『君たちはどう生きるか』(7月14日公開)である。
今回取り上げるのは、10年ぶりの監督作品を発表した
宮崎駿(1941年1月5日生れ)について語りたかったからだ。
(宮崎駿 イラストby龍女)
筆者は『となりのトトロ』の舞台である
埼玉県所沢市と県境に接している東京都東村山市在住だ。
サツキとメイ姉妹の母親が入院している七国山病院のモデルになった方の市町村だ。
宮崎駿は自宅が武蔵野線の東所沢駅が最寄り駅と言われていた。
西武線沿線にはアニメスタジオが多く武蔵野線の新秋津駅から西武池袋線の秋津駅で乗り換えるらしい。
空堀川あたりが散歩コースなのかわざわざ遠回りの新秋津駅のロータリーを歩いているところを2回見かけたことがある。
それくらい身近な存在だ。
だからジブリファンかアンチかと言うレベルの話ではない。
知り合いの自然保護活動をしている人からも噂はかねがね聞いている
「地元の名物偏屈おじいさん」なのである。
しかし、知り合いというわけではなく、政治的に近いと言う意味でしかない。
コラムの更新日の関係で公開当日ではなく、翌日にIMAXシアターのある
TOHOシネマズ立川立飛で夕方の回を観てきた。
席は95%以上埋まっていた。
通常映画館は満席にならないことが多い。
筆者は新所沢のレッツシネパークで並んだ経験をした
『もののけ姫』(1997年7月12日公開)の印象から、物足りなかった。
しかも、初見で観た『もののけ姫』の印象は
「なんだ、ナウシカを時代劇に焼き直しただけじゃん」
と少しガッカリしたのである。
しかし、宮崎駿作品の真価は
一回観ただけでは分からない
のである。
宮崎駿が興行成績No1を狙いに行く映画監督の時代は終わった。
前作の『風立ちぬ』(2013年7月20日)で
モノを作るに当たって
「創作の全盛期はわずか10年ほどしか無い。その中でベストを尽くす」
と言うメッセージを込めていて、宮崎駿本人がそれを過ぎても作り続ける自覚が見え隠れしていたからだ。
そこで次の頁では、公開一週間経過したので、ギリギリネタバレにならない程度で
『君たちはどう生きるか』の解禁された豪華な声優キャストの一部をイラスト付きで紹介しよう。
「宮崎駿がどうしてこの俳優たちを起用したのか?」
筆者なりに探っていきたい。
主人公・牧眞人
山時聡真(2005年6月6日生れ)
飛行機の風防を作る飛行機メーカーの下請け工場の工場長の息子。
ほぼ宮崎駿の生い立ちそのままだ。
生年が映画の題名の由来になった吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』が刊行された1937年生れに変更している。
1941年生れの宮崎駿本人より年上の設定だ。
正直この主役の俳優は全く知らなかった。
調べると、福岡出身(生れは東京で、幼少期に育った地)の関係で
TVドラマの映画化『めんたいぴりり』(2019年1月公開)で
主人公・海野俊之(博多華丸)の息子、健一を演じている。
画像を見たら、何となく風貌が松坂桃李(1988年10月17日生れ)に似ていると思った。
所属事務所を調べたらトップコートで、やはり先輩に松坂桃李がいた。
この夏のTVドラマでは松岡茉優主演の日テレの土曜ドラマ
『最高の教師 1年後、私は生徒に□された 』で生徒の一人を演じている。
初のアニメの声優として、初々しくこれからの若者としての無色透明さが求められたのだろう。

(山時聡真 イラストby龍女)
ヒミ
あいみょん(1995年3月6日生れ)
若い頃の眞人の母親が若返った姿である。
火を操る少女である。
現世では空襲で炎に包まれて亡くなったからである。
現在朝ドラの『らんまん』で主題歌を歌っているシンガーソングライターの彼女が
まさか本格的な声優デビュー作だと思わなかった。
実写作品にもまだ出たことがないので、俳優デビューとも言い換えても過言ではない。
本来ならば、ジブリアニメの主題歌を歌ってもおかしくない。
こちらも役柄の性質上、俳優として素人な人物が欲しかったのだろう。

