!注意!
本記事には『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』のネタバレが含まれています。

ゲームを遊んで泣いてしまった、という経験を持つ方は少なくないと思います。
長年ゲームを楽しんでいると、楽しいや面白いだけでなく、悲しさや切なさ、また感動などが湧き上がり、頬を熱いものが伝う感覚を味わうこともあります。

筆者もこれまで、色んなゲームで感情を揺さぶられました。仲間が死ぬゲームを遊んだことがなかったこともあり、『ファイナルファンタジーII』ではヨーゼフやミンウが見せた最後の姿に号泣。『ファイナルファンタジーIV』では、パロムとポロムの「ブレイク」に心を震わせました。あんなのズルいだろ・・・!

しかし、悪い意味でゲームに慣れてくると、次第に心の振り幅が小さくなり、「最近、ゲームで泣いてないな」とふと気づく自分にいます。もちろんこれは「昔のゲームは良かった」といった懐古的な話ではなく、時間が経ったことで自身が変化(成長とは言うまい)してしまったのでしょう。

子供の頃のような敏感さを失っている自分に気づき、つまらない大人になってしまったなと、寂しく噛みしめることもあります。そんな時に思い出すのは、当時涙を流したゲームの数々。「もう一度遊べば、あの時の気持ちを思い出せるのかな」と、他愛もない考えが脳裏を過ぎることもあります。

ですが、ゲームで涙を流した時の感情は、その大半がストレートなものでした。誰かが死んで悲しい。失ったものが大きすぎて苦しい。
努力が報われて嬉しい。幸せになって良かった。一点の強い感情に突き動かされることがほとんどでしたが、ファミコンソフト『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(以下、ドラクエIV)は、筆者にとって少々事情が違いました。

涙の理由がひとつじゃなかった『ドラクエIV』は、忘れられない作品のひとつでもあります。本日2月11日で30周年を迎えた記念すべきこのタイミングに、『ドラクエIV』で流した涙の理由を、少し振り返らせてください。

ただし! 内容の都合上、『ドラクエIV』のネタバレががっつり含まれています。そのため未プレイの方は、この先を読み進めないよう強くお願いいたします。本作の核となる部分を避けて通れないので、申し訳ありませんがご了承ください・・・!

◆いつもの『ドラクエ』だと思っていたのに。第5章で、序盤から精神をぶん殴られる

『ドラクエIV』を遊び始めた理由は単純で、それまでの『ドラクエ』シリーズが面白かったから。当時はインターネットなどもなかったので、事前の情報といえばほぼ雑誌のみ。そのため、あまり内容も知らずに遊び始めました。

その出来映えは、皆さんご存じの通り、多くの少年少女を虜とするものでした。
筆者も、第1章からどっぷりとハマり、「ずっとホイミンと旅したい・・・」「おてんば姫とお供の珍道中楽しい!」「ヤバい、ゴールド稼ぎまくり!?」「美人姉妹とか最高」と、章が変わるたびに好き勝手なことを思いながらプレイを満喫。

ちなみに、第4章までの時点で泣く機会はありませんでした。悲しいシーンもあったものの、そこまで心が揺さぶられることはなく。オーリンとかサントハイム城の皆さんとか、ごめん。

そんなお気楽プレイも、第5章に突入して大きく舵を切ることに。穏やかな村の人たちや、幼なじみのシンシアに囲まれて暮らしていた主人公・勇者の物語が始まりました。「この村から、魔王を倒すために旅立つんだなぁ」くらいの気持ちでのんびりしていたら、事態が急変。いち早く勇者を殺すべく、デスピサロが魔物を引きつれてやって来ました。

しかし、詳しい事情が見えてくるのは、もう少しプレイした後。その時は、慌てる村人に促される勇者と同じく、プレイヤーである自分もただアワアワするばかり。地下の隠し部屋に匿われると、外から聞こえてくるのはバトルの効果音。どれも聞き慣れた音なのに、心底怖かったのを覚えています。
でも、本当に怖いのはここからでした。

「今までとても楽しかった」「あなたを殺させはしないわ」と、シンシアがモシャスを唱え、勇者と同じ姿に。そんなのやめてくれ! と叫びたい気持ちでしたが、自分はボタンを押すことしかできません。──気が付けば、まったく音のない静寂が訪れており、滅ぼされた村には誰の姿もなく。まさか勇者の旅立ちが、こんな形になるなんて、『ドラクエIV』を手にした時は想像もしませんでした。

