『スーパーマリオRPG』は、キャラクターの3軸移動を可能にした作品です。

今でこそ珍しくありませんが、この作品が一番最初に発売された1996年当時は「3Dグラフィック」というだけで子供たちが憧れの目で見つめていました。
初代プレイステーションやセガサターンが既に発売されていたとはいえ、大抵の子供たちはファミコンやスーパーファミコンで遊んでいた時代です。マリオと言えば、マリオカートという例外を除けばまだまだ2Dが当たり前でした。

そんな時代の最先端を突っ切っていた『スーパーマリオRPG』は、ケレン味にも満ちていました。いろんなキャラの頭に乗ることができるというのは、その代表例です。

◆世界最強の足裏
マリオの足の裏は、もしかしたら世界最強ではないでしょうか。

世界には様々な格闘技が存在します。
たとえば伝統的な打撃格闘技でも、空手と詠春拳とでは技術体系が全く異なります。筆者も修行している詠春拳は非常にシンプルな体系ではありますが、マリオのジャンプからの踏みつけはそれよりもさらに単純です。

ところが、そんな単純な攻撃を誰も完全攻略できない! 漫画「タイガーマスク」の主人公が命懸けで開発した必殺技を2度も攻略されていることを考慮すると、40年経っても全く同じ必殺技で通してるマリオって、すっげぇぞやっぱり!?

それはさておき、そんな恐るべき足裏を持つマリオがクッパ軍団ではないフレンドリーキャラを踏んでしまうという要素を含んでいるのが『スーパーマリオRPG』。まず初めに、シリーズのヒロイン・ピーチ姫の頭に乗っかってみましょう。

ピーチ姫はキノコ王国に帰還してからすぐに仲間になるので、こうして頭の上に乗る機会は僅かの間しかありません。いやー、こりゃ不敬罪で牢屋行きだな!

◆キノコ王国民の驚異的な首
続きましてはメリーマリー村の結婚式場。
ここでの騒動を解決すると、キノコ王国の住人キノとナンシーの結婚式が始まります。

何と、マリオはここで神父(プロテスタントだったら牧師)の真似事をします。そしてそれが終わったら、新郎新婦の頭に飛び乗ることだってできちゃう。お前本当に祝福する気あるのかっ!?

ちなみに、結婚式場にあるパイプオルガンの上に乗ることもできます。ただし、奏者に「なにやってるの!」とキツく叱られてしまいますが……。

ついでに、式場の外で記念撮影をする人たちの頭の上も借りてしまいましょう。
……てか、お前マジで迷惑過ぎだぞマリオ!!(ただし操作しているのはプレイヤーです)

それにしても、キノコ王国の人々は揃いも揃って首が強い!

昔、筆者の格闘技の先生が首ブリッジをした状態で首に全体重をかけ、しかもおでこではなく頬をマットにつけるという離れ業をやってのけました(つまり、首の側面に圧力がかかる)。しかし、小太りのおじさんを頭上に乗せられるキノコ王国民は間違いなく筆者の先生以上。君たちはレスラーか!?

◆マリオに踏まれることは名誉なのかもしれない
ですがこの世界の人たちは総じて、マリオに踏まれても怒らないようです。これはもしかしたら、今は亡きアントニオ猪木さんの「気合いのビンタ」に似たようなものではないでしょうか?

偉大なる猪木さんが行くところには、ビンタ目的の行列がよくできたそうです人を殴れば暴行事件になってしまいますが、猪木さんに殴られることをある種の勲章と解釈していた人が非常に多かったということでもあります。

それと同様に、マリオに踏まれることは勲章に近い「誇り」なのかもしれません。しかもそれは老若男女問わない価値観のようで、子供の頭の上に乗っかっても特に嫌がられることはありません。


キノコ王国の「外を走り回る子」の上に乗り(ものすごい速度で走っているため、乗るのはいささか大変)、しばらくその状態でいるとマリオのほうが目を回してバッタリ……というアクシデントも。ですが、その間に子供が「頭の上に乗らないでよマリオ!」と文句を言っていない点に注目するべきでしょう。

◆普遍的で不動の価値観
そして、『スーパーマリオRPG』という作品に詰まった小ネタやケレン味は、今でも色あせていません。

たとえば、1996年当時のドラマや映画、或いはお笑い芸人のネタで2023年のティーンエイジャーが楽しんでくれるかというと、やはり難しいものがあります。筆者の両親はいわゆる「しらけ世代」ですが、その上の団塊世代のカルチャーに全く共感できなかったと言ってました。このように、世代が違えば価値観も違うのは当然です。


ところが、ニンテンドースイッチ向けにリメイクされた『スーパーマリオRPG』にはカビ臭さが全くと言っていいほどありません。これは現代の技術でリメイクされたからではなく、コンセプトやシナリオやキャラ設定に「普遍的で不動の価値観」が含まれているからではないでしょうか。

他人の頭上に乗っかることで、このゲームに関するいろいろなものが見えてくるようです。