(あいみょん イラストby龍女)
主題歌の歌い手は米津玄師(1991年3月10日生れ)が選ばれた。
米津玄師が『アンナチュラル』の主題歌『Lemon』や『シン・ウルトラマン』の『M八七』を始め数多くの主題歌を手がけられる理由がある。
宮崎駿監督作品に二回起用された松任谷由実(1954年1月19日生れ。荒井由実。以下ユーミン)と大きな共通点があるからだ。
ユーミンは自ら表立って絵を発表はしていない。
最終学歴は多摩美術大学絵画科日本画専攻である。
指導教員は昭和の琳派加山又造(1927~2004)である。
加山又造は既にデビューして忙しかったユーミンに対して
「あなたは日本画を音楽で描きなさい」
と助言した。
完成したアルバムを卒業制作として認めて卒業できたそうだ。
米津玄師は自分のアルバムやシングルのイラストを自ら手がける。
元々は漫画家志望だったそうだ。
ユーミンも米津玄師も歌詞で絵が描ける人なのである。
宮崎駿は元々有能なアニメーターから監督になった。
映画全体を絵で理解して言語化出来る人物に対して信頼があるのだろう。
次の頁は、声優キャストの大人部門を見てみよう。
アオサギ
菅田将暉(1993年2月21日生れ)
ほぼ唯一事前に発表されていたヴィジュアルイメージの役を演じる。
しかも、スタジオジブリの公式ツイッターのアイコンをこれまでのトトロから変えてしまった。
それくらい新しいジブリのイメージとして大々的にアピールしている。
筆者も地元の空堀川でアオサギを何度も見かけたことがあるくらい、日本の里山にはアオサギがよくいる。
菅田将暉もトップコート所属なので、主役の山時聡真の先輩に当たる。
菅田将暉は実写では天才の役を演じることが多いが、今回は変人の側面を強調した困ったキャラクターを演じている。

(菅田将暉 イラストby龍女)
ナツコ
木村佳乃(1976年4月10日生れ)
眞人の父の後妻で、前妻の妹にあたる。
眞人の継母は叔母でもある。
木村佳乃もトップコート所属で、典型的なバーター人事に一瞬思える。
同じ芸能事務所だと俳優を選ぶスタッフの傾向として容貌が似たタイプが集まる。
主要な登場人物は人間関係が殆ど親族で固められているので、必然的な起用であろう。
夫役の木村拓哉にとっては、木村佳乃はジャニーズ事務所の先輩の東山紀之の妻である。
宮崎駿は、役柄のリアリティーを求めて絶妙な関係性の俳優に演じさせたのだろう。

(木村佳乃 イラストby龍女)
眞人の父
木村拓哉(1972年11月13日生れ)
『ハウルの動く城』(2004年11月)以来の出演である。
特別出演と表記されているので、主役級の俳優があえて脇に廻っていることを示す。
モデルの宮崎駿の父・勝次(1915~1993)は
「デカダンなモダン・ボーイ」だったそうだ。
つまり、若者時代に最先端の文化を浴びて育った元不良だ。
90年代にファッションリーダーだった木村拓哉にピッタリである。
『ハウルの動く城』は筆者が大学を卒業してライターの勉強を始めた頃で忙しかった。
スタジオジブリになってからの宮崎駿作品でつい最近まで一度も観たことが無かった。
やっと日テレの金曜ロードショー(2023年1月6日)でようやくフルサイズで観た。
男目線で女性を描くことが多い宮崎駿が珍しく男の色気を描いている作品だった。
木村拓哉は兄貴分として男も憧れる側面はあるが、幼稚な部分があって女性が世話を焼いてしまうタイプのモテ男である。
眞人はマザコンでどう観てもモテるタイプではない。
しかし、身近にモテる人物は常にいた。
詳しくは、次の頁で後述しよう。

