の幼少期を演じた
加藤清史郎(2001年8月4日生れ)を起用したキャンペーンだった。
この『ReBORN』では、加藤清史郎は東北の英雄伊達政宗に扮して
「ずいぶん、子供に生まれ変わったなあ」
とビートたけしの秀吉にツッコまれている。
肖像画の件でも触れたが、最も有名な信長の肖像画を所蔵している寺院・長興寺とは
世界に誇る日本の大企業トヨタ自動車の企業城下町愛知県豊田市にある。
トヨタにとって、織田信長の存在は郷土の誇りなのである。
また、とみに言われていた解釈は、ベンチャー企業の経営者のお手本であった。
愛知県の中でも尾張地方の英雄、織田信長と豊臣秀吉(今の愛知県名古屋市中村区にあたる中村村の生れとされる)は日本の歴史を変えた人物だ。
現在、トヨタは世界に通用する唯一の日本の巨大企業になってしまい、当時のCMよりも日本の衰退を象徴する存在になってしまったかもしれない。
筆者は、第2の日本の巨大企業であるユニクロのスウェットのルームウェアを着ながらキーボードを叩いている。
コロナ禍になって、織田信長は大河ドラマ
『麒麟がくる』(2020)によって大きくその描き方が変わった。
織田信長(染谷将太)は、両親に褒められたいのに的外れな行動をしてしまう。
SNSによくいる承認欲求の強い恐ろしい正義感を振りかざす男として描かれている。
案外保守的だった面も強調されていた。
映像で描かれる織田信長像は、時代毎に込めた日本人の思いを代弁してきた。
脚本家の古沢良太(今年の大河ドラマ『どうする家康』の脚本家でもある)によってどう描かれるのであろうか?
筆者は視点を変えて、ある人物が秀吉を演じているという点に注目した。
古沢良太(1973年8月6日生れ)は木村拓哉の一つ下である。
団塊ジュニア世代(1971~1974)に当たる。
ピークは木村拓哉が産まれた1972年だ。

(古沢良太 イラストby龍女)
『THE LEGEND & BUTTERFLY』は濃姫から観た信長が描かれるはずだ。
今回秀吉を音尾琢真(1976年3月21日生れ)が演じる点に注目してみた。
木村拓哉の演技方法を一言で言い表すならば等身大である。
木村拓哉に合わせて、家康も信長との年齢差と同じ9歳年下の
斎藤工(1981年8月22日生れ)が演じている。
音尾琢真は、1976年生れで筆者と同い年だが、早生まれで学年は1975年生れと同じなので、中谷美紀と同学年でもある。
信長と秀吉と同じ3歳の年齢差があるのと等しい。
1976年生れは、厳密には団塊ジュニアではない。
次の就職氷河期世代、もしくはロストジェネレーションの始めの年である。
音尾琢真は、ご存じ演劇ユニットTEAM NACSのメンバーである。
TEAM NACSは北海学園大学演劇部の先輩後輩の仲良しグループから結成されて、SMAPと全く同じ団塊ジュニア世代を中心に構成されている。
SMAPはメンバー全員10代の内に結成されたので、後発のTEAM NACSは「北のSMAP」と言われることがあるが、「北のドリフ」と例えた方が的確である。
何故なら、SMAPは解散するまでずっと続けたバラエティ番組『SMAP×SMAP』を観れば分かる。
ジャニーズ事務所はSMAPがバラエティに進出し始めた頃から
ザ・ドリフターズを意識して、グループを育てていった。
具体例として分かり易いのは
『夢がMORI MORI』のドリフ・エクササイズ
『SMAP×SMAP』で稲垣吾郎がバカ殿の化粧をした殿リーマン
数々のコントへの引用であろう。
音尾琢真は高校時代に新体操部の部長を務めるなど、運動能力は高い。
メンバー中、一番年下な所は志村けんと同じだが、体操経験者として仲本工事を意識しているところもある。
団塊ジュニア世代は物心ついたときにはドリフのコントを見て育った。
志村けんが加入して1976年にブレイクした東村山音頭以降である。
筆者が先週取り上げた『志村けんとドリフ大爆笑物語』(2021年12月27日、フジテレビ)で、志村けんの笑いの本質が真面目に描かれていた。
監督・脚本の福田雄一は、日常生活から面白い行動をする人
つまりあるあるネタの元祖が、志村けんであると指摘している。
SMAPに代表される団塊ジュニア世代は、親世代の志村けんを観ていた。
もっと等身大の笑いに進化した。
木村拓哉は、団塊ジュニア世代のスーパーエースである。
その演技がスーパーナチュラル(等身大)なのは当然の帰結である。
木村拓哉は大河ドラマの経験は一度も無いが、そもそもNHKのドラマに出演したことが一度も無い。
SMAPのメンバーでNHKのドラマに出ていないのは木村拓哉だけである。
ちなみに濃姫の父親・斎藤道三役は、『織田信長 天下を取ったバカ』では西田敏行、『THE LEGEND &BUTTERFLY』では北大路欣也と大河ドラマの常連である。