ですが、プレイする意欲がなくなったかと言えば、むしろ正反対で、のめり込むように冒険を続行。それはもちろん、『ドラクエIV』自体がゲームとして面白かったからですが、「シンシアの仇を討つ」という気持ちが強かったのも確実にありました。復讐を胸に宿すなんて「勇者」には相応しくない振る舞いかもしれませんが、勇者の所持品に入れたままの「はねかざり」が、その気持ちを何度もかき立てます。

この時に流した涙は、純粋な喪失感が大きく、それだけにシンプルなものでした。しかし二回目の涙が、このゲームを忘れがたいものにしてくれます。『ドラクエIV』の勇者は、二度泣く。

<cms-pagelink data-text="もう一度泣く理由、そしてもう泣けない理由がった──『ドラクエIV』最終決戦に挑む" data-page="02" data-class="center"></cms-pagelink>

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本記事には『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』のネタバレが含まれています。


◆涙の理由を知っているか。俺には分からないが──

そこからの冒険は、第1章から第4章までのメンバーと出会い、エスタークやデスピサロの打倒に向けて邁進する日々でした。あの時の喪失感を抱え、復讐心を原動力としながら、ラスボスを倒して世界に平和を取り戻す。シンシアを失った時のような苦しさを、もう誰も味わわなくていい世界にするんだ。そう考えていました──イムルの宿屋に泊まるまでは。

残虐な魔王としか思っていなかったデスピサロに、大事な存在「ロザリー」がいた。そして、彼女が流した涙はルビーになるため、そのルビーを欲した欲深い人間たちから虐待を受けていたことを知ります。

「それが、人間を憎むようになった理由なのか?」と考え始めたら、冒険を邁進する手がやや鈍くなっていきました。・・・といっても、そこで完全に止められなかったのは、これもやっぱりゲームとして面白かったからなんですが。罪作りですね、『ドラクエIV』は!

ともあれ、デスピサロに憎しみだけを向けられなくなり、気持ちの整理がつかなくなった頃、事態はまた更に転換期を迎えます。そう、ロザリーの誘拐です。人間達に連れ去られたと聞き、慌てて探しに向かいますが、どこにも見つからず。
一縷の望みを託して、もう一度イムルの宿屋に泊まります。

夢という形で見たのは、ルビーを欲した人間達から再び虐待を受けるロザリーの姿。その人間たちはデスピサロの手で葬られるも、ロザリーは「どうか野望を捨てて、私と・・・」と最後の願いを口にしますが、想いに応える間もなく絶命。そこでデスピサロは、人類の根絶やしを誓うのでした。

──この時流れた涙に、筆者はまだ名前を付けることができません。かつての勇者がシンシアを失ったように、ロザリーを失ったデスピサロ。もう、憎いだけの存在ではなくなりました。愛しい相手を奪われた喪失感。彼女の願いを叶えられなかった罪悪感。復讐に邁進することでの逃避。誰かを憎いと思う気持ち。その全てが他人事ではありません。


そこに、「奪われて苦しいと感じる心があるなら、なぜ奪った!」という憤りが加わり、言葉に出来ない想いが涙となって溢れます。もう、デスピサロをどうしたいのか、自分でもさっぱり分かりません。

ですが、ひとつだけ気づいたことがありました。復讐に駆られる彼の姿は、シンシアが殺された時の自分と何も変わらないと。あの時の自分は、今のデスピサロと同じなのだと。そのことに気づいた時、単純な復讐心に縋ることはもう出来ませんでした。

◆勇者だから魔王を倒すんじゃない──デスピサロと戦う、極々個人的な理由

この夢を見た後、当時の筆者は、世界中の街や村を巡って宿屋に泊まりまくりました。なぜかと言えば、「新しい夢が見られるかもしれない」と思ったからです。あの夢の後のデスピサロがどうなったのか、その手がかりを掴み、彼に会うために。結果から言えば、その行動はまるで無意味でしたが、「なんとしてもデスピサロに会わねば!」という一心での足掻きでした。

でも、会ってどうするのかと聞かれれば、当時の自分は答えられません。デスピサロはシンシアの仇であり、その怒りはやはり残っています。しかし、復讐心で倒したい、という気持ちはなくなりました。救われて欲しいとも思いますが、取り返しのつかないことをし過ぎているのも確か。様々な状況とまとまらない感情は、はっきりとした答えを見つけられず、しかし大きな情動だけでデスピサロを追い求める日々が続きます。

感情が原動力となったこの行動は、「きぼうのほこら」へと一同をたどり着かせ、そして最終決戦の地へと導きました。そこで出会ったのは、変わり果てた姿をしたデスピサロ。進化の秘宝の影響か、勇者たちを見ても「何も 思い出せぬ」と語るだけです。しかしその一言で、筆者の勇者は答えを見つけました。自分なりの答えを。

シンシアを奪いながら、自身も奪われた喪失感に苦しみ、ロザリーとの思い出まで捨て、復讐の炎に身を焦がすことを選んだデスピサロ。そんな彼に勇者が剣を向ける理由は、「殺す」や「倒す」ではなく──「止める」でした。

かつてデスピサロにもあったはずの、ロザリーとの幸せな日々。そこから遠く離れすぎた彼を、あの場所に帰すことが出来ないならば、せめてこれ以上離れさせたくなかった。あの時の筆者は、デスピサロを、ただ止めたかったんです。

そして止めるのは、止めていいのは、彼と同じ思いをした者。それは自分であり、デスピサロに苦しめられた全ての人間。そう、苦しんだ人間が全員「勇者」なんだ、と。

この「勇者」たちとデスピサロの戦いは、やはり胸に迫るものがありました。目尻にも、涙が滲みます。けれどもグッとこらえ、画面に飛び交うダメージの応酬を睨み、攻撃と呪文を織り交ぜて戦闘を続けました。この戦いは、悲しさや憎しみが理由じゃない。だから泣くべきじゃない、と言い聞かせて。勇者は三度泣かない。

泣かなかった勇者は、そこで悲劇の連鎖を断ち切りました。デスピサロは、もうどこにも行かなくいい。

◆これほど驚いた『ドラクエ』はなかった──! ちょっと違う意味で、リメイク版に救われました

これが、筆者とデスピサロの物語であり、『ドラクエIV』で流した涙の理由でした。プレイした人にとっては、それぞれの想いや捉え方、そして結論があるのだと思います。これはあくまで、子供だった当時を思い出し、今の自分が言葉として整理したものに過ぎません。

なので、ここからはちょっと蛇足となります。戦いを制し、平和が訪れた世界で、ゲーム内ではエンディングが始まりました。仲間達はそれぞれの場所へ戻り、最後に残った勇者は──やはり、あの場所へと帰ります。待つ人は誰もおらず、無惨な姿のままの村へ。でもその行動は、当時の自分の気持ちとマッチしており、納得のいく歩みでした。

全てを終わらせ、何もなくなった村に立つ勇者。ここから何を始めるのか、それとも終わったまま過ごすのか。「どっちもでいいかな」なんて、そんな気持ちでThe Endの文字が出るのを待っていました。

──なのに! まさか! あんなことになるなんて!! ネタバレ注意の記事とはいえ、さすがに結末について記すのは忍びないので伏せておきますが、クリア済みの皆さんならご存じでしょう。とんでもないご褒美が訪れたことを!

もちろん嬉しい話なのですが、あんな感じで最終決戦を(自分勝手に)盛り上げてしまった自分としては、「なんか、こっちだけゴメン、デスピサロ・・・」と、こっそり謝りながらThe Endを見つめるばかり。ある意味、この体験もあったから『ドラクエIV』が忘れられない一作になったのかもしれません。涙がどうこうとか言って、恥ずかしい!

そんな体験から時間が随分経ち、PS向けにリメイク版『ドラクエIV』が登場。更なる展開を描く新ストーリーが追加され、一部のファンの間で賛否が分かれました。ちなみに筆者は、賛成や反対といった意見以前に、「こっちだけ先にご馳走食べててごめん、そっちにも来て良かったよ!」という安堵の気持ちでした(笑)。

筆者にとって色んな思い出があり、皆さんにも皆さんだけの思い出がある『ドラクエIV』。この30周年を機に、あなただけの思い出を振り返ってみのもオツですよ。

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