(木村拓哉 イラストby龍女)
若い頃のキリコ
柴咲コウ(1981年8月5日生れ)
7人のばあやの1人が若返って海の女になった。
眞人に魚をさばいて、食事を振る舞うシーンがある。
若い頃のキリコは、勝ち気さと料理上手を足して演じて欲しい。
そういう理由から、柴咲コウが起用されたのだろう。

(柴咲コウ イラストby龍女)
次は実は登場人物の中で一番人数が多い年齢層、宮崎駿に近い年代のキャストをみていこう。
7にんのばあや
大竹しのぶ(1957年7月17日生れ)
ばあやに起用された俳優は凄すぎて、他にも竹下景子・風吹ジュン・阿川佐和子がいる。
ただし、初見で耳を済ませて判別できたのは大竹しのぶだけであった。
これは実は他の3人は、普通に台詞を喋っているように演じて、結果ばあやとなっている。
それで誰が誰だったか初見では分からなかった。
大竹しのぶだけ全く別のアプローチでばあやを演じている。
それは『となりのトトロ』で
北林谷榮(1911~2010)が演じたおばあちゃんを完コピしていたからだ。

(大竹しのぶ イラストby龍女)
竹下景子(1953年9月15日生れ)
この中で実は声優としての経験が最も豊富な俳優である。
手塚治虫原作の『火の鳥』でアニメオリジナルの『愛のコスモゾーン』(1980)とNHKで放送されたTVアニメシリーズで、火の鳥を演じている。
(角川の劇場版とOVAでは池田昌子)
ジブリ作品でも
『借りぐらしのアリエッティ』(2010)
『コクリコ坂から』(2011)
『風立ちぬ』(2013)
と3作出ているので、常連と言えるだろう。
NHKのラジオ番組『日曜名作座』で西田敏行と二人だけで出演している。
一人何役も演じているので、その為に起用されたかもしれない。

(竹下景子 イラストby龍女)
老いたペリカン
小林薫(1951年9月4日生れ)
宮崎駿監督作品は『もののけ姫』のじこ坊以来だが
『ギブリーズ episode2』(2002)、『ゲド戦記』(2006)にも出演している。
美術ファンの筆者にとってはTV東京の美術番組
『美の巨人たち』のナレーターを20年間続けた声の持ち主なので、たった1シーンの出番でも初見で声を判別できた。

(小林薫 イラストby龍女)
インコ大王
國村隼(1955年11月16日生れ)
韓国で映画賞(『哭声 コクソン』2016年)を受賞した今や国際派でもある名優である。
低く美しい声に特徴があるので、これもすぐに分かる。
インコ大王は一応これまでの宮崎作品に出てきたボスキャラである。
恐らくキャストのオファーがあったと思われる2019年頃の時点でベストの悪役俳優であろう。

(國村隼 イラストby龍女)
大叔父様
火野正平(1949年5月30日生れ)
眞人の精神世界の象徴のような本の塔の主で、狂気をはらんでいる。
それで淡々とした佇まいが妙な安心感があって、確かに火野正平にピッタリである。
最近の火野正平は主人公を静かに見守る役が多い。
若い頃の火野正平はプレイボーイとして有名だった。
筆者は、大叔父様の役柄をこう考える。
老年に達した宮崎駿。
東映動画時代から先輩でジブリの創業者の一人高畑勲(1935~2018)。
この二人を反映したキャラクターではないかと考えている。
高畑勲は女性にもてたそうだ。
筆者は高畑勲監督作品を何本か観ているが、女性描写に関しては宮崎駿に比べて非常にリアルである。
特に遺作となった『かぐや姫の物語』に至っては、細かい女性の描写を共同脚本の坂口理子に委ねているので、演出家としては高畑勲が優れている点も多い。
高畑勲は絵が描けなかったアニメ監督なので、言葉の力でアニメーターに伝えなければならない。
自分の主張だけではなく、アニメーターの言葉を聞かないと前へ進めなかったからコミュニケーション力は高かったのだろう。
人の話をじっくり聞ける人はモテるのである。