推測の域を出ないが、可能性として考えられるのは二つ。
SMAPの活動初期にドラマのオーディションに落ちた。
民放のドラマでブレイク後(『あすなろ白書』以降)はギャラが急激に上がった。
オファーが殺到して、NHKの予算では候補に挙げづらくなった。
『THE LEGEND & BUTTERFLY』で、再び共演した中谷美紀は『信長 天下を取ったバカ』の濃姫の頃は、初めての時代劇だったので着物がまだ馴染んでいなかった。
大河ドラマでは『軍師官兵衛』(2014)で、主人公の黒田官兵衛(岡田准一。『どうする家康』の織田信長)の妻、光(てる)を演じた。
この頃にはすっかり着物を馴染むまで着こなしていた。
『軍師官兵衛』には、秀吉役として竹中直人が『秀吉』(1996)以来、再び演じた。
『秀吉』では朝鮮出兵以降が省略されたので、『軍師官兵衛』では晩年の秀吉が独裁者に変貌してしまい、闇落ちした時代をしっかり演じている。
『THE LEGEND & BUTTERFLY』の監督の大友啓史(1966年5月6日生れ)は、大河ドラマ『秀吉』の監督の一人だった。
大友啓史は後に大河ドラマ『龍馬伝』(2010)のメイン監督になる。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』のイメージで作り上げられた坂本龍馬のイメージを一新した。
龍馬の闇の部分も描いて、ただの快男児にはしなかった。
龍馬は信長同様、若くして死んだために生きていたら何をしたか想像させる。
しかし、暗殺した側の理屈もちゃんと描いた。
時の政府である江戸幕府から観れば、龍馬はテロリストに他ならなかった。
龍馬に抗った側を否定せず描いたところが画期的だった。
信長もその方向で描いてくれるだろうか?
木村拓哉は、信長の闇の部分を今回存分に演じるはずである。
それは木村拓哉本人がSMAPの解散以降、裏切り者扱いされた。
ジャニーズ事務所に現在でも残っている唯一の元メンバーとしての孤独とも相通じるはずだ。
ジャニーズのアイドルの最前線は幼少期に既にトップアイドルだった木村拓哉を観て神の如くあがめている世代である。
映画の番宣の為に出演した『林修の初耳学』での出来事である。
『インタビュアー林修』と言うコーナーがある。
いつもは、林修が単独で聴き手になるのだが、異例のケースで
Sexy Zoneの中島健人(1994年3月13日生れ)
が途中から参加している。
また、スタジオではKing&Princeの永瀬廉(1999年1月23日生れ)が収録したインタビュー映像を観ていた。
ジャニーズジュニア時代の木村拓哉がダンスの稽古を途中で帰ったことがある。
永瀬廉は、同じ行動をしたことを喜んでいた。
しかし、木村拓哉の場合は稽古が嫌で帰った。
永瀬廉は塾の時間が来たので帰った。
永瀬廉の方は学業を優先しただけなので、理にかなった行動である。
こうした木村拓哉の仕事をなめた態度は、蜷川幸雄の舞台『盲導犬』の経験で変わったそうだ。
筆者はSMAPの中で誰が好きかと問われれば
草彅剛と答える。
木村拓哉は好きか嫌いかという質問には
ハッキリと答えられない。
好き嫌いを越えた別格として、
団塊ジュニア世代を代表するスーパースターだからである。
しかし、後輩世代として、俳優として覚醒する前の何者でもない時を知っている。
憧れと言うより、怖い先輩のイメージも残っている。
木村拓哉個人としてみるより、木村拓哉が出ている作品なら「大好き!」と答えられるくらい、木村拓哉のドラマは脇役が輝く。
木村拓哉がパーソナリティーを務めるラジオ番組、日曜の11時30分のTOKYO FMの「Flow」では、
リスナーから「キャプテン」と呼ばれている。
サーファーとしても有名で、海賊漫画の『ONE PIECE』も好きだ。
『SMAP×SMAP』でクイズ大会として『芸能界ONE PIECE王決定戦』が開催されていた。
司会ではなく、出場者の一人として参加していた。
7回開催されて、うち5回は木村拓哉が優勝している。
海の男で船乗りへの憧れはやがて船長になる夢に向かう。
木村拓哉は映像作品の中で、主役として数ヶ月の撮影期間で座長を務める様は、さながら航海中の船長と同じである。
『THE LEGEND & BUTTERFLY』の予告編の最後には、船が出てくる。
晩年の海の向こうへ憧れる男としての信長が描かれるのか?
筆者の疑問は深まるばかりである。
早く観たい。
木村拓哉の織田信長は、どんな伝説を作るのか?
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