プレイヤーがマスターとなって歴史上の偉人や伝説上の存在、神霊といった「英霊」を従えて人類の歴史を取り戻すために戦うスマフォ向けRPGFate/Grand Order(以下、FGO)』は、2017年末より第2部「Cosmos in the Lostbelt」に突入しました。

そして、11月27日より配信開始の第3章「人智統合真国 シン 紅の月下美人」では、中国異聞帯を舞台としていることから、中華系サーヴァントが多く登場しました。
それぞれ活躍した時代が違うので、中国の正統な歴史書『二十四史』を通して英霊たちの生きた時代を振り返ろうと思います。

※本篇やサーヴァントの真名など、一部ネタバレを含んでいるのでご注意ください。

『二十四史』は「清」王朝の乾隆帝によって定められた中国の各王朝の正史24種の総称で、中国の伝説上の「黄帝」から明が滅亡した1644年までの歴史を含んでいます。これらの歴史書は基本的には王朝が滅んだ後年に編纂されていますが、時代ごとの項目に振り分けました。また、ひとまずは大きなまとまりで括っています。

■伝説から戦国時代の終結まで
関連書物:『史記』

神として崇められる三皇の後を継いだ五帝がいた伝説の時代から、中国初の王朝と伝えられる「夏」、傾国の美女・妲己で知られる「殷」、太公望・呂尚が活躍した「周」へと替わっていきます。衰退した「周」が東西に分裂したことで春秋戦国時代に突入するも、「秦」の始皇帝によって史上初めて中国が統一。始皇帝亡き後の「秦」を倒した劉邦と項籍(項羽の本名)が天下を競い合い、勝利した劉邦によって「漢」が建国されました。

中でも周王朝の分裂から始まり、「秦」の始皇帝による統一までおよそ550年続いた春秋戦国時代は、戦乱を勝ち残った「秦、燕、斉、楚、趙、魏、韓」の7国によって天下が争われる激動の時代でした。王や大臣、将軍が自国の発展のために尽力し、彼らの活躍が今日まで語り継がれています。

始皇帝を暗殺しようとした荊軻、覇王と呼ばれた項籍の愛人の虞美人、さらに国士無双と謳われた軍略家・韓信もこの時代に登場します。

■『三国志』時代と晋による統一
関連書物:『漢書』『後漢書』『三国志』『晋書』

劉邦が礎を築いた「漢」もやがて衰退し、漢に変わって天下を担う英傑がしのぎを削った魏・蜀・呉の三国時代に突入します。
最終的には魏の臣下だった司馬炎が「晋」を起こして中国を統一するのでした。

『後漢書』「東夷伝」には弥生時代の日本が出てくるので、当時の日本と比べて中国の文明がいかに進んでいたかがうかがえますよね。三国志時代は日本でも多くの人が知る、劉備、曹操、孫権の3君主を始め、名軍師の孔明、最強の武人と言われた呂布など一騎当千の強者が多く登場します。

『FGO』劇中でも劉備、関羽、張飛の桃園の誓いを連想させる「桃園ブラザーズ」の呼び名が出てきましたし、呂布に仕えた軍師・陳宮、呂布の愛馬の赤い毛色で兎のように素早い赤兎馬がサーヴァントとして登場しました。

蘭陵王が活躍した南北朝時代はどんな時代?

■南北朝時代
関連書物:『宋書』『南斉書』『梁書』『陳書』『魏書』『北斉書』『周書』『南史』『北史』『隋書』

晋は紀元280年に呉を滅ぼして中国を統一しましたが、司馬炎の死後、300年くらいから「八王の乱」と呼ばれる皇族による内紛が起きました。この時、五胡と呼ばれる5つの北の周辺民族が傭兵として用いられたことで力をつけ、五胡の1つである匈奴によって晋の首都・洛陽が陥落します。以後、北方は五胡の建てた国々が、南方は江南に落ち延びた皇族の司馬睿が再建した「東晋」が支配するようになります。

やがて北方は周辺民族の1つ鮮卑族の王朝「北魏」が台頭しますが、間もなく「西魏」と「東魏」に分裂。西魏から「北周」が、東魏から「北斉」が建国されます。『FGO』に登場する蘭陵王は北斉の皇族であり、名将でした。

南方では晋が滅んでから、「宋」「斉」「梁」「陳」の4王朝が支配するようになります。しかし、最終的には北方を統一した鮮卑系の「隋」によって589年に中国が統一されました。


■唐時代
関連書物:『旧唐書』『新唐書』

唐は618年に隋の官僚だった李淵によって建国され、907年に滅亡しました。最盛期には首都・長安は当時世界最大級の都市で、日本に遣唐使を送ったり、西洋とのシルクロード貿易を行ったり、国際都市として発展しました。李白や杜甫など中国史において名高い詩人、さらに中国史上唯一の女皇帝である武則天、中国四大美人に数えられる楊貴妃もこの時代に登場しています。

しかし、晩年の唐は衰退によって周辺民族の統治ができなくなり、辺境警備のために強大な軍事力を持たせた節度使を置いたのが仇となります。各地の節度使が力を持ち、その1人である朱全忠が唐を滅ぼしてしまうのです。

■五代十国時代
関連書物:『旧五代史』『新五代史』『宋史』『遼史』『金史』

唐が滅亡した907年から「宋」によって中国が統一される979年まで、各地の自立した節度使が争った期間を五代十国時代と言います。しかし、趙匡胤が建国した「宋」が中国を統一をしてからも、契丹族の「遼」、タングート族の「西夏」、女真族の「金」など北方の周辺民族に脅かされ、最終的には「金」が北方を支配下に置き、宋は南方に追いやられてしまいます。

南宋の武将と言えば、岳飛の名が真っ先に上がるのではないでしょうか。中国では関羽と並んでとても人気が高く、南宋に攻め込む金を幾度となく撃退しました。しかし、岳飛の勢力拡大を恐れた南宋の宰相・秦檜によって謀殺される最後を迎えます。蘭陵王もそうでしたが、身内が名将を妬んで死に追い込むことで国家が衰退するのは、悲しい人の性と言えるでしょう。

日本にも襲来したモンゴル帝国「元」を倒したのは?

■モンゴル帝国時代
関連書物:『元史』

チンギス・カンが築いたモンゴル帝国による征服活動は中国にまで及び、1234年に金、1279年に南宋を滅ぼして中国全土を支配下に置きました。
中国に政権の軸をおくようになった帝国は5代目君主クビライによって1971年に国号を「元」と定められました。

一方、その頃の日本は、天皇と貴族が中心の政治から、鎌倉幕府による武家政権時代になっていました。この間、クビライによって日本にモンゴル軍が襲来しています(「元寇」1274年の文永の役、1281年の弘安の役)。

巨大なモンゴル帝国でしたが、すでにクビライが即位した時から内乱が起きていたことに加え、官僚の汚職がはびこり、重税が課された国民の疲弊、さらには後継者争いによって国力が衰えていきました。

■明時代
関連書物:『明史』

モンゴル人による統治によって生活が困窮したため、各地で反乱が起きるようになり、1368年に朱元璋が南京で「明」を建国しました。その勢いで元の国都・大都を陥落させてモンゴル高原まで撤退させることに成功します。列伝に記される唯一の女武将である秦良玉はこの時代に活躍しました。

しかし、栄枯盛衰の理の通り、女真族を束ねたヌルハチが中国を統一して中国最後の王朝「清」の時代に入るわけです。

第2部第3章で中華系サーヴァントが新たに増えましたが、推しはできましたか?王朝が何度となく入れ替わった激動の中国史。『FGO』中国異聞帯では、不老不死となった「秦」の始皇帝によって統一された世界となっていました。それでも史実で活躍した中国の英雄たちは、歴史の流れが変わっても変わらず英雄であったことが匂わされていて(全員とは限りませんが)、英雄足る資質の輝きを感じずにはいられません。

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