(火野正平 イラストby龍女)
次の頁では、『君たちはどう生きるか』の豪華キャストを通して描きたいものと、ジブリがアニメ専門の声優の起用を徐々に減らしていった理由を明らかにしていこう。
何故、スタジオジブリの作品に選ばれる声優はアニメ・吹替の専門が少ないのか?
アニメファンの賛否の対象になっている。
しかし、作品の背景のリアリティラインとして実写と変わらない基準で俳優を選んでいると考えられる。
最近大河ドラマが、声優で有名な人が出演することも多い。
声優という職業は日本独自で、本来は俳優の仕事に声の出演だけがあるだけだ。
日本の戦後のアニメーションの創成期から関わっている宮崎駿からすれば当然の起用法なのである。
スタジオジブリの名前の由来になったのは、宮崎駿の好きな飛行機の名前でもあるイタリア語で「熱風」を意味する言葉だ。
宮崎駿がこの映画の原案の一つ吉野源三郎『君たちはどう生きるか』を読んだ戦後間もなくのことである。
同じ頃、イタリアでは映画制作の傾向で
『ネオリアリズモ』と言う潮流があった。
俳優だったヴィットリオ・デ・シーカ(1901~1974)はちょうどこの時期に映画監督デビューしている。
キャリアの前期に演技経験の無い素人を使ってイタリア社会の貧困問題を浮き彫りにした『自転車泥棒』(1948)は第22回アカデミー賞名誉賞を受賞した。
(ウクライナ戦争で撮影場所として再注目された映画『ひまわり』(1970)は、ヴィットリオ・デ・シーカが晩年に撮った作品)
宮崎駿は『君たちはどう生きるか』で自らの作品のセルフパロディを描いている。
ネオリアリズモの終わり頃に監督デビューしたのが漫画家出身の
フェデリコ・フェリーニ(1920~1993)である。
映画監督が映画について描いた『81/2』(はっかにぶんのいち)(1963)はビートたけしの『TAKESHIS'』(2005)に影響を与えるなど数多くの映画監督がキャリアを重ねた後に撮りたい題材を開発した。
これは映画にするネタが無くて、じゃあ映画のネタに悩む映画監督の話しにしようと思いついた苦肉の策である。
『風立ちぬ』を引退作にしようと思った宮崎駿が再び映画に取り組もうと思ったのは、あるアイデアを思いついたからだ。
もう一つの原案ジョン・コナリー『失われたものたちの本』の主人公の設定を自分の経験に置き換えるアイデアが湧いてきたからである。
『君たちはどう生きるか』に影響を受けた少年の地獄巡りの旅と言う構造である。
これが結果的に宮崎駿が過去に出演した俳優陣を再結集させて、自らの作品群を一つの作品に集約させる
映画による「もう一つのジブリ美術館」を作った。
後半は殆どでシュールレアリズムの絵画が動いているような、訳の分からない展開になるのはその理由がある。
そこに初めて参加する俳優を配置して、ジブリに影響を受けた後輩達にどう活用するか問いを投げかけるのが、大きなメッセージだった。
我々は既に日本の自然豊かな風景を
「ジブリみたい」と表現するのが当たり前になった日常を生きている。
元々はジブリのアニメーターがロケハンをして丁寧に描いた背景美術がここまで浸透しているからだ。
筆者自身もそうだが、創作者は自分が思春期に影響を受けたものの要素を一生のモチーフとして繰り返し描き続けていく。
新しい刺激を求めて映画を観たいなら未知の才能の作品を観れば良い。
すでに最晩年の境地に立った宮崎駿にそれを求めるのは酷である。
『七人の侍』を書いた3人の脚本家で最後に生き残った
橋本忍(1918~2018)が晩年に脚本家志望者に送ったメッセージは、ハードルを下げて脚本を書くことだった。
何故なら、これから我々が書く新たな創作物は99%近くが既に先人が描いてきた。
わずか1%でも描きたい何かがある。
脚本の意図がまず観客に届くのは、直接的な言葉ではないが俳優が発する台詞である。
俳優を通して少しでも新しいものを作りたい。
難しい課題を私たちはどう乗り越えたら良いのか?
生きることは考え、作品を生み出していくことである。
作品は美術作品に限らない。
全てのジャンルに繋がっている